-

『ルル』鑑賞ツアー参加者の皆様の感想文

 トッシー先生のモノローグ:
このページは参加者の感想文。羽田で解散するときにみんなに宿題を出したんだよ。11月末までにこの旅行の感想文を提出することを。・・・・
今日は11月30日、約束を守った良い子の皆さんの原稿を紹介するよ。提出順だから誰が1番良い子かすぐ分かる。

 

オペラ『ルル』鑑賞の旅


その1 K. K さん
『ルル』鑑賞旅行 感想

 我等が師匠 石原先生が情熱を傾け、100数十年ぶりに必死の思いでやり遂げたオペラ『ルル』。いつか再演の機会を願いながらもこのたびクーラウの生誕地ユルツェンで再演されるとのニュースがあり、鑑賞と我々のフルートアンサンブル演奏の機会を得ることができ、ユルツェンを訪問することになりデンマークへのクーラウ詣りとは一味違う旅行となった。
 20名を超える参加者と現地参加のクーラウ協会会員を加え、25名のフルートアンサンブルの聖マリア教会でのコンサートは、夏の合宿からの準備も功を奏し予想を上回る出来ばえで自分で演奏しながらも感激の内容であった。聴衆の拍手からも感銘を受けた様子が伝わってきた。
 コンサートに先立つオペラ公演は、東京での我々の本格的な公演とは違いコンサート形式のスタイルであり本場の本格的な内容を期待していた私にとっては少しがっかりしたのが正直な感想であった。しかしこのオペラを取り上げ、公演にこぎつけることが出来たのは、洋の東西を問わず大変な努力があった事であろうことが感じられた。まずはヨーロッパにおいてもこの再演を機会に少しでもクーラウのこと、音楽作品のことが認められることを願うばかりである。
 このたびの旅行はフリータイムが多く、各人がそれぞれの計画での見学、買い物、観光がなされ大変有効な時間が使えたと思う。一昔前の団体旅行と違い自分の見たいもの、行きたい所への自由行動で全く事故も無く全員無事に帰国できたことをほっとした思いを感じている。私はハンブルグでの聖ミヒャエル教会での小ミサのオルガン演奏と夜のピアノコンサート、そしてC・P・エマニエル・バッハのお墓を見られたこと、劇場でのバレエ鑑賞、ブラームス博物館見学が忘れられない思い出となった旅行でした。


その2 N. B さん

初めてのドイツ旅行にドキドキ。
インターネットや旅行雑誌で、ユルツェンという街を探しても、まったく情報がない ので、どんなところか想像できないまま、旅にでた。
行ってみて驚いたのは、とっても素敵な街並であったこと。
レンガ造りの建物がいっぱい。そして、大切にまもられてきたであろう大きな木。た くさんの落ち葉。
しっかりとしたセキュリティ(建物ドアは、外からあけられず) 田舎であろうと想像しながらやってきたこの街は、全然ちがうものであった。
クーラウの生きていた頃から、こんな街並だったのかなぁと想像しながら、街を歩い た。

ルル鑑賞ツアーということで、演奏会を楽しみにしていたのだが、ご厚意でゲネプロ を見学させてもらえることとなった。
ゲネプロって好きなんだよね、舞台をつくっていく工程がちょっとだけのぞくことが できるから。
驚いたのは、ステージ上。
何枚かのスクリーンがおりていた。森の描かれたうすいスクリーン。えっ、これって どんな演出?なんて考えながらゲネプロを眺めていた。
遠くから聞こえてくる森の精たちの歌声。最初は会場の後ろからだったけど、何度目 かに会場の外から歌うことになり、それで監督からOKサイン。 魔法の笛の音もステージ袖から、何度もフルート奏者の場所を変えていた。

ゲネプロを楽しんでいると、あっというまに、本番の時間。お客様がはいってきて、 はじめて気がついた。
だって、ぜんぜん、ゲネプロが終わる雰囲気じゃなかったから。

本番はもっと楽しいものだった。
森の描かれたうすいスクリーンの向こう側に合唱団の人がいた。照明によって、彼ら の姿が浮かび上がる。なんとも不思議な感覚。
スクリーンには数カ所 切り込みがあり、そこから、登場人物がでてくるというおも しろい演出であった。
演奏は、日本で演奏するのとちょっと違うなぁと思ったのは、音楽の作り方。
なんていうんだろう、音楽の切れ目というんだろうか フレーズが完結する部分の表現が、ちょっと違う。
聞き慣れたルルの音楽にちょっと違和感を感じながらも、表現の違いを楽しむことが できた。

演奏会後は、レセプションに招かれた。
あぁ、このときほど、ドイツ語を勉強していればよかったと思ったことはない。
ヴェラに伝えたかった。素敵な歌声に感動したことを・・・

次の日は、教会での演奏。
正直、あまり覚えていないというのがほんとのところ。緊張していたのだろうか、やっ と演奏が終わったという感想だけかも(^-^;A

教会での演奏 翌日のこと。
リューネブルクへいったの。そのとき、偶然にも教会で、私たちの演奏をきいてくれ た人が同じ車両にいた。
とっても喜んでくださったようで、いろいろお話をしてくださった。英語力もない私 に一生懸命はなしをしてくれた。
電車をおりる際には、演奏とってもすばらしかったとほめてくださり、次のコンサー ト予定はいつ?って聞いてくれてとってもうれしかったんだけど、英語力もなく、スケ ジュールも知らない私は、首をよこにふることしかできなかった。 私たちの演奏 次を楽しみにしていてくださる方がユルツェンにいるっていうだけで、 とってもうれしくなった。
リューネブルクを散策しているときにも、この方はとっても親切にしてくださったの。
私にとって、この方の出逢いが、旅のいい思い出となった。


その3 H. T さん
オペラ「ルル」鑑賞ツアー

 
 クーラウ詣でツアーに参加してまたとない貴重かつ楽しい経験をしてきました。私は石原教室の生徒ではないのですが、以前から先生を存じ上げていて、偶々IFKS理事の高橋由江さんからのお誘いで参加することになったのです。出発前羽田空港控室で皆様に初対面のご挨拶、石原先生とは一昨年夏フランクフルト空港でお目にかかって以来でした。
 皆さんの自己紹介が終わった後、旅行会社の説明があり、フランクフルト空港での乗換時間が短いので頑張ってハンブルク行きのゲートまで行ってくださいとのことでした。乗り換え時間をチケットで確認したところ、一時間もなく、大変だなと嫌な予感がしました(現役時代出張では乗換時間は2~3時間の余裕を見ました)。その不安が見事に(?)的中することになってしまいました。フランクフルトまでの飛行は空いていたので、私は空席の3席分の肘掛を上げ横になり、食事時以外はただひたすら眠り快適でした。
 フランクフルト到着時、特に遅れているアナウンスもなかったので、降りて階段を上っていると(皆さんはエスカレーターでしたが、体を伸ばすためわざわざ階段を上ったのがそもそもの騒動の始まり)、側にいたドイツ人が急ごうと同僚にいって、私にもハンブルク行に乗るのかと聞き、「Ja」といったら、ついて来いというので一緒に走ったのでした。時計はもうハンブルク行の便が離陸時刻の19時30分。少しでも一行より早く出発ゲートヘ行き、後続がいることを伝えようとドイツ人ビジネスマン4人と一緒に急ぎました。なにしろ彼らは50代くらいのボスらしい男と部下と思われる背の高い若者、重そうな滑車のついた荷物も軽々ともって急ぐ。こちらは枯葉マークの後期高齢者、その上コンパスが違う。彼等は小走り、私は全速力に近い。もう汗びっしょり。時々振り返って私がついて来ているか確認してくれるので必死でした(昨年心臓の手術をしたことなどすっかり忘れていました)。入国審査、税関検査は長蛇の列ながら、彼等が大声で何か言って最前列へ割り込み、走り抜けるようにすんなり終わり、またゲートまでひた走り。走っても走っても目的のゲートA32は見えてこないので焦るばかり。飛行機を降りた時から既にバス停3つくらい走ったという感じでした。
 漸く目的のゲートが見えてきて近づき、一瞬目を疑いました。なんと間違いなくルル・メンバーの一人が立っているのです。挨拶をすると、私がいないので迷ってしまったのではないかと皆が心配している。石原先生は私を探しに行かれましたと聞き、もう頭の中は真っ白。一体全体なぜ私より前に・・? 
 なんでも飛行機を降りてからのエスカレーターのところに「ハンブルク32」と書いた紙を持っている人がいて、バスで運んでくれ、入国審査も税関も特別なところがあったとのこと。エスカレーターの横の広い階段のところにはそんな紙を持った人はいなかったのです。いればあのドイツ人ビジネスマンも気が付いていたはず。気が利かないドイツ人が特別な便宜を計るからこんなことになるのだ。便宜を計るのだったら誰が見ても分かるようにしろ!(日本人なら周知徹底するよう工夫するよ)。どうせ飛行機の延発着は当たり前なのだからと腹が立って仕方がなかった。さらに遅れてきた人が数人いたから、彼らもおそらくバスを知らなかったのだろう。
 出発が遅れたため、最終的にユルツエンのホテルに着いたのはほぼ夜中の12時でした。なんとなく不愉快な気持ちを洗い流すべくシャワーを浴びて、明日の朝の練習のことも気になりベッドにもぐり込んだものの、口惜しさなのかなかなか眠れない。そうこうしているうちに窓の外が騒々しくなり、満月の窓から覗くと土曜日のマーケットの準備が始まっていた。時計は午前4時半。結局そのまま起きてしまいました。
 十時からコンサートの練習があるのですが、夏の合宿に参加できなかったので(実はこの時ドイツにいました)。私にとっては初めての全員での合わせでしたが、思ったよりすんなり入り込むことが出来ホットした次第です。おかげで昨日のことはすっかり忘れることができました。
 練習終了後みな思い思いに過ごしました。私は高橋さんと当地のおとぎの国のような駅舎を見学に行きました。夜は今回のツアーの一番の目的「ルル」鑑賞に赴きました。小さな町のホールとはいえ素晴らしいところでした(ドレスデンのゼンパー・オーパー同様縦の通路のない構造でした)。音楽会形式ということでしたが、なかなか凝った演出でした。
 翌日曜日の聖マリア教会でのミサの間のコンサートは寒かったが、四十歳も半ば過ぎてからフルートを習い始め、こんな経験ができるとは夢にも思いませんでした。ユルツエンは小さな町ですが、住宅街は緑が多く、大きな家が並び年配者が多く、何事もゆったりとしていて、商店街には高級そうなもの並んでいて裕福なところだなあと感心しました。しかしあの人たちは何を生業にして生活しているのか不思議でした。周りに大きな工場、企業があるようにも思われず、年金生活といってもドイツも財政は窮屈な筈。どうしても私のように高度経済成長時代に企業戦士として働いてきた者には理解できないことでした。
 後日ハンブルへ行ったときはさすがベルリンに次ぐ大都会、活気があり、人々の歩く速さは格段で、こちらが今の本当のドイツなのだと思いました。日本出発前から訪れたいと思っていたブレーメン(クーラウのお兄さんが住んでいたところと石原先生から後で伺いました)はハンブルクとまた違うメルヘンチックな町というだけでなく、重みのある歴史が美しい町を生み出していることに感動し、ドイツという国の奥深さを感じた次第です。


その4 F. F さん

 「クーラウ詣り」というイベントのあることを知ってから、 いつか参加できたらいいなぁと思っていました。 それが実現して、あっというまに過ぎた8日間を振り返って みました。その時々に感じたことを語ってみましょう。

 ユルツェンの街は(リューネブルクも)とてもきれいでした。

ゴミや落書き(少しはあった)がなくて、特に、古びたレンガ造りの建物と 紅葉の高木とを冬の柔らかな光が照らすと何とも言えぬ美しさが ありました。のんびり歩いていて車に気付かなくてもドライバが 待っていてくれたり、町中が穏やかでのどかな雰囲気に満ちて いました。

 演奏会形式のオペラ「ルル」は合唱会形式とでも言えそうな 演出で、おもしろい表現だと思いました。聴きながら

「魔弾の射手」の“狩人の合唱”を連想していました。 お叱りを受けるかも知れませんが、東京でオペラ「ルル」を見て 感動した思いからすると、少し物足りなさが残りました。

 教会の演奏は、ミサの合間に四季を挿入演奏することから 始まりました。ミサが終わると人がゾロゾロと帰り始めて、 あとに続く演奏を聴いてもらえるか気をもんでいました。 が、案外たくさんの人々が残ってもらったようで、 ほっとしたところで演奏再開。教会の中は良い感じの響き でしたし、演奏中に一緒に歌う声が聞こえたりして、 とても気分良く演奏できたように思いました。

 演奏が終わるとわずかな静寂の後に、わぁ~と拍手が わき上がり、うなずきながら拍手する人、ニコニコして 拍手する人、一人ひとりの気持が伝わって来るようで、 大きな喜びと感動に包まれていました。 日本では、まだ残響があるのに間髪を入れず“ブラボー”を 叫ぶ人がいるけど、このドイツ流の拍手の方がより深い 感動が伝わって来るように思いました。

 ハンブルクでは自由行動1日を使って「国際海洋博物館」を 見に行きました。ガイドブックで見てチャンスがあれば、と ねらっていたのです。 そう、“我は海の子”だったのです。 ゲルマンの民はバルト海・北海を挟んでバイキングの民と交流が あったかも、という個人的な興味もありました。

 そして、見つけたのはバイキング船の船体構造と、それから 大型帆船に発展していく過程を実に詳しくわかりやすく 展示していました。それらの写真の一部をアップロードして おきました。

 ナルホド感・大きな満足感と共に博物館を出ると夕刻が 迫っていました。帰りの道で、おしゃれなパン屋さんや、 庶民の様子、自転車通勤の人々、浮浪者、物乞い、落書き、 しっかり観察できて、一日中歩き見て回った成果でした。

 今、フルートを始めていてほんとに良かったと、 つくづく感じています。楽器と譜面があれば誰とでも 外国の人々とでも心が通い合うことができる、そんな 大きな喜びを感じています。在職中はこんな世界が 広がっていようとは夢にも思っていませんでした。

 IFKSのみなさん、こんなにも広い世界に導いて下 さってありがとうございます。 同室の小島さん、いろんなお心使いをいただき、 ありがとうございました。部屋でお話できたことや お借りした「川口マーン恵美」さんの本など とても勉強になりました。

 またのチャンスにも参加できたらいいなぁ…

ユルツェン朝市 博物館て1
博物館て2 博物館て3
齋藤さんご夫妻、ドンボア教授 ユルツェンの快男児
 
教会で  

その5 Y. T さん

 クリスマスのシーズン前、静かな町ユルツェンでお目当ての「ルル」を観賞しました。演奏会形式で、楽団はオーケストラBOXを使い、ステージでは森を描いたスクリーンの手前で歌手が歌います。合唱団はスクリーンの後ろです。その影がとても幻想的で素敵でした。
 ツアー中、いろいろありましたが。思いもよらない出来事
 ①ユルツェンでの4日間、何とも可愛らしくてチャーミングなお嬢さんと同室させて頂きました。この年の差、どうなる? と、初めはちらほら考えもしましたが案ずる事は全く無く、天真爛漫な彼女のお蔭で快適な毎日でした。美味しい朝食のパンを何種類も食べたくて半分こにしたり。感謝しています・チュッ!
 ②ハンブルクでは・清水の皆さんと急接近! お部屋に籠って楽しく過ごした夜!?は忘れられません。又ご一緒したいです。良い旅でした。

可愛らしくてチャーミングなお嬢さんと
ユルツェン朝市 ユルツェン駅
ハンブルク/ペットショップ?病院? ハンブルク/警察署
ハンブルク/ウインダム・ガーデンホテル前 ハンブルク/ウインダム・ガーデンホテル前
ブレーメン ブレーメン
ハンブルク空港のショップ 帰国・羽田空港(知らずの撮影禁止の写真)
ブレーメンの音楽隊 ハンブルク/ウインダム・ガーデンホテル

その6 M. K さん

大好きな飛行機が離陸する時のふわっと感。
日常からの解放! 四年ぶりの外国。
今回は羽田からふわっと旅立ち。
ラッキーにもプレミアムエコノミーでドイツに行ってきました。
フランクフルトでの離れ離れ事件。
ハンブルグ行の飛行機で待たされている乗客の不満そうな顔々。
ユルツェンのホテルの入り口は石段で大きなトランクを持ち上げるのが大変。
美しい教会とおいしかった朝ごはんのパン。
サムーい教会での寒さに負けないプロ意識の高いソロ演奏。
リューネブルグで見た花嫁だっこ。
日本語で通じていたS氏。
ハンブルグで入手した地図のいい加減さ。 
割り当てられたバスタブのない部屋。
道を聞いたときに親切に目的駅まで地下鉄で案内してくださった年配の女性と他数人。
コンサートでの華やかな雰囲気と沢山の音楽好きな年配カップル。
聖ミヒャエル教会は私好みのペパーミントグリーン。
昼のミサでのパイプオルガン演奏で感涙。
教会前のレストランでの鰻のスープ。
延泊したケンピンスキーでのおいしかった朝ごはんのオムレツ。
フロントの間違いでチェックインした部屋はとても豪華。
チェックアウト時はサプライズプレゼント付。
お目当てのお土産はマイセンのクリスマス飾り。
LH の日本食はこれ何? クリスマスマーケットもなかったけれど
19パーセントの免税申告も済ませ結果オーライで楽しい旅でした。
次はどこへ行きましょうか?
ペトルッチさんのイタリアなんぞいかがでしょ。

その7 M. I さん

ドイツ旅行に参加して

私もいつか、ツアーに参加したい。
子供たちが自立し、仕事もお休みがとれるようになったら行きたい。
過去のツアーのお知らせを聞くたびにいつも思っていました。
今年の春、石原先生からツアーの話を聞いたとき、もしかして今年は行けるかも?期待に胸が膨らみました。
でも、いざ現実となると色々な問題がありやっぱりムリ、と1回は諦めましたが絶対に行ったほうがいいよ、の主人からの言葉に考え直し、思い切って行くことができ今では感謝しています。

海外旅行は新婚旅行以来で、荷造りからドキドキです。
そして待ちに待ったドイツ。
特にユルツェンの街は、綺麗でのどかで街並みも絵になるし、住んでみたいと思う位素敵な街でした。レンガ造りの建物をみながら石畳の道を歩いていると、ドイツに来たんだと実感が湧いてきてワクワクしました。

そして緊張の教会での演奏。
ミサの合間の演奏で、いつ演奏が始まるかハラハラしましたが、プロの方々がすばらしくとても素敵な演奏だったと思います。1部録音できたので、時々聞いてはその時の気分を味わって楽しんでいます。

ドイツの鉄道にのり、リューネブルクとブレーメンにも行きました。ブレーメンは絵本で見た動物の像を実際に見ることができました。ブレーメンの町には浮浪者が多くいて驚きましたが可愛いおみやげやさんがたくさんあり楽しめました。

ツアーに参加する事だけに精一杯で、皆さんに頼りきってしまった私ですが、楽しい旅行をすることができ、感謝しています。そして、さまざまなアクシデントに対応する石原先生のタフさに感動しました。
本当にありがとうございました。

ユルツェン/ホテルから見た朝市 朝市
今回ツアーのメール連絡係で大活躍して下さったN.Bさん ルーテル・ハウスの練習風景
正にドイツ料理! ブレーメンの街角で
 
ご存じブレーメンの音楽隊  

その8 H. O さん

 今回の旅は、ルル鑑賞、ユルツェンでの私たちの演奏会、リューネブルク・ハンブルク観光、等の音楽に溢れた魅力的な旅行でした。参加者の愉快な皆さんとの思い出とともに、たくさん印象に残った場面がありますが、その中で私が衝撃を受けたのは、ハンブルクの聖ミヒャエル教会地下で行われたコンサートでした。
日中、観光で訪れた時、何気なく目にしたコンサートのプログラムにその日の夜のことが載っていました。ひっそりと、大々的に宣伝することもなく置かれていたパンフレットに、アナ・マリア・マルコヴィーナさんの名前を見つけました。彼女の演奏は、以前デンマーク留学中に聴いたことがありました。その時は、とにかくパワフルな演奏家、と思った記憶があるのですが、今回はなんとC.P.Eバッハのお墓の上での演奏でした。実はその時は、それが地下、さらにはお墓の上で行われることも知らず、あの巨大なパイプオルガンを持つ教会を支える地下がどんな風になっているのか、まして、そこで行われるコンサートなんて、と想像もつきませんでした。夜は暗いし、観光の疲れもあり、一人では・・と思っていたら、先生とKさんも行かれるとのことで、ご一緒させていただきました。
会場は、教会の地下の螺旋階段を降りると、洞窟のような天井の低さの広い空間にピアノが一台。照明は、石の柱の隙間に埋め込まれた現代的な間接照明。C.P.Eバッハのお墓には、彼の名前が彫ってあり、一輪の花が供えられている。果てしない歴史を感じながらも、自分が現代に生きている感覚・・自分の中の方位磁針がくるくると音を立てて回っているような、そんな不思議な感覚の中でのコンサート開演でした。
C.P.Eバッハといえば、私たちには無伴奏ソナタのイメージが強くありましたが、その日彼女が弾いてくれた作品は、情熱的で哀愁が漂う作品で、そのイメージを根底から覆すものでした。作品の素晴らしさはもちろんなのですが、会場の響きをそのまま全て楽器のように響かせている彼女の演奏には、思わず息をひそめてしまうような、そんな迫力と魅力がありました。柔らかな響き、力強さ、音色に込められた感情のひとつひとつに、心の中がすーっと潤っていくような感覚を覚えました。忘れかけていたものを思い出させてくれるような、そんな演奏でした。彼女の演奏は、以前聴いた時とのギャップも大きく、それはもちろん作品によるところも大きいのでしょうが、それが彼女自身の変化なのか、聴く私の側の変化なのか、おそらくその全てが、その夜の感動となって私に押し寄せたのだと思いました。改めて、音楽はその時、その瞬間にしか、その感動は味わうことができないのだと感じました。
できれば、この演奏会が私たちの演奏会の前に聴けていたなら、もう少し違った演奏ができたかもしれない・・というのは言い訳ですが、今回のこの感動は忘れることなく、しっかりと自分の栄養にしていきたいと思います。
この旅で、素晴らしい一瞬一瞬をともに過ごしてくださった皆様に感謝申し上げます。またご一緒できる日を楽しみにしています。


その9 A. K さん

偶然
 1989年11 月9日(実際には10日)は、東西ドイツを分断していたコンクリートの壁が崩壊した日です。その日のテレビ画面には、ハンマーを手にした大勢の若者たちの歓喜の雄叫びが、そして、高くて分厚い壁が次々と打ち崩されるシーンが生々しく映し出されていました。
ところが、その日の2日前(11月7日)、私はフランクフルト空港に降り立っていたのです。勿論、ベルリンの壁の崩壊を予知し、スクープする為の訪独ではなく、いつも団子になって旅をしている姉達との観光が目的でした。
偶然にも今回の旅は、25年前と同じ11月7日のフランクフルト空港が玄関口となりました。旅の主な目的はオペラ『ルル』の鑑賞と、教会でのアンサンブル演奏ですが、25年前、このような目的で再びドイツを訪れるなんて想像もしていませんでした。なぜなら、当時はまだフルートを手にしていなかったからです。

オペラ『ルル』鑑賞
 ゲネプロから拝見させていただきましたが、意識とは無関係に瞼が下がりたがって・・・これをきっと時差ボケと言うのでしょうね。それでも脳をフル回転させてストーリーを呼び起こし、舞台の成り行きに目を、耳を凝らしました。が、言葉が理解できない歌声はいつしか心地よい子守唄に変わり、舞台に向かって深くお辞儀をしている私がいました。「今しっかり眠っておけば、本番はOK!」と開き直ってはみたものの、いざ本番となっても睡魔との戦いは続き、終演後、何となく後ろめたさを感じていたのは、もしかして私だけ?
 今回、演奏会形式のオペラでは初めての、紗幕による舞台を拝見しました。照明による繊細な演出と意外性に、新鮮なトキメキを覚えたのは本当です。

教会での演奏
 地域に根付いた教会の、荘厳な雰囲気の中で日曜日のミサは始まりました。パイプオルガンの重厚な音色とその設えの見事さ、神に捧げる讃美歌が、出番を控えて少しナイーブになっていた心身に優しく届きました。
 どの曲も心を込めて吹きました。最後のアベマリアでは思わず「ウルッ」となり、「今、この時、この場において、この曲を吹かなくていったいどこで吹くのよ~」と、心底思ったことでした。そして、真に勝手ではありますが、「自分なりに素敵な演奏ができて良かった!!」と、自画自賛をしているノー天気な私です。

自由時間
 今回の旅の為にあえて準備した一品があります。それはスケッチブックと24色の色鉛筆。自由時間はたっぷりあるし、カフェテラスでコーヒでも飲みながらスケッチを・・・が望みでした。ところがどっこい、帰ってからスケッチブックを開いてみれば、ユルツエンのホテルの窓から眺めた街の風景画がたった1枚だけ。
ですが、リューネブルク、ブレーメンと、皆さんと一緒に気儘な旅を楽しむことができました。片道わずか1時間程の列車の旅でしたが、冬の気配に色濃く染まった異国の風景を、飽きることなく眺めました。プロの皆さんに混じっての演奏、その緊張感から解き放たれた安堵感があってこそ得られた至福の時なのでしょう。片言の英語で会話をしながらのお買い物、食事、観光、そして志を同じくする仲間との交流など、全てが楽しく、思い出に残る旅となりました。
石原先生、皆さん、素敵な機会をいただきありがとうございました。
ユルツェン駅 ユルツェン朝市
ユルツェン / 石のモニュメント ブラームス博物館の看板
ブラームスの自筆譜 ブラームスのピアノ
ブレーメン駅 ブレーメンの風車
ブレーメン / クリスマスの飾り ブレーメンのおみやげ屋さん

その10 A. I さん
「憧れの国」

「ベートーヴェンの目が動く!」
子供たちは音楽室に入るとベートーヴェンの肖像画を見て怖がる。しかし一番の人気者だ。
彼の生まれた国ドイツをいつか訪れてみたいという願望が私の心のどこかにあった。
それがクーラウツアーと重なり、すぐに申し込みをした。クーラウが洗礼を受けた教会で演奏できるというのも、本場で「ルル」のオペラが観られるというのも夢のような話だった。
そんな私の夢がとうとう現実となったのである。

ユルツェンには夜中に到着、翌朝はホテル前の朝市の活気で目が覚めた。
窓からは私たちが演奏する教会の大きな塔が見える。石畳を歩いていくと緑がたくさんあり、落ち葉は自然のままで黄色の絨毯の道が美しい。街そのものが中世の博物館のようで、いっぺんでその魅力にとりつかれた。

見るものすべてが新しく、毎日何らかの発見があった。
鉄道を利用する時、改札がない。エレベーターには「閉」がない。自動ドアがない。日本と違ってあちこちに音楽が流れていない静かで美しい町、宣伝の看板もなくて私の好奇心は広がっていき、何を良しとされているか価値観や文化の違いを感じた。

本番当日、わくわくしながら聖マリア教会に入った。礼拝堂は前日から暖房を入れてくれてあり暖かいはずなのに、どこかひんやりして引き締まった感じのする空気を思い切り吸い込んだ。
聖地の世界へ閉じ込めてしまうかのようなパイプオルガンの荘厳な音色、声楽を勉強したような声でミサ曲を歌う男性、体でリズムを感じながら聞いてくれた人、遠く離れた日本からやってきた私たちの演奏に耳を傾け、気持ちよく迎えてくれているようなあたたかな拍手をしてくれた人たち。
国も世代も違うまったく知らない者同士が音楽を通して感動を共有しているこの瞬間、音楽っていいなと感動しながら演奏した。

瞬く間に過ぎて行ってしまったが、充実した日々だった。
日本に帰って「ルル・ファンタジー」の最後の6拍子のメロディーが頭から離れず、口ずさんでいる毎日です。



トッシー先生のお別れのエピローグ:
この感想文は期限に間に合わない悪い子がいるから未完と言うべきかね。悪い子が良い子になりたくて原稿を送ってくれたらまた載せるからね。
そんじゃ、またいつの日かの「クーラウ詣りツアー」でお目にかかることもあるかも知れない。それまで、達者に暮らしてくださいよ。

ここまでの感想文は期日に間に合った純正の良い子たちだよ。



以下は更正した良い子たちだよ。

その11 K. T さん

初めてのドイツ旅行とても楽しい思い出がたくさんでした。
初めてのヨーロッパで飛行機の中からドキドキワクワクでした。
短縮コースでの参加だったので皆さんと先にお別れするのがとても寂しかったです。
ユルツェンで 同室だったマダムや、清水の皆さんにもたくさんお世話になりました。
山田先生と一緒にピッコロを吹けたことがとても嬉しくていい思い出になりました。
帰りでは思いがけないハプニングが発生しまた石原先生と小野さんにお会い出来るというサプライズもあり最後の最後までとても楽しい旅でした。また皆さんとお会い出来るのが楽しみです。
聖マリア教会礼拝堂 / まるで貸し切り
聖マリア教会 / ステンドグラス 2+2は? 答え:2

その12 A. Y さん

全く行くつもりのなかった3度目のユルツェンへ行って来ました! 旅行中には愛する息子の初めてのお誕生日が含まれておりましたが、私は吹ける人がいないから来てとおっしゃる石原先生をホントにこれが最後だと信じて選びました!
出産してから6日間も離れるのは初めての経験でしたので、アル中のごとくずっとビールを飲み続けた幸せな旅となりました。
ユルツェンでは、ぐっすり眠った深夜に日本からのお仕事の電話が毎晩鳴り、その度『水曜日まで待って下さい!』と繰り返し借金の取り立てに追われているかのような夜を過ごしました。
みんなより一足先に帰るに際には、ハンブルグのみんなが泊まるホテルにフルートを置いて帰りそうになりました。次の日から日本で演奏のお仕事があるというのに幸か不幸か優しい石原先生と宏子ちゃんがわざわざ空港まで持って来てくれてまた一つ先生に忘れられない大切な思い出を作ってあげることが出来ました!!
カメラを向けられるとジッとしてはいられない私

その13 S. S さん

そもそも、僕が今回のドイツツアーに参加するまでの運びは、非常に、個人的な希望からであった。
大学に入学して初めての夏休み中のことである。今回、同じくツアーに参加していた大学の同級生のTさんから、
「私11月にねドイツ行くんだよ」と聞かされた。ちょうど、僕はレッスンでC.P.E.バッハのフルート協奏曲ト長調を取り上げており、ピアノのレッスンではクーラウのソナチネに取り組んでいて、ドイツという国に憧れを抱いていた時期であった。当然、羨ましかった。ついていかねばと思った。

それから夏休みの終わりごろ、Tさんは今回のコンサートの練習のためクーラウ教会 (ママ)の合宿に参加したらしい。そこで、僕のことを知っていたマダムIさんに出会ったそうだ。清水のマダムIさんのことは、僕もよく知っていた。Iさんは僕が高校3年間、地元静岡で習っていた先生と同じ教室に通っていらっしゃるためである。「しめた」と思った。僕はすぐ地元のフルートの先生を通してマダムIさんと連絡を取り、今回のツアーに参加したいとお伝えし、Iさんを通して石原先生と連絡をとることができた。そしてとうとう参加の許可をいただいたわけである。このツアーを機にクーラウ協会の会員となった。

学校との兼ね合いもあり、ツアーは短縮日程での参加であったが、行きの飛行機から(当方乗り物好きである)帰りの飛行機、羽田空港から立川駅までのバスまで(当方特に鉄道と飛行機が大好きである)、月並みの言い方であるが、楽しかった。初めてのヨーロッパであったから、ホテルの外を目的もなくブラブラするだけで楽しかった。特別、
ドイツらしさを感じたのはその街並みと、私鉄メトロノーム線に乗ったとき、その車窓から見た景色である。

幸せいっぱいの一週間はあっという間に過ぎ、また、充実した学生生活に戻っている。フルートアンサンブルの授業での後期最後の曲は、なんとクーラウのグランド・クァルテットである。この一行を書きたいがために僕は今日まで感想文提出を延期していた。そういうことにしていただきたい。来年10月にはクーラウ・フェスティバルがある、今回であったクーラウ協会の皆様とまたお会いできるのが、今から楽しみである。

ユルツェンの夕べの町並み 短縮コースの3人組

その14 M. A さん
「ユルツェンの思い出」

2014年11月7日、ユルツェンでの現地合流メンバーだった私は、同じく現地合流でイタリアからの参加者、フルーティストのGinevra Petrucci嬢とハンブルクの空港で落ち合い、ユルツェンツアーの皆さんが到着されるより半日ほど早くユルツェンに入りました。
1年ぶりに会ったGinevraとハンブルクからユルツェンへ向かう列車に乗り込み、つもる話に盛り上がりつつ、窓から見える一面のドイツの平野に目を細めているうちに、フンデルトヴァッサー建築の、カラフルでちょっぴりエキゾティックなユルツェンの駅に到着しました。
初めて目にするユルツェンの街は、愛らしい建物が並びとてもきれいで、まるでメルヘンの世界に足を踏み入れたようでした。
到着早々、Ginevraと“クーラウらしいもの”を探しに行こう!と意気揚々2人で街に繰り出しました。クーラウの生誕地ですから、クーラウの肖像をあしらったお土産物とか、“クーラウ・ミュージアム”なるものを期待して歩き回ったのですが、残念ながら街ではクーラウのクの字も見当たらず、代わりに川沿いに、秋の気配たっぷりの小さな公園を見つけ、山吹色に色を変えた美しい木々が水に反映する様にみとれ、しばしクーラウが生まれた頃の風景に思いを馳せました。
翌日8日の夜は、ツアーのメイン・イベント、オペラ“ルル”の鑑賞です。
驚くべきことに、ユルツェンの劇場は街の中心部から離れて街の外にあり、劇場周辺がとても静かでほとんど人が見当たりません。こんなところに劇場があるなんて信じられないね、と話しつつ場内に入ると、ロビーや客席には人、人、人!作曲者の生誕地での上演という、ユルツェン市をあげてのこのビッグ・イベントに対する人々の熱気が伝わってきました。
満を持しての“ルル”蘇演、クーラウの生まれ故郷で彼のオペラ作品を蘇らせようという一大プロジェクトに、いかに多くの人々が関わり、準備に汗をかき、この日のために頑張ってきたかをひしひしと感じさせる舞台造りで、私も鑑賞していて感無量でした。
オペラ“ルル”は、場面ごとに変化があり、音楽のニュアンスも非常に豊かで エンターテインメント性の高いスペクタクルだと感じます。演出の仕方で全く違う個性が出せるでしょうし、演奏もテンポやダイナミクスといったテクスチュアの読み方次第でまだまだ色々な解釈の入り込む余地があるでしょうし、これを機にドイツはもとより世界各国の様々な劇場がレパートリーとして取り入れてくれたらいいなと、切に願います。
9日、日曜日は、クーラウ協会のメンバーによる聖マリア教会でのコンサート。11月9日は1989年同日、ベルリンの壁崩壊の日であると共に、1938年の同日に、ナチスによる“クリスタル・ナイト”事件のあった日でもあります。その犠牲となった人々へ祈りを捧げるための特別なミサが粛々ととり行われた後、続けて私たちのコンサートが始まりました。
高く高くそびえ立つ大聖堂の中に響き渡るフルート・アンサンブルの音色は、ミサで深い祈りを捧げた後の皆さんの心を、きっと柔らかく包み込んだのではないでしょうか?演奏しながらそんな印象を受けるほど、聴衆の方々があたたかく耳を傾けてくださいました。

クーラウの面影をたどるユルツェンの旅、私にはとても思い出に残る素晴らしい経験となりました。
「ユルツェンの街並み」 「ユルツェンの秋」
「聖マリア教会」外観 「聖マリア教会大聖堂」
「ハンブルク・ブラームス博物館にて」 「ハンブルク聖ミヒャエル教会」
「テレマン、C.P.E.バッハ、ブラームスゆかりの教会、ハンブルク・聖ミヒャエル教会大聖堂」 「ハンブルク聖ミヒャエル教会の地下、C.P.E.バッハの霊廟」
「ブレーメンの音楽隊」 「Ginevra@ブレーメン」

その15 K. A さん

前回のデンマークに引き続き2回目の参加でした。
石原先生のおかげで、ルルをゲネプロから見せていただいたり、
今回も教会で演奏ができたりと貴重な体験をさせていただきました。
ありがとうございます。

ドイツはずっと行ってみたい国のひとつだったので、楽しみにしていました。
日曜日は法律によって商店が営業していなかったり。
レストランで英語も身振りも通じず、フンってされたり。
他の方に聞いた話だと、ホテルのフロントに用事があって行ったら、それは自分の仕事ではないと断られたりってこともあったそうです。
旅行者的にはちょっとイラっとしましたが、でもそういうとこ嫌いじゃないです。

飛行機の中の映画で、テルマエ・ロマエをやっていたせいで、
旅行中はなにかと「平たい顔族」が流行語でした。
朝市にいたワンコに「なんだこの平たい顔族?」って驚かれたり。
大量の平たい顔族がフルートの練習をしてるのを不思議がって、
練習場の窓からのぞきにきた親子がいたり
リューネブルクに行ったときは全員分の切符をまとめて持っていただいてたのですが、
検札にきた車掌さんに、あっちって指差したら「あーあの平たい顔族の仲間か」っていう顔をされたりしました。

また、清水の講習会はグループレッスンなので、ふだん石原先生とゆっくり
お話しする機会があまりないのですが、ギリシャ料理を食べに行ったときに、
同じテーブルだったので、レッスンでの発表順について議論(?)しました。
先生としては、最後の順番の方が、みんなが注意されたところをなおして吹けるから、
後の方がいいんだろうとおもっていたそうです。
でも私としては、注意されても練習しないとなおせないから、ハードルだけ上がってしまうので早めの方がいいですと訴えておきました。
・・・帰国してからのレッスンでは、先にやりたい人?って訊いてくれるようになりました。

そのほかにも書ききれないくらい盛りだくさんな旅でしたが、クリスマス市を横目に帰国したことだけが心残りでした。
先生、次回場所はどこでもいいので、ベストシーズンに行きたいです。
よろしくお願いします。

ホテルの前の朝市 平たい顔族に驚くワンコ
大量の平たい顔族がフルートの練習をしているので覗きに来た親子 カメラ目線
贈呈 あの人が食べてるやつをください
ユルツェン駅 乗りたい
例えると静岡−興津間でビールを飲む人 クリス・・マス・・・
日本語なのになぜか通じる 清水人、港にはしゃぐ
ときどき、そこの日本人ども聴いてるか?と声かけてくれた、ガイドのおっちゃん ブラームスのピアノで猫ふんじゃった弾いてみた
クマー 奮闘する空港まで電車組

その16 C. A さん

 出発直前の10月31日は同居の義母の100歳の誕生日でした。
義妹たちが泊りでお祝いに来てくれたり、家族での祝賀会も予定していたので、それらの準備や手配などでとても練習や旅支度の余裕がありませんでした。
前日の荷造りでパスポートを忘れそうになったりしながら準備を進めているうちに、ドイツに行くぞ!とその気になってきました。そんな状況の中で家族も暖かく送り出してくれ、みんなの思いを受け止めながらの出発となりました。

 教会での演奏会はとにかく寒かった!!!
けれど、神様のお陰(?)か、強力な助っ人が大勢参加してくださったこと等が、大きな力となり気持ち良く演奏することができました。
演奏後、ランチに行ったレストランで先生方にお会いし、ドンボア先生からサイン入りでクーラウの歴史に関する著書をいただきました。
ドイツ語で何も読めないのですが、我が家の家宝になりました。

 ハンブルグで街ブラをするつもりで中央駅近くに行ってみました。
市内観光のドライバーとガイドさんに誘われて乗ってみることになりました。ちょうど東京のハトバスのような90分コースです。
バスは空いていて、後ろの座席で写真を撮ったり、おしゃべりしたりしていると、「後ろの日本人、聞いてるかい?」と声をかけてくれ、楽しい市内観光ができました。
ガイドさんお勧めの店でハンブルグの郷土料理やドイツ料理を堪能しお腹も気分も満腹。

 一つくらいしっかり観光しようとブラームス博物館に行くことにしました。ブラームスが使ったというピアノを、弾いてもいいと言われピアニストの伴枝さんがアヴェマリアの伴奏をしてくれたので、みんなでフルートパートをハミングしてみました。ピアノを演奏している間、係の人がBGMを止めてくれたりととても親切にしていただき、貴重な思い出になりました。。

 歩き疲れて乗ったローカルバスでは、うまくドイツ語が通じなかったためか、降りるときにバス代を払おうとすると「いいから早く降りなさい」みたいなことを言われ、みんなで無料でバスに乗せてもらっちゃいました(ラッキー!)。
本当に楽しい一日でした。

 食事は、お肉・ポテト・ビール・・・お肉・ポテト・ビール・・・・・の毎日だったので羽田に着いた時は少しほっとした気分もありました。
家でも職場でもみんなで帰りを待っていてくれ、幸せな旅をさせていただいたと実感しております。

 初日から大変ご迷惑をおかけしてしまった石原先生はじめツアーのみなさま、たくさんたくさんお世話になりました。
本当にありがとうございました。

サインお願いします ユルツェン駅
わぁ!野菜だっ! 何の標識?
姉妹都市 平たい顔族,
ガイドさんと ブラームスのピアノで
クリスマス準備・サンタはまだ

第1日目 第2日目 第3日目 第4日目 第5日目 第6日目 第7日目 第8日目