トッシー先生のユルツェン『ルル』鑑賞ツアー同行記 (その7)
とうとう、オペラ『ルル』鑑賞の旅も最後の日を迎えた。今日は来たときと逆のコース、ハンブルクからフランクフルト乗り継ぎで羽田まで飛び帰国する。ホテルから歩いて4、5分のところに電車の駅(Berliner Tor)がある。そこから乗り換え無しで空港に行ける。空港までタクシー組と徒歩組とに分かれた。みんな、もう勝手知ったるハンブルクという具合に行動している。
オペラ『ルル』鑑賞の旅(2014年11月7日~11月14日)
ハンブルクから帰国編
その7 ハンブルクから帰国
午前中 ホテル チェックアウト、各自空港へ
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トッシー先生の7日目のエピローグ: この旅行中わたしゃ、ずっと考えていたね。何のことって?そりゃ、ルル王子のことだよ。今回のユルツェンのオペラ『ルル』の公演についてだよ。 同道記の4日目に紹介した新聞記事は「演奏会が行われた」ということを報道したことは認めるけど、内容はトンチンカンなものだったね。 |
ニーダーザクセン劇場によるフリードリヒ・クーラウのオペラ『ルル』の演奏会形式
殆ど200年にもわたって机の引き出しにしまわれていたことは、それなりの理由がある。今や同じテーマのモーツァルトの天才的な作品『魔笛』があるのにも関わらずクーラウのオペラ『ルル』を取り上げる必要があるのだろうか? フリードリヒ・クーラウは1786年ユルツェンで生まれ、1832年デンマークの首都の近くで没した。彼は転換期にいた。彼の音楽はこれに対してむしろ勇敢であったのだ。 イルメナウ劇場のプラカードにはニーダザクセン劇場のこの作品の上演は演奏会形式と書かれていた。ハノーヴァーとヒルデスハイムの客演家がいくつかの衣装と小道具を用いたことは、モーツアルトの『魔笛』の演出に負うものであろう。もしも『ルル』の完全な演出をしたら恐らくおかしなものとなっていただろう。それゆえこの解決策は妥当であり美しかった。 序曲は「盗賊団オルセン」を思い出させる。(訳注:デンマークで人気のあった映画のシリーズ、『妖精の丘』序曲に合わせて盗賊団が劇場の裏側で壁を壊すシーンがある)この音楽は映画にあるように金槌の音があったり静かになったりする。勿論、この作曲家の大好きなフルートのソロも用いられている。それに続く3時間の演奏は特に合唱や独唱者の歌詞の理解力が欠如していた。 王女シディのイヴォンヌ・プレントキは細い声で、輝かしくなく、ロマン的大編成のオーケストラに埋もれてしまった。彼女の英雄ルルのテナーのコンスタンティノス・クリロノモスには難しい高音域がしばしば現れたが、残念ながらその声は正しくは出ていなかった。それに対してバルカのヤン・クリストフ・シュリープは確実で目立っていた。母音が明るく広がっていたので歌詞が後の席にいてもよく分かった。悪者の魔法使い、ディルフェングのレヴェンテ・ギョルギーはバスバリトンの形にはまっていった。総じて音楽的魅力とは違うものである。 ヴェルナー・ザイツァーは力強く正確な指揮ぶりであった。オーケストラと歌声とのバランスは美しかった。ニーダーザクセン少女合唱団は鈴のような透き通った声だった。2013年のクーラウ・コンクールの優勝者、ララ・ヒュッテマンはルルの横に立ち魔法の笛を吹いたが最高に美しい音を聴かせた。 クーラウの音楽はどんな複雑なものであっても耳にこびりつかないし、こびりつく力が無いと言える。いくつかの箇所に美しい場面がある。こびとのバルカの「酒の歌」(「バッカスの腕に抱かれる者は天国に行ける」)。これにはオッフェンバッハを思わせる騒々しさとエスプリがある。このバッカスの腕は音楽的に興奮させ、再び清浄と無垢の神聖なるハッピーエンドの前に置かれるものである。 約400人の聴衆の拍手は友好的であったが控えめであった。快い大喝采はなかった。ニーダーザクセン劇場が引き受けたことは尊敬に値するが、何故この総譜が200年も眠り込んでいたかというそれなりの理由がある。 2014年11月9日 バーバラ・カイザー |
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