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トッシー先生のユルツェン『ルル』鑑賞ツアー同行記 (その5)


 いよいよユルツェンとお別れをする日がきた。今日はホテルから貸し切りバスでハンブルクに向かう。ハンブルクのホテルのチェックインは15:00。一先ず荷物を預け、それまで各自自由行動となった。短縮コースの3人はハンブルクのホテルから空港に行くのでそこでお別れだ。タクシーに乗った3人をホテルの玄関で見送ってそれぞれ市内に散らばった。
 ハンブルクは中世以来自由都市として発展してきた。ベルリンに次ぐドイツで2番目の都市で経済、芸術共に盛んな町である。第二次世界大戦では壊滅的な破壊を受けたため古い建物はあまり見られず、近代的な建物が立ち並ぶ。
 管理人はハンブルクはすでに何回か来ているという。クーラウが音楽家としてデビューして10年近く住んだ町だから何か残っているのではないか嗅ぎまわったが無駄に終わったらしい。ブスクさんは昔、博士論文を書くときにハンブルクに来て1週間ばかり図書館に通い、当時の新聞をくまなく閲覧してクーラウの演奏活動を調べている。このように研究なんて地味な仕事なんだよ。参考資料とし「ハンブルクのクーラウ」を見るといいよ。
 ユルツェンには「クーラウ通り」という場所があるが、ハンブルクにはそんなものは無い。ハンブルクにはブラームス博物館、メンデルスゾーンの記念碑がある。その他テレマン、エマヌエル・バッハはこの町の音楽監督として活躍した。その後継者がクーラウの作曲の師であるシュヴェンケだ。管理人は昨年ハンブルクに来たとき偶然に入った図書館でシュヴェンケのピアノソナタと遭遇したそうだ。聴きたい人はここをクリックするといいよ。

 そんなことを考えながら町の中心に向かって歩いていたら突然後方から「トッシー先生大変です!」という声が走ってきた。何が大変だったかは写真を見ると分かる。


オペラ『ルル』鑑賞の旅(2014年11月7日~11月14日)


ハンブルク自由行動編


その5 ユルツェンからハンブルクへ

10:00 専用バス ハンブルクへ

お世話になりました 外国でよく見られるシーン
朝から元気 高速道路でハンブルクへ
ハンブルクの町 エルベ川
ハンブルク中央駅 町中
宿泊ホテル、WYNDHAM GARDEN HOTEL ホテル玄関の熊さん

11:00 ハンブル/ホテル着 (ホテルチェックインは15;00〜)

短縮コースの人は各自空港へ

ショートコースの3人の見送り いよいよお別れ
さようなら、また日本でね・・・ エンタテイナーが去り急に静寂が----

自由行動

ここで「トッシー先生大変です!」という声が・・・の続きのシーン
 ショートコースの3人がタクシーで空港に向かったあと(30分ぐらい後)、ホテルのロビーにバッグが発見されたのだ。このバッグは確かにYさんの持ち物だと覚えていた人が「大変だ!」と言って町を歩いているトッシー先生を追っかけてきたんだよ。わたしゃ、この話を聞いてフランクフルト空港の事件を思い出したね。「やれやれ、また一走りしなけりゃならないな〜」ってね。もしも3人が搭乗手続きを済まして中に入ってしまったらアウト。すぐさまバッグを受け取り走っているタクシーを捕まえて空港へ(この時Oさんがお手伝いしますと言ってくれたので一緒に)。
いそげ空港へ いるいる
「また会えて嬉しいでしょう」などと言うかも・・・ 「ようこそ」がYさんの言葉だったよ。
確かに渡したよ 何があっても落ち込まない
このバッグが元凶 それじゃバイバイ・・・もう子分に持たせている
 かくして貴重な時間を邪魔されたね。ホテルに戻ったらすでにチェックイン可能となっていた。管理人に頼まれている報告の仕事もあり、しばらく没頭した。その夜はハンブルク・オペラ劇場での催しはバレエ「タチアナ」である。事前の調べではこのバレエがどんなものかよく分からなかった。しかも、旅行社から入場券の手配をしてもらうと手数料を入れて高額なものとなる。当日券で観たくなったら行こうということにしていた。インターネットで当日券を調べたらまだいくらか残っている。出かけることにした。

 タチアナとはプーシキンの韻文小節「イフゲニー・オネーギン」のヒロインの名前である。チャイコフスキーはこの作品からオペラを作曲した。しかし、今日のバレエはチャイコフスキーとは関係が無い。
  ジョン・ノイマイヤー(John Neumeier、1939年2月24日~-米国出身のバレエダンサー・振付家。1973年よりハンブルク・バレエ団の芸術監督)振り付けによるモダンバレエである。作曲はレーラ・アウエルバッハ(Lera Auerbach, 1973年10月21日 -旧ソ連出身の作曲家、ピアニスト、作家。東欧系ユダヤ系ロシア人)。

 バレエ、音楽の斬新さは興味深かったが、この物語を頭に入れていたらもっと面白かっただろう。ぬいぐるみを抱いて舞台を転がるのを見て、「なんじゃ、あれは?」なんて考えていてはけないね。観劇する前の事前勉強の不足をお思い知らされたよ。しかし、大ホール満席に近い聴衆、客層、拍手をみてさすがヨーロッパ屈指の劇場という感想を抱いた。

ここでユルツェンで分かれたジネヴラ・ペトルッチさんと浅田麻耶さんとばったり会った。

 

 さて、『ルル』の批評に関してインターネットに掲載されたページがある。Ute Lange=Brachmannさんから知らされたものである。この執筆者はウーテさんのやることに常に批判的であるという。これはユルツェン近辺の情報を提供するインターネット・マガジンである。ここに掲げるのは現在インターネットに掲載されているページである。最初に掲載された文章と変更された箇所がある。


フルートを持った英雄
ニーダーザクセン劇場によるフリードリヒ・クーラウのオペラ『ルル』の演奏会形式

 殆ど200年にもわたって机の引き出しにしまわれていたことは、それなりの理由がある。今や同じテーマのモーツァルトの天才的な作品『魔笛』があるのにも関わらずクーラウのオペラ『ルル』を取り上げる必要があろうか?
 しかしながらニーダーザクセン劇場はユルツェンの息子の楽譜のホコリを取り払い上演することを決めた。恐らく元この町の文化担当、現文化省の責任者のウーテ・ランゲ=ブラッハマンの圧力によって行われることになったものであろう。

で始まる文章の赤字箇所は現在削除されているが(初めはこの文章が掲載されていた)、偏見に満ちていると言える書き出しだ。追って全文を翻訳するが読みたい人は次のURLをご覧頂きたい。
トップページはhttp://www.barftgaans.de/
このページは
http://www.barftgaans.de/feuilleton/der-held-mit-der-floete/
ここにはウーテさんの反論も載っている。


トッシー先生の5日目のエピローグ:
 いや〜、旅行するといろんな事があるね。カギを持たずに部屋から出てしまったなどは初日から起きた。忘れ物、勘違いなどしょっちゅうだ。今回は盗難の被害はまだ出ていない。みんな無事で日本に着いてほしい。わたしゃ日本を出る前にこの同道記を毎日アップしようと思っていた。でもね、いろんな事が起きるんでそれどころじゃなかったんだよ。鞄の中には吉川英治の「新・平家物語」第11巻を忍ばせていた。毎月1冊ずつ刊行されているもので、出ると一日で読んでしまうくらいのものだ。それが旅行中手がつかない。
 そんじゃ。今日はこのへんで。あしたはあしたの風が吹く〜。

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