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トッシー先生のユルツェン『ルル』鑑賞ツアー同行記 (その4)


 昨日までにこのツアーの2つの重要なイベントが終わった。今日はのんびりと自由時間を過ごそうという日だ。日本を出発の前にユルツェンの人たちからリューネブルク観光を薦められていた。そこでみんなで行くことになった。リューネブルクはクーラウと大いに関係がある。7歳の時にユルツェンからこの町に引っ越した。そしてそこで右目を失う事故に遭ったのだ。この時の話はトラーネの「クーラウ伝記」に出ている。しかしその町の足跡をたどることは現在では難しい。クーラウの幼少時代に関して不明なことが多いからだ。リューネブルクはユルツェンから列車で25分ぐらいの距離である。この町はクーラウのことよりもヨハン・セバスチャン・バッハのことで有名だ。バッハは1700年春、リューネブルクの聖ミヒャエル教会の聖歌隊に入り教会附属の学校に入った。聖ミヒャエル教会は一般の子弟を教えるミヒャエル学校と騎士学院という二つの学校をもっていたが、バッハのような給費生は騎士学院に入った。1703年ヴァイマールの宮廷楽団に就職するまでの期間だから約3年ということになる。
 クーラウがリューネブルクに来たのはそれよりも約90年後のことだ。今日リューネブルクの町を歩いて靴屋さんが多いことに驚いた。クーラウが右目を失う事故に遭った靴屋さんはどこだろうと探したって見つかるはずはない。何せ今から200年ぐらい前の話なんだから。今日はリューネブルクの写真集と言うことになるかも。

そうだ、出発前にユルツェンの町を散策したした写真もご紹介しよう。



オペラ『ルル』鑑賞の旅(2014年11月7日~11月14日)


自由行動編


その4a 自由行動(ユルツェンの朝の散歩)   


その4b 自由行動(リューネブルク)  

リューネブルク駅 駅から町中へ
   
  水道塔
   
カメラを向けると演技せずにはいられないYさん  
  家がみんな三角帽子をかぶっている
残念ながらクーラウ広場ではない ミヒャエル教会
ミヒャエル教会礼拝堂 礼拝堂内
ユルツェン行き、帰りの列車の時間 来た
来た来た 来た来た来た、私鉄/メトロノーム

『ルル』公演の翌日の新聞評(Allgemeine Lüneburgerheide 紙) 読んでびっくり!口をあんぐり!


フルートの音色はお伽噺を物語る
クーラウのオペラ『ルル』が作曲家の生まれた町で演奏された
 ユルツェン:「今日はクーラウの生まれた町、ユルツェンにおいて行われた彼の演奏で最も衝撃的なものだったことは確かであると私は思います。」とユルツェン文化省の責任者ウーテ・ランゲ=ブラッハマンさんはユルツェンのイルメナウ劇場で行われたクーラウのロマンティック・オペラ『ルル』の演奏後に言っています。このオペラ上演の企画は15年の時間がかかりました。多くのスポンサーとヴェルナー・ザイツァー氏のプロジェクトを押し進めた勇気がこの初演を可能にしたのです。土曜日の夜の演奏会には日本、ドイツ、リヒテンシュタイン、イタリア、スイスからインターナショナル・フリードリヒ・クーラウ協会の器楽奏者がオーケストラに加わりました。500人の聴衆が文化省の担当者ビルテ・エバーマンさんから案内されました。本来は5時間かかるオペラですが休憩を入れて3時間に短縮されました。
 オーケストラの序曲が鳴り響きました。力強い和音、優しい繰り返し、静かな響き。暗い悪魔的な音楽が聞こえなくなると当時のイタリアオペラ思わせるようなトライアングルが鳴り響きます。そして木管楽器の特殊な音色が聞こえてきます。静かな拍手の内に幕が上がり、原始林のような景色が現れその後ろにはコーラスが控えています。そして譜面台が舞台に立っています。なぜなら舞台情景や衣装、大道具、小道具を用いない演奏会形式だからです。
 物語は力強く、表現豊かな素晴らしいソリストたちによって進行しました。発声も素晴らしいテクニックを見せ、バリトンやバスに対して透明なソプラノ。王子ルルは高音域で輝かしさを示しました。第3幕の導入は低音弦楽器のトリルによって嵐が近づく事を予感させます。シディの不安は嘆くようなコロラトゥーラのアリアによって表現されます。歌われるダイアローグ(対話)が続き、魔法の笛の力が挿入されます。2013年第13回インターナショナル・クーラウ・フルートコンクールの優勝者、ララ・ヒュッテマンさんの素晴らしいフルートです。フルートは『ルル』においてモーツァルトの『魔笛』よりも中心的役割を持っていることが常に思い出されます。最後には善者が勝ち拍手のうちに終わりました。(ウーテ・パウチュ=ルドルフス)

トッシー先生の4日目のエピローグ:
 上記の新聞評はウーテ・ランゲ=ブラッハマンさんが「お馬鹿さんが書いたものです」と言って管理人に渡されたもの。これを見せてもらって、わたしゃ驚いた。なんたって我がツアーのご一行がオーケストラで演奏したことになっている。ご丁寧にツアーのメンバーの出身地まで書いている。オーケストラの写真の下にも「日本、リヒテンシュタイン、イタリア、ドイツ、スイスから来た25名の器楽奏者がオーケストラに座っている」と重ねて間違った報道をしている。書いた本人はこの演奏会を聴いているのかね?
 このオペラはジングシュピールで対話は歌われない。第3幕の導入はトリルでなくトレモロだよ。こんな評論が横行しているとは残念なことだ。
 しかし、これはドイツだけでなく日本の場合だって同じだ。音楽批評というものは得てしてこんなものかも知れない。わたしゃ昔から音楽批評って言うものはきらいでね。言葉で音楽を表現しようとしても表面的なことしか言えない。「美しい音」と言ったって聴かなきゃどんな音かわかんない。評論家は筆の怖さを知っている。だから、うっかり悪評は書かないものだ。演奏家は批評が良ければのぼせ上がり、悪ければ落ち込む。悪い批評は黙殺するが、良い批評は自分の経歴に取り入れる。「どこそこで好評を博した」などと言うのは信じない方がよい。
今度の『ルル』公演に対しての正当なる評価の批評があれば読みたい。しかし、無理なことだと思うよ。正当なる批評なんてあり得ないのだから。人が「感動した」と言ったって優れたものとは限らない。「感動」とは個人的なものなんだからね。

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