第2回クーラウ詣りツアー・参加者の声

このツアーに参加した人にはそれぞれいろいろな思いがあったであろう。 アンケートに答えて下さった方々を紹介する。このツアーをいろいろな角度から眺めた文章である。

その1

その2

その3

その4

その5

その6

ツアー参加者の声


佐藤伸さん ・・・・・・・・・・・・・「いとしき旅の余熱」

吉川よう子さん ・・・・・・・・・・・「第2回クーラウ詣り紀行」

匿名希望さん ・・・・・・・・・・・・「熱き思い」

T.H.さん ・・・・・・・・・・・・・・「最も心に残った思い出」

犬塚十糸子さん ・・・・・・・・・・・「印象に残ったこと」

清水のちびまるこ「まるちゃん」 ・・・「クーラウ詣りの思い出」

青島悦さん ・・・・・・・・・・・・・「クーラウ詣りの旅」

河合文子さん・・・・・・・・・・・・・「愛がある・感動がある・人生がある」


佐藤伸

「いとしき旅の余熱」

 6月16日深夜、富山市内で石原先生とお会いした。その数日前、たまたま電話した際に、富山でレッスンということを聞いたので、押し掛けた次第である。魔性のものに憑かれたのだろうか。今日は、全てを忘れたかのように深夜の高速道路をとばした。金沢から富山まで30分で着いてしまった。自制を失った罰か、途中、自動取締機の赤いレーザーが走った。免許取得後、運良く一度もペナルティをはらったことがなかったが、恐らく今度こそは引っかかったでありましょう。これも、石原先生に初めてお目にかかって以来、はや20年近く、長年の楽恩のなせる因業かもしれない。道楽なのだから、コストがかかるのは必定か。小生からのぶしつけ極まるお願い事も先生にさせていただいたが、第2回クーラウ詣りの文集を作るとの先生のお話に、早速、筆をとっている次第である。
 第1回ツアーは、仕事でどうにも都合がつかず、参加できなかった。第2回ツアーは、無邪気な好奇心から、何がなんでも参加しようということで、休暇届を出した。が、休暇が長すぎる、短縮せよと上司に迫られた。しかし、怯まず、この演奏旅行は私がステージマスターであり、私の参加如何に、このツアーの成否がかかっているのだと大法螺を吹いて、ようやく休暇を勝ち取り参加できた。帰国後、職場に席がなくなっているのではと、大いに気になったが、本日現在、まだ勤務続行中である。どう逆立ちしても。いてもいなくてもいいメンバーな訳だが、仕事に追いまくられる日常の逃避先として、身に過ぎたる旅を満喫できたのは、間違いのないことで、最高だった。
 以前にも書いたことがあるが、スキポール空港では、往路、復路ともスロットにお世話になった。世界一、大スキな空港でございます。ありがとう。一方、コペン市内のカジノは酷かった。ついでに、その手の女性陣にも毟られて、散々。熱戦二晩に及んだが、大敗。二晩とも、閉店の朝4時近くまで踏ん張ったものの、運気、来たらず。タクシーにも乗れず、トボトボ歩きの、紫に明ける肌寒の宿舎までの道筋を今でも忘れない。王立音楽院前、市役所前、チボリ公園前そしてコペン駅で日経新聞を買って宿舎にたどり着く。
 市内はコペン第一夜からよく歩いた。夜の到着だったので、部屋にはいるまでは、すぐに寝るつもりだった。が、思い直してホテルを抜け出ると、左側に怪しい店が並んでいる。もちろん、はしごで見学してしまった。さらに、逆方向に回れ右するとチボリで歓迎の花火が上がっている。その先に行くと、広場があって、そこを市役所広場と知ったのは、翌日のこと。その広場を突っ切ってドンドン行くとコンビニがあった。このコンビニのワゴンに並んでいた青リンゴを買って、広場で丸囓り。最近、日本では見かけなくなった青リンゴだが、こども時分に、生家の裏畑にあったリンゴの木から採れ立てを頬張ったことを思い出して懐かしかった。でも、日本のものよりモコモコして果汁が足りないかな。ところで、一週間程のちに、このコンビニ前で残り少なくなったメンバーとともに野外演奏することになるとは、その時は思いも寄らないことだった。
 なおも、ズンズン行くと、とうとう日本大使館についてしまった。第一夜はここから引き返して、さすがにグッスリ寝た。その後も、ほとんど毎早朝、散歩に出かけたが、お気に入りは女王様の銅像のあるバラ園。最終日に近づいたある日、このバラ園に入らずに、すぐその裏の日陰の遊歩道上で、お別れの挨拶を各自しあったのを覚えている方がいるやら、いないやら。
 演奏会のリハーサルで、演奏中には指揮者を見ろと、トーケ先生に注意された。トーケ先生の勝利である。申し訳ないが、暗譜していない私としては、これでノイズもグーの音も出せなくなった。トーケ先生には、「どうだ参ったか」というふうでニコニコしている。
 彫刻館ホールでの演奏会では、国宝ものだという大彫刻の台座の上についつい笛を繰り返し置いて注意されてしまった。これが、仏像だったら、そうしなかったと思うのだが、スミマセン。
 また、幾度か石原先生に申し入れた、サイコロを聴衆に振ってもらっての楽譜張替え演奏は、聴衆に大受けだったと思う。
 そう言えば、例のコンビニ前の大道演奏後、残されたクラビノーヴァの番を一人でしていると、もう終わったのか「何かやってよ」とせがまれた。実際、青山フルートオーケストラの現地の人気・評価はどうだったのだろうか。
 日が経つにつれて、ゆきずりのティーンエージャーからも、元気?とか楽しんでいる?とか、ユー・アー・マイフレンドとか声をよくかけてもらったけど、あれはどういうことだったのだろう。町の人気者になったような気がして、とても楽しい気分でいた記憶が残っている。単に、勘違いかも知れないが、それはそれでいいか。
 青果・花市場、魚市場、農業者理事会、等々仕事ネタの探索方も行なった。これには、語学力が徹底的に不足したため、大使館の農務官(一等書記官)の力を借りてしまった。大変お世話様でした。
 思い出の尽きない旅だったけれど、個人的なクライマックスは、チボリ公園でのフェアウエル・パーティの後。その日は、偶然、その年の同公園の閉幕日だったけれど、ジャズのビッグバンド演奏も最高潮!お調子者の私は、ついつい、恐らくは20年ぶりぐらいの怪しいシングルステップを踏み出してしまった。そして、しばらくして出てきてくれたチャーミングな老婦人とのジルバ。私が背負っていた笛の入ったデイバッグは、そのご婦人がそっと植え込みに置いてくれた。乱暴すぎるリードで、これまたゴメンナサイ。でも、ここでも、万雷の暖かな拍手をもらえんたんです。
 ところで、最近、一人で残業していると、ワルツのシャドウステップをしてしまうのはなぜだろう。
 あの旅の余熱に、まだ浮かされているのだろうか?
おまけ
 この旅の1~2年前に、スコットランドの北方洋上にあるデンマーク自治領フェロー諸島沖で、鹿児島船を含む日本漁船によるマグロ(ブルーフィンと呼ばれる大西洋本まぐろ)の大漁があった。北極が近いその海域は、表層の大冷水塊が深海底に沈み込む場所に近く、冷水塊の勢いが衰えた時に、たまたまメキシコ湾暖流に乗ったマグロがその海域に辿り着く。ちなみに、一説によれば、沈み込んだ大冷水塊が再び海上に浮上するのは、地球の海底をグルッとまわって、北太平洋上だそうな。いったい、何年かかってのことかは申し訳ないが忘れてしまった。
 現在の職場に世話になって、四半世紀。マグロ漁業界・業者にも相当世話になったし、最遠方・最北辺の漁場を是非見てみたいという思いも強かった。
 ツアーを離れてオプショナル一泊二日フェロー単独行を個人的に企んでいたのだが、これは断念せざるを得なかった。これは、職を辞した時の楽しみにでも、とっておこう。
 青山フルートオーケストラの次の海外遠征先は、一体、どこなのでしょうか。
 ウイーン街頭での肝試し大会か、はたまた北ドイツか。
 私は、次回、誘ってもらえるか、どうかを心配したほうがよさそうだ。
最後に
 最近、石原先生は、10年後くらいのうちには必ず訪れるであろう、ご自身の引退後の事を、念頭に、クーラウをはじめとする時間の闇に埋没してしてしまった作曲家の作品に目をむけた音楽財団の立ち上げに注力中とのこと。このツアーに参加された皆さんの多くも、先生の懇篤な説得・勧誘に負けて、きっと浄財を提供してしまうことでしょう。
 お人好しが服を着て歩いているようだとよく人にいわれる私は、今夜、早速、先生の餌食になってしまった。
 くわえて、今夜のスピード違反は高くつきそうだ。
 祈!交通安全!
 SO LONG!!

吉川よう子

「第2回クーラウ詣り紀行」

 1996年第1回クーラウ詣り。すがすがしいデンマークの空気に触れ、素晴らしいクーラウの音楽に囲まれて、感動的な旅となりました。
 そして、1998年第2回クーラウ詣りにまたご一緒することができました。今回は恐れ多くも実行委員を任せられ、不安ながらも細々とお手伝いさせて頂きました。念入りに打ち合わせが行われ、着々と準備がされていきました。「なるほど、この実行委員の方々のおかげで、私たちは安心して旅立つことができるんだ」と痛感いたしました。
 いよいよ出発です。前回は私にとって初めての海外旅行で、思い返してみると大半が観光旅行気分でした。今回は、フルートを吹きに行く、勉強の旅にしようという気持ちでデンマークに向かいました。10何時間という長い時間を経て、無事到着です。一週間程前に到着されていた石原先生が暖かく出迎えて下さいました。デンマークは2年前と同様で、空気も街並みも変わることなく所在していて、また来れたんだなあとうれしく実感しました。
 今回の旅行内容はクーラウのお墓でのフルート演奏から始まり、観光ツアー、音楽鑑賞、ブスク先生のレクチャー、トーケ先生のレッスン、アドリアン先生の公開レッスン、そして演奏会と前回と同様、盛り沢山でした。
 まずは、クーラウのお墓参りです。墓前演奏は、到着後初めて吹くということと、野外ということもあって少々戸惑いもあったようにも思いますが、皆で心を込めて演奏しました。そしてお線香ではなく「たばこ」をお供えしました。クーラウはたばこがとても好きだったそうです。現代の日本のタバコは、クーラウのお口に合ったでしょうか?喜んでくれたものと信じております。
 この日の夜には「Elverskud」鑑賞、次の日の夜には「Napoli」鑑賞があり、特にバレー「Napoli」は王立劇場で行われ、軽やかなバレーとキレイな衣装で内容も面白く大満足でした。
 そして今回最大の目的は、ゴールデンデイズ・フェスティヴァルに参加するということです。プログラムには我ら「クーラウ・メモリアル・フルート・アンサンブル・アオヤマ」の名前が輝いていました。曲目はクーラウ作曲「妖精の丘」序曲とバレー音楽。石原先生編曲カライドアクスティコン「クーラウイアーナ」です。演奏会場はトーヴァルセン美術館大ホールで、大きな彫刻がいくつも置いてありました。とても響くホールで(お風呂場の様)、最初は戸惑いました。練習しているうちに慣れてきて、本番では気持ちの良い響きとなり大成功に終わりました。
 この演奏会で「ジャンヌ・トムセン」というフルーティストとご一緒しました。若くて美しく背が高い女性の方です。この方とはトーケ先生のお宅で初めてお会いし、フルートを拝聴させて頂いたのですが、パワフルな太い音とやわらかなppの音、そして完璧なテクニック----と圧倒されてしまいました。演奏されたライネッケ:そなた「ウンディーヌ」を聴くと今でも彼女のことが思い出されます。
 それからもう1つ。本番前に私たちはトーケ先生に作曲するようにと紙を渡されました。4小節ぐらいのものです。それは回収され、本番で抽選され、当たった曲をトーケ先生が即興で演奏されました。曲はおそらく皆さんご存知のチャルメラでした。トーケ先生は見事に演奏され、それはとても幻想的なチャルメラでした。
 2日後、今度はトーヴァルセン美術館前にある野外ステージで日本の曲などを演奏しました。デンマークの方達は、ちょっとめずらしい曲に喜んでいただけたでしょうか。この日はとても寒かったです。
 ツアーの終わり近く、恒例の大道芸を行いました。この日は天気が曇りで、吹く頃には雨が降り出してしまい、仕方なく断念かと思っていると小降りになり、意を決して吹き始めるとなんと雨が上がってくれました。石原先生の力!?----天気は私たちの味方をしてくれたのです。お陰で思いきり吹くことが出来て、たくさんの人が集まり私達の演奏を聴いてくれました。またまた大成功でした。
 お世話になった3人の先生方は、私達をとても暖かく迎えて下さいました。いつも熱心なレクチャーをして下さるブスク先生。今回初めてお会いしたアドリアン先生。とても穏やかな方で公開レッスンではいろいろとお世話をして下さいました。そして、今回もレッスンをして下さったトーケ先生。レッスン場所がトーケ先生のご自宅だったので、何度か通わせていただきまいした。他の人のレッスンを聴講したり、地下の部屋をかりて練習したり、近所でピザを買ってきて皆で食べたり----とアットホームで充実した時間を過ごせました。
 ツアー最終日、フルート四重奏のコンサートがありました。出演は、アドリアンご夫妻、トーケ先生そして石原先生とピアノの小埜寺美樹さんです。なんとも豪華なお顔ぶれで、石原先生のりりしいお姿が拝見でき、そして素晴らしいフルートカルテットの響きを聴くことが出来ました。
 その夜、チボリ公園のレストランでお別れパーティが行われました。この日はチボリ公園の最終日らしく、大勢人がいてにぎやかでした。すれちがった人がチケットをくれたのでアトラクションに乗ることにしました。行列をつくていたなんだか不気味な乗り物や3、4周もするジェットコースターなど、皆大はしゃぎでした。パーティでは、お疲れさまでしたと始終なごやかな時間を過ごしました。第1回、第2回と参加させて頂きまして、とても貴重な体験が出来て、良い勉強の場となりました。そして、石原先生をはじめご一緒した皆様と楽しい時を過ごせて幸せに思います。大切な思い出が出来ました。ありがとうございました。

匿名希望さん

「熱き思い」

第1弾
 「9月12日北シェラン島観光」フルート落ちこぼれ生がこのツアーに参加したのは、この日程があったから、いやむしろ事前に半ば参加の交換条件として日程に入れて頂いたと言っても良いかも知れません。
 聖書と共にいつの間にか座右の書となった『Hamlet, Prince of Denmark』。その舞台となった城、クロンボルグ城、ハムレットに陶酔していた少女時代。父がヨーロッパからのおみやげとして買ってきてくれたタピストリー。まさに今、そこに私がいるのでした。しかし、何故か感動を通り越し、無機質になっていました。
 9月17日終日フリータイム、何か大きな力に導かれ、いつか、エルノシア行きの列車に乗っているのでした。コペンハーゲン中央駅から50分、再び私は城の前に立ちました。掘りには優雅に遊ぶ白鳥、その動きと共に、波紋が城の影をゆらしながら広がって行きます。時の流れがその存在を消してしまいそうなシェイクスピアのレリーフ、憂愁に響く鐘の音、かって名優達が演じた舞台跡、今でも領海を見守る様に海を見据えている砲台、等々。目にするもの1つ1つが過去の記憶や、思い出をたどりながら心に織り込まれ、新しいシーンとなって織り上がっていったのです。
 今ではすっかり色あせてしまったタピストリー、ふと見やると、再び新しい魂が降臨した様に見えたのでした。
第2弾
 旅行会社のツアーでは、寄ることも少なく地味で質素な城であるが、思いのある者にとっては、これだけでこのツアーに参加した意味があるというもの(先生ごめんなさい)。しかも、一人でゆっくり訪れ、感慨にひたるのです。
 コペンハーゲン9番線より、ヘルシンガー(エルシノア)行。終点車両はデラックスで窓は大きく、景色も見やすく、ゆったりとしている。田園風景、雑木林、遠くに海が見えると、約50分で到着。バスもあるが徒歩15分位で城へ着く。掘りにかかる橋の左側に、小さなみやげ物屋に注目。ハムレット、クロンボルググッズが盛り沢山。私はここで「墓掘りの場」道化ヨーリックのされこうべを片手に思いにふけるハムレット像の付いたワイン栓をget!なかなかのレア物でした。掘りに浮かぶ白鳥が幽玄さを醸し、又、12時に鳴る鐘の音は、亡霊の出現を思わせるにふさわしい。また海洋博物館もある。きらびやかでない分、各々、感性にまかせるとしましょう。城内をひと通り回ったら、城を背に対岸のスエーデンを眺めながら昼食をとるのも良い。右手に城壁ぞいに進むと、ハムレットとオフィーリアの像があるが、これは、ハムレットを愛する者は見ない方が良い。城壁に手を押しあて別れを告げたら、帰りにはフェリーに乗り、スエーデンに向かう。何とハヌレット号なるものがある。海から城の眺めは本当に美しい。青い空と海。その城の姿は、優雅で高貴、貴婦人がドレスのすそを海にひくがごとくとも言うべきか。このアングルが最高!!
 フェリーと言えば、清潔で大きな船で、中には売店もある。スエーデン側から、朝市らしきものに買い出しに来る様で船には荷物を沢山背負った人や、シクラメンの鉢を沢山かかえた白髪の夫人達と出会った。これからの長い冬を、この花をながめながら春の訪れを待ちこがれるのでしょうか?
 *クロンボルグ城を訪れる際にはちょっと古いのですがローレンス・オリビエの映画「ハムレット」を見てから行くと参考になるかも知れません。(この城が忠実に描かれています)

T.H.さん

「わあ~すごい」、トーバルセン美術館演奏会当日美術館を訪れた時の最初の一言です。見上げる程、大きな彫像がいくつも並び、その間に作られた仮舞台。私達は今日ここで演奏するのです。こんな事、日本ではあるでしょうか?ヨーロッパではこんなにも音楽が日常的なのですね。
 フルート歴2年だった私は、当然、後ろのポジションでした。でも会が始まり、トーケ先生のタクトがおりた瞬間、胸はドキドキ、手はガタガタ、口びるはブルブル、自分の演奏に関しては今でも心残りですが、このトーバルセン美術館で白いブラウスと黒いロングスカートに身を包み、初めてのフルートオーケストラに参加させていただいた事が今でも鮮烈に残っている最大の思い出です。

犬塚十糸子さん

「印象に残ったこと」

 デンマークへの旅は「クーラウ詣り」と言うテーマがあり、今まで数回行った観光旅行とは違った感慨がありました。
*クーラウの墓前での演奏
*ストロイエ通りを歩き店でデンマーク人に日本語で話しかけられたこと
*トーバルセン美術館で美術品に囲まれた演奏会
*世界最古のパイプオルガンの演奏を聴いたことetc.
 クーラウの思い、石原先生の思いが伝わってくるような素晴らしい旅行でした。一生忘れられない旅行でした。

清水のちびまるこ「まるちゃん」

「クーラウ詣りの思い出」

3大取得物
* トーケ氏宅の、サンドイッチ。
* アドリアン氏のサイン。
* 石原先生のアイスクリーム。
3大修得物
* 「デンマーク人の国民性 」
* 「デンマーク人の意識の高さ」
* 「デンマーク人の社会性」です。
デンマーク人は
「自分たちにとって、何が1番大切なものか」
ということをしっかり考えている国民だと思います。そして それを選択できる人たちだと思います。うらやましい限りです。
「自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかと言う事じゃよ」ダンブルドアより。

青島悦さん

「クーラウ詣りの旅」静岡県フルート協会会報No.16号,17号掲載文

クーラウ詣りの旅・・・・・コペンハーゲンのフルート
フルート協会理事会員No.6 青島 悦
 私の国立音大の師匠・石原利矩先生(県フルート・協会特別会員)は、フルーティストにとってなくてはならない作曲家クーラウの研究をライフワークにしています。
 師匠は、何度もデンマークを訪れていて、そのうち「コンサートをやろう」ということになり、2年前に第1回、そして今年は第2回目の旅となりました。9月10日~22日の日程でしたが、私は遅れて行って、早く帰ってきました。コペンハーゲンでのホテルは、移動なしのフルート三昧・音楽三昧+ちょっと観光。参加者は35名。さてさて、どんな旅だったのでしょうか。
『コペンハーゲンでの一生活』
 夏休み中、デンマーク公演の事前練習があり、旅の情報は少しはあったが、オーダーメイドの旅のため、地方にいる私たちにはどんな旅になるのかよくわかっていなかった。
 9月12日。遅れ組6人(2人九州・3人静岡・1人東京)は、早朝成田で再会しスムーズKLM機(オランダ航空)に乗り込み快適な空の旅。KLMのサービスは適当で、スマートでなかなかよい。機内は夜は冷えるし乾燥している。そんな時の夜食にカップヌードルは気がきいていた。
 直行便ではないので、オランダ・スキポール空港に降りた。これが、上位ランキングの空港か?うなづける、よく整った便利な空港だ、とは言え…4時間待ちは長い。ついに男性の佐藤さんが空港内のカジノヘ走った。な、な、なんと、大当たりで『6万円』ももうけた。もしかして、私たちにも…と後に続いたが、すべてハズレ。でもここで十分楽しんだあと、ホテルで食べるくだもの等を買ってコペンハーゲンヘ向かった。
 着いたのは夜9時頃で、雨が振っていてコートがいる寒さ。6人一緒にワゴンタクシーに乗り、ホテルへ。(タクシー代は、当然佐藤さん払い)
 トイレ・シャワー付の平均的ホテルだったが、ドライヤーが付いているのに、歯ブラシ・石鹸が付いていない。外国ではこんなことがよくある。
 言葉はデンマーク語だが、文字も発音もドイツ語に近く、ドイツ語はよく通じる。もちろん英語だって。
 気候は、日本の11月中旬、コートやセーターの時期。夜は冷える。雨もよく降る。ツアーでないため、食事は朝食以外は自分たちで何とかする。
 通貨はクローネ(1クローネ=20円)。このクローネ。集含時間に遅れると1分1クローネの罰金制度がとられた。35名が予定通りに事を運ぶ為には、これは、とても良い方法だった。おかげで、あいちゃん(ブタの貯金箱)は帰るころまでには、ずっしり重くなっていった。
 コペンハーゲンの物価は…高い。人件費がかかるのだろう。ケーキセット1,000円、ランチメニュー2,000円~位だ。なぜか野菜が料理に少ない。露天マーケットでくだものやトマトを買うことにした。だからナイフやスプーンも必要。2回目の人は、なんと電気炊飯器、お米、電気ポットetcをトランクに入れてきた。(分担したようだ。)
 朝おにぎりにしておく。又帰っで来て炊き込みごはん。寒い時は、日本茶、カップメン。野莱を買っておき、サラダや即席つけもの…『何も、外国にまで行ってそこまでしなくても…』と思うだろうが、これが一番良い方法だった。スケジュールはいっばい。レッスンは夜9時までだったり、コンサートは夜8時~12時。外は寒い。朝食のバイキングのチーズやハムがおいしいと感じるのはせいぜい2日…
 日本食をたくさん持って行った私も正解だった。何も用意していかなかった人は本当に厳しかった。音大生は、おにぎり1個いくら、味噌汁1杯いくら…とホテルの中で販売を始めた。そしてこれがよく売れた。
 市内・市外への電車・バスも、1人行動できない人は苦労した。学生たちは、レンタサイクルを借りて、自由に動いていた。フリータイムには、スウェーデンの方まで観光に行く人、コペンハーゲンの町を毎日歩く人、童話作家アンデルセンの生地オーデンセーへ行く人、etc…皆、思い思いの行動をしていた。(レッスンを受講・聴講しない人は十分時間があった。)
 私は、期間が短いため忙しかったが、最後の日、ストロイエ通り(日本の銀座)の真中にある教会で、昼のミサとその後のパイプオルガンの響きにひたり、人間の魂の部分にずし~んとくるその音にヨーロッパを感じた。
 市内観光は、全員専用バス、日本人ガイド付きで3時間くらいで回ったが、ガイドの"みどりさん"の話は、教会やお城での戦争談や、おとぎ話の人魚姫の伝説話、ゆりかごから墓場までの福祉国家デンマークの話など、非常に興味深く聞いた。
 次号は『コペンハーグンでのフルート』です。お楽しみに。
- 雨の中ホテルに夜着くと、師匠からのメッセージがあった。師匠より「朝は、は一ち一じ一」と言うことは、その前に朝食もすませ、レッスン曲とかの準備もすませ…、何時に起きるのだ? 長旅のヨーロッパに着いたら、翌日午前中はゆっくりしたい。ツアーでもそうなっているではないか。油断してすぐ行動すると、旅行中ずっと時差ぼけで頭がフラフ.ラするではないか…。-
 師匠がバレエの「ナポリ」を観て帰ってくる.のは夜中…、となれば、今すぐ急いでトランクを開け、荷物を片づけ、明日の支度をしてシャワーして眠るっきゃない!
 「おはよう。昨日はTe1.くると思ったけど…」と師匠。
 こんな具合で一日目は始まり、最後までハードスケジュールに追われることになったが、こちらも抜かりはない。師匠の目をぬすんでそ~っと睡眠タイムは確保した。
 トーケ先生、本当の名はトーケ・ルン・クリスチャンセン先生をいう。今50歳位のデンマーク放送交響楽団首席フルーティスト、またデンマーク王立音楽アカデミーの先生もしている、デンマークNo.1のフルーティストである。CDも何枚も出しているので、持っている人もいると思う。
 師匠と共に音大生、音大卒20人位でコペンハーゲン中央駅から電車に乗り、先生のお宅へ向かった。郊外の緑のたくさんある静かな町で、とても気に入った所だ。トップバッターは朝の9時から、なんとプロコフィエフで始まった。さすが音大生、音出しもままならない、また前日のバレエ鑑賞で夜中に帰ってきたことなど全く関係ないかのように吹き始めた。これ以降音大必須レパートリー曲は殆ど出尽くす程の曲のレッスンだった。聴く方も体力と精神力が試される。トーケ先生は人を乗せるのが実に上手い。一人40分のレッスンで一曲を上げるのだから、その観察力はすばらしいものがある。
 二日目、私のレッスンが廻ってきた。二回受けられるので、一回目はドップラー、二回目はサンカンにした。どちらも伴奏付きだ。レッスン室とリビング(聴く人のため)をドアを開けて一つにして進めていたが、私がドップラーを吹くと途中で止めて「さあ、これからコンサートをやろう!皆椅子を持って入って!入って!」とレッスン室の方に皆を入れて、私の周りに輪のように集めた。「いいよね!」と、困っている私を尻目にして、もう一度前奏から始まったトーケ先生の大きな歌声と踊り、ユーモア、おまけにアドリブで2FLまで吹いてくれて、そこには純粋なハンガリー音楽が見えた。周りも師匠も大喜び、皆が一つの世界にいた。デンマークでは毎年9月に「ゴールデン・エイジ・フェステイバル」が開催され、数々の演奏会、バレエの公演、展覧会、セミナーなどが予定される。今回、このフェスティバルに私達の青山フルートインスティテュートのアンサンブルのコンサートも組み込まれることになった。コンサート会場はトーヴァルセン博物館ホール。このホールの両サイドにはギリシャのパルテノン神殿から盗んできたのでは…と思う様な巨大な石像が何本も立っている。コンサート当日は朝から夜10時ごろまで吹いていたように思う。体力がいる。トーケ先生は指揮を半分、そしてソロ。師匠は指揮、ソロ、トークまでやった。よく倒れなかったと思う位の師匠だった。曲目はクーラウのオペラ「妖精の丘」序曲&バレエ音楽、クーラウイアーナ、デンマーク現代作曲家テユーボのフルートカルテット、ライネッケのソナタ「ウンディーヌ」など…。
 私達のコンサートはこれ以外にも野外演奏会。師匠らのコンサートもあったが、残念ながら、私は早く帰ってきたので聴けなかった。-
●フルートカルテットの夕べ
9月20日 デンマークエ芸博物館ホール
 アンドラシュ・アドリアン、マリアンヌ・アドリアン、トーケ・ルン・クリスチャンセン、石原利矩、小埜寺美樹(ピアノ)
 レッスンやコンサートの他には、クーラウ研究の世界的権威、ゴルム・ブスク教授のデンマーク音楽史の講演会や、パーティー、王立劇場でのオペラやバレエの鑑賞もあった。
 ~この旅から、早や1年が過ぎた。デンマークは、私の心に深く、深く刻まれている。是非、又、訪れてみたい。

河合文子さん

「愛がある・感動がある・人生がある」 

「第二回クーラウ詣り」のお誘いを受けた時、今度こそは何が何でも行こう!と心に決めました。
と言うのは、「第一回クーラウ詣り」の時の野外劇場での『妖精の丘』のビデオを観せて頂いて、強烈な印象とショックを受けたからです。
 あの時どうして行かなかったのだろう。行けなかったのだろうか。多分、色々と事情があったのだろうがただ自分が決断をしなかっただけなのだ。あの場面を自分の目で体で感じたかった。どうしようもない悔しさに襲われるのでした。この時から私のすべてが変わってしまうのです。
 「第二回クーラウ詣り」は初めての海外旅行でした。今まで海外旅行など全く興味がなかったのです。しかし今回は違います。出発の準備にも胸を踊らせていました。そして成田空港がどんな所かも知らない私は、事前にお友達を頼んで一緒に下調べに行ったのです。
 私は、あの佐藤伸さんと同じ出発でした。オランダのスキポール空港のカジノで大儲けをした方です。確か4時間程の待ち時間だったと思うのですが見るもの、見るもの新鮮でアッと言う間に過ぎてしまいました。佐藤伸さんの大儲けから少しお裾分けを頂いた私は喜び勇んでスロットに挑戦するのですが、わずか数秒で破産です。
  デンマークのカストロップ空港は冷たい雨でした。想像していたより寒くなく、私は明日からどんな毎日が待っているのかしら‥‥と興奮を押さえ切れないのです。
 翌朝、石原先生から笑顔でお迎えを受け、ああ遂に来たんだなぁと実感しました。先に到着していた友人から昨日鑑賞した『妖精の王の娘』と『ナポリ』のお話を聞いた私は再度見逃した事に大きなショックを受けるのでした。
 音大生やプロの方々に混じって同じ体験が出来ると言う事は、今回私の旅の目的でした。
ト-ケ先生、アドリアンのレッスンの全てを聴講したいと願っていました。幸い私の友人も同じ考えで参加していたので、私は彼女と一緒に行動を共にしました。今回の旅は全て現地集合という形でした。私達は地図を片手に毎日電車やバスを利用して駆け回るのですが、これが涙と笑いの連続でとても楽しいものでした。
 私はこの旅行中、素敵な女性と巡りあったのです。それはトーヴァルセン美術館ホ-ルのコンサートとトーヴァルセン美術館前広場のコンサートで演奏中に観客席のこの女性と何度も目が合うのです。
後で考えると引っ込み思案の私がどうして‥‥と思うのですが、私は思わずこの女性に声をかけてしまうのです。これも「旅」が為せる技なのでしょうか。非日常の空間に居たからでしょうか。
次の手工芸博物館ホールのコンサートでも会場でばったり会ってしまうのです。私はたまたま持っていた小さな布の小袋を彼女にプレゼントして名前と住所を交わしお別れするのですが、二年後再会を果たすチャンスに恵まれるのです。
 二年後、それはデンマーク一人旅です。この時すでに私は変わっていたのです。一人で外国へ行くなど以前の私には考えられないことです。私はスケジュールとE:メールアドレスを書いて彼女に手紙を送りました。返事はすぐE:メールで届きました。ほんとに一人で来るの?待っているから!すごい!と言うお返事でした。
再会の感動は口では言い表せないもので、彼女と二人で夢のような数日間を過ごした後、涙・涙でお別れするのです。  
 すべては私が石原先生に出会った事から始まるのです。先生は私に勇気と知恵を与えてくださいました。
「第二回クーラウ詣り」この旅行で得たすべてが私の大きな宝物です。
大きな翼を得た私は次の目標に向かって準備中です。
そして石原先生にフルートを習っている喜びをかみしめて‥‥‥‥‥感謝!!