第2回クーラウ詣りツアー

『ゴールデンデイズ・フェスティヴァル』(1998.9.4~20)(1)

第二回クーラウ詣りツアー(1998年9月4日~9月22日)

ゴールデンデイズ・フェスティヴァルの冊子の表紙のイラストより

 

その1

その2

その3

その4

その5

その6

ツアー参加者の声


第二回クーラウ詣りツアー(その1)
 石原 利矩

 それはトーケ・ルン・クリスチャンセン氏の「お誘い」から始まった。「1998年のゴールデンデイズ・フェスティヴァルにフルートオーケストラで出演しないか」と言う話だ。二年前に『妖精の丘』観劇で我々はデンマークツアーを行っていた。その時も同行者たちでフルートオーケストラの演奏会をリュンビューで催した。その勢いで1997年6月には浜離宮朝日ホールで「クーラウ特別コンサート」を開催しフルートオーケストラで演奏することに経験を積んでいた。そんなことをふまえての勧誘だったのだろう。すぐさま第一回の実行委員の方々に集まってもらい本当にデンマークの聴衆の前で演奏する事ができるかを討議した。その結果「やってみましょう」という結論に達した。

 この旅行は単に演奏するためのものだけでなくゴールデンデイズ・フェスティヴァル中に行われるその他の催しも観ると言うことを目的として関係各位に呼びかけを行った。その期間に我々の関係するものはニルス・ゲーゼ作曲『妖精の王の娘』ラジオオーケストラ演奏会、王立劇場のバレー「ナポリ」観劇(ブルノンヴィル演出)、トーヴァルセン美術館における「青山フルートインスティテュート演奏会」、トーヴァルセン美術館前の広場における野外演奏会、フルート四重奏の演奏会(アドリアン、アドリアン夫人、トーケ・ルン・クリスチャンセン、石原利矩、ピアノ小埜寺美樹)であった。その他に希望者はクリスチャンセン氏のフルートセミナーにも受講することができることとなった。その講習中にアドリアン氏の公開講座も含まれていた。更にブスク氏の好意で「デンマーク音楽の歴史」についてのレクチャーも我々のために行ってくれることとなった。

 呼びかけに応募された人は全国各地から36名に達した。演奏旅行のための練習で全員が集まる機会を持つことは難しかった。その年の青山フルートインスティテュートの夏の合宿(7/30~8/2)はこの旅行のための練習を組み込みこむことで行われた。場所は秩父ミューズ・センターだった。しかし、それだけでは不充分である。あとは現地で練習をすることも考えなければならなかった。この合宿のレクチャーは「デンマークの音楽史~黄金時代を中心に」だった。

 そもそも「ゴールデンデイズ・フェスティヴァル」とは何だろうとお思いだろう。デンマーク人は1800年~1850年頃を「デンマーク文化の黄金時代」と名付けている。そしてこの時代を現代のデンマーク人は彼らの誇りにしている。この時代に生み出された文化をテーマに毎年コペンハーゲンで行われるのがゴールデンデイズ・フェスティヴァルである。この年は9月4日から20日までが開催期間であった。

 参考までに1997年6月にブスク氏が北欧協会(東京虎ノ門会館)で行った『デンマークの黄金時代』をテーマにしたレクチャーの抜粋をここに掲載してみよう。黄金時代とはいかなるものかということがおおよそお分かりいただけるだろう。


ゴルム・ブスク

『デンマークの黄金時代』

1800年~1850年のコペンハーゲンの政治的、社会的、文化的生活

 デンマークの黄金時代はデンマークの歴史においてナポレオン戦争の結果その領土の多くの部分を失い、ヨーロッパにおける強力な国力が幾分失われ政治的に弱小国家になった時期に当たります。しかしその時期が非常に驚くべき事に科学と芸術がそれ以前、それ以後に見られなかったほどに、開花したのです。これと同様にデンマークは現在デンマーク人がその上で生活している国民の自意識と社会制度を確立した時期に時を同じくしています。

 デンマークの歴史的、政治的な観点からお話を始めましょう。我が国は千年以上も現ノールウエイ、アイスランド、グリーンランド、南部スエーデン、北ドイツの広い範囲を領土にした強力な専制国家でした。18世紀の終わりは植民地インド等の海外貿易によってある時期今までに見られなかったほどに豊かになっていました。しかし、その後フランス革命が起きそれに続き不幸にもデンマークの君主フレデリック6世がナポレオンに組みしたことによりナポレオン戦争においてイギリスと争うことになりました。1801年、ネルソン提督に率いられたイギリスの巨大な艦隊がコペンハーゲンを長期に攻めました。更に悪いことに6年後の1807年に都市に砲撃を浴びせました。それによって建物の3分の1が破壊されデンマークの艦隊はイギリス軍に奪われました。これはデンマークの海洋国家の終焉を意味しました。しかし不幸は更に続きました。1813年、国家は破産に追いやられ、ノールウエイのデンマークからの独立、これにより以前の領土の2分の1が失われました。フレデリック6世に治められた王国は全くと言っていいほど市民の民主的発言を許さない専制国家でした。しかしこれは殆どのヨーロッパ諸国も同様の状況でしたが1830年と1848年のフランスの改革の結果、事は変わり始めました。

 1839年、フレデリック国王が没しました。人々は新しいクリスチャン8世に立憲君主国を期待し、それは1849年になって初めて実現しました。これは現在の政治形態の基礎となるものです。同じ頃1848年から1850年の3年戦争の結果デンマークはユトランド半島の大きな部分を領土に収めました。

 この戦争で我々は勝利しましたが1864年にドイツに他の部分を奪われ今日のデンマークを形成しました。ヨーロッパの他の国と同様デンマークは今や農業的、工業的民主主義国家となりました。

 「私は人民にとって何がよいかと言うことを自分自身知っている」と言っていた絶対主義君主フレデリック6世のモットーは富者と貧者の社会に大きな緊張感を生み出しました。しかし、国土の奪取と人々が民主的な意見の発言が出来ないこと---集会、公共の場での演説が禁止され、報道はいろいろな場面で規制されており---が人々の目を科学と芸術に向かわせたのです。ある人はこう言ってます「我々は貧乏ではあるが、愚かであってはならない」。

 コペンハーゲンはどちらかというと小さな町で毎晩閉められる4つの門がある城壁に囲まれて発展することは出来ませんでした。城壁は1857年まで取り壊されることなく、それまでコペンハーゲンは非常に人口が密集し、汚く、不健康な町で、1853年にはコレラが蔓延し大勢の人々が死にました。

 しかし、この狭い空間で人々は世界に通用する歴史学、神学、 哲学、 文学、絵画、彫刻、建築学、考古学、音楽、劇と演劇、バレエ、自然科学、法律、言語学、民俗学、教育、ジャーナリズム、植物学とその他多くのことを行った人々に町ですれちがう事が出来たでしょう。

 上流社会ではお互いに顔見知りでした。そして、科学と芸術は別の現象でなく一般的な汎神論の一つと見なされていました。日本の神道主義に似ていなくもありません。すなわち「神は自然の中に存在した」というものです。他の精神的傾向は19世紀のロマン主義と強力に発展した愛国主義です。両者は歴史や古代に、勿論デンマークのそれに大いなる興味を引き起こしたものでした。過去の復活はそれ自身全て分野に現れました。ヴァイキングや中世の北欧神話は文学の標題に、エーレンスレイヤーの戯曲、絵画、彫刻、例えば有名なベルトル・トーヴァルセンの彫刻、1807年の爆撃後にコペンハーゲンで建設された多くの新しいクラシックな建物の建築、ワイセやクーラウの音楽に用いられた古い民謡などです。(以下略)


 クーラウはまさにこのデンマークの黄金時代に活躍した作曲家の一人である。デンマーク人はクーラウをドイツ生まれのデンマークの作曲家と見なしている。今回はクーラウの作品の演奏は我々青山フルートインスティテュートが一手に引き受けた形になった。

 この旅行で我々の行った演奏会のプログラムを列記してみよう。

9/15 フェスティヴァル参加演奏会 青山フルートインスティテュート トーヴァルセン美術館ホール

Kuhlau-Ishihara

Ouverture"Elverhoj"

青山フルートインスティテュート

Thyvoe

Quartett

河野洋子、熊沢弥緒、田代あい、永見恵子

Froehlich

Sonate

石原利矩、小埜寺美樹

Ishihara

Kuhlauiana

青山フルートインスティテュート

Reineck

Sonate

トムセン、小埜寺美樹

Christiansen

与えられた主題による即興演奏

クリスチャンセン

Kuhlau-Christiansen

Ballet Musik"Elverhoj"

青山フルートインスティテュート

 

9/18 野外演奏会 青山フルートインスティテュート トーヴァルセン美術館前広場 

杉浦 邦弘

日本民謡メドレー

青山フルートインスティテュート

照屋 宗夫

さくらさくら変奏曲

青山フルートインスティテュート

KuhlauーChristiansen

Ballet Musik"Elverhoj"

青山フルートインスティテュート

 

9/20 カルテット演奏会 手工芸博物館ホール

 出演:アンドラシュ・アドリアン、マリアンヌ・アドリアン、トーケ・ルン・クリスチャンセン、石原利矩、ピアノ:小埜寺美樹

Froehlich

Divertissement

Toke,Onodera

Kuhlau

Trio Op.86-1 e moll

Adriann,Christiansen,Marianne

Kuhlau

Trio Op.119

Adorian,Marianne,Onodera

Kuhlau-Ishihara

Lulu Fantaisie

Adorian,Ishihara,Christiansen,Onodera

Kuhlau

Quartett

Adriann.Christiansen,.Ishihara,Marianne

Beethoven

Duo G Dur

Adorian&Marianne

 なおこのツアーのために「青山フルートインスティテュートフルートオーケストラ」の演奏団体名を「クーラウの曲を演奏する」という我々の意図を表すためKuhlau Memorial Flute Ensemble Aoyama (KMFEA)と名付けた。

 この他に9月19日にストロイエ(コペンハーゲンのメインストリート)で大道芸としてフルートオーケストラの演奏をした。プログラムは前日の9/18のプログラムと同じ曲で行った。添乗員の女性(第1回クーラウ詣りの時と同じ人)が今回も活躍してくれて、演奏場所の警察への届け出、電源、クラヴィノーヴァの手配を済ませてくれた。


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