第2回クーラウ詣りツアー(5)

『ゴールデンデイズ・フェスティヴァル』(1998.9.4~20)

第二回クーラウ詣りツアー(1998年9月4日~9月22日)

紀元後400~500年の初期鉄器時代の2本の金のホルン・復元したもの

 

その1

その2

その3

その4

その5

その6

ツアー参加者の声


第二回クーラウ詣りツアー(その5)

 ブスク氏がツアーの参加者のために行ってくれた講演の内容をここにご紹介しよう。第一回目のときも素晴らしい講演をしてくれたが今回はデンマーク音楽全般についてのレクチャーだった。通訳は私が引き受けた。いつものように用意周到な彼は事前に講演内容を送ってくれていた。 

ゴルム・ブスク氏の講演

1998年9月13日(日)15時~17時 

日本からの皆様のための講演

『デンマークの音楽』

コペンハーゲン大学音楽学研究所 クラークゲーデ2,音響教室

 デンマークの音楽

 デンマークに、そしてこの「古代から現代までのデンマークの音楽」の講演にようこそいらっしゃいました。いつものように講演はドイツ語で行います。友人の石原利矩が文章ごとに日本語に翻訳致します。

 デンマークのすべての音楽史を、音楽を聴きながらとなれば2時間でお話しする事は当然のことながら不可能なことです。然し、私はあなた方にデンマークの音楽史における最も重要な事柄を提示し、それによってあなた方が何らかの概観を掴むことが出来るように試みたいと思います。

 デンマーク音楽の最初の足跡は紀元前1500年から500年のいわゆる青銅器時代にさかのぼることになります。音楽についてはどんなものか分かりませんが、いくつかの楽器があります。例えばいわゆるルーアです。2メートル以上もある青銅のトロンボーン楽器で、これは常に対になっています。然しこれを吹いてみると単音しか出ません。これはこんな具合に響いたようです。(音楽1,イラスト1)

 紀元後400年から500年の初期鉄器時代の2本のいわゆる金のホルンが1639年と1734年に発見されました。然し、1802年に盗難に遭い、溶かされてしましまいました。これは絵でしか残っていません。(イラスト2)両端が開いていたにもかかわらず最初はお酒を入れるホルンと考えられました。そして細い方の端に栓を付けました。然し現在はこの金のホルンは音楽用の楽器であったと否定されています。

 古い伝説の中にはその他の楽器、フルート、シャルマイ、ハープなどが登場してきます。ハープはスカルデンやバルデンなどによって歌われた古い民話の伴奏に用いられたものだと思われます。800年から1100年のバイキング時代はデンマークの音楽はヨーロッパのその他の地域の影響を受けています。ここに書かれたメロディの一つには1300年頃と書かれています。すなわちキリスト教がデンマークに広まった以降のことです。このメロディはルーン文字で書かれ、勿論単声音楽です。「今宵、絹と素敵な着物の夢を見させて」という曲です。(イラスト3)今日、デンマーク放送局が休憩の音楽に用いている、このメロディを皆で歌ってみましょう。(全員歌う)骨の笛で演奏されたものを聴いてみましょう(音楽2)

 1100年から1450年の中世には伝説上の英雄や愛の物語を歌った多数の民謡がありました。それぞれの詩節は一人の先唱者によって歌われ繰り返しを合唱が続くものです。デンマークの村の教会の多くの壁画に見られるように、時には踊りが伴うものでした。(イラスト4)器楽の舞踊音楽では当時の階級社会からはみ出た多くの旅回りの芸人や演奏家が太鼓やヴァイオリンを引き受けていました。(イラスト5)

 しかしながら中世の音楽の中心は礼拝がミサ曲やSekvensenや賛美歌で行われていた単声音楽のグレゴリア聖歌のカトリック教会でした。例えば、これはデンマークの聖クン・ラヴァールのためのミサの中の聖体拝領で1170年6月25日に演奏されたものです。(音楽3)

 1450年から1600年のルネッサンス音楽は1600年代の前半を治めた有名なデンマーク国王クリスチャン4世の時代に最盛期を迎えました。又、彼はコペンハーゲンに多くの美しい建築物を建てましたが、熱心な音楽愛好家でもありました。多くの有名な音楽家がヨーロッパから彼を訪問しました。例えばイギリスからジョン・ドーランド、ドイツからハインリッヒ・シュッツがいます。そして彼は多くのデンマークの作曲家を養成するためにイタリアに送りました。このような時代の作品からいくつか教会音楽を聞いてみましょう。モーウンス・ペダーソンのあるミサ曲からキリエです。(音楽4)次にハンス・ブラクロエのマドリガル(音楽5)そしてソーアン・テルケルセンのチェンバロ付きの歌(音楽6)です。この時代に特にトランペットで有名な王立楽団が設立されました。恐らく現在も続いているもので世界で最も古いオーケストラでしょう。

 音楽史の中でユニークなものにフレデリックス城のコンペニウス・オルガンがあります。1610年に作られた小さな楽器でこれは宗教上の儀式に使われたものでなく、踊りのためのものでした。それは純正調で調律されているのでこの無名の作曲家のトランペット奏者の行進のように調性の転調があまり行えません。(音楽7)

 1600年から1730年の間のデンマークのバロック時代の、またヨーロッパの音楽史の中で非常に重要で有名な作曲家にディートリッヒ・ブクステフーデがいます。彼は特にそのカンタータや更にはヨハン・セバスチャン・バッハにも強く影響を与えたオルガン作品によって知られています。彼はオーレスンドと対岸のスエーデンのヘルシンゴーあるいはヘルシンボルグで生まれ、後半生を北ドイツのリューベックのオルガニストになりましたが、デンマークの作曲家と見なされています。彼のオルガン作品は幻想的な即興的演奏によって転調やテンポの変化の多様性で特徴づけられた、わゆる幻想的様式です。ト長調のカンツォネッタを聴いてみましょう。(音楽8)

 この様な音楽はすべてのヨーロッパで作曲されていた音楽に類似しています。これは次の世代バロック時代と古典派時代の中間のギャラント時代にも当てはまります。あなた方にもきっと興味を持たれるでしょうが、例えばヨハン・アドルフ・シャイベのフルート協奏曲などがあります。この時期にデンマークの最初のオペラが現れました。しかし残念なことに、オペラ劇場の火災で楽譜が焼失してしまい沢山残っているわけではありません。この時代の最も興味深い作品の一つにF.L.クンツェンの『ホルガー・ダンスク』があります。1800年頃の殆どの作曲家がドイツ生まれでしたが彼もその一人です。『ホルガー・ダンスク』はグルックやクンツェンの模範となったモーツアルトの作風に近いものです。しかしこの合唱を伴った歌には彼の個性的な音楽が認められます。(音楽9)

 19世紀の初めに民族的ロマン主義が音楽の中に現れ始めます。初期ロマン派時代の二人の偉大な作曲家はC.E.F.ワイセとフリードリッヒ・クーラウです。ワイセは年上で非常に保守的でした。彼は結婚式、記念日、葬儀などに行われるカンタータの様な声楽曲やデンマーク王立劇場のオペラで重要な仕事をしました。これらのうちで最上の作品は8分の6拍子で多くの場合短調の典型的なデンマーク風ロマンスの独唱曲です。又、ワイセは素晴らしいオルガニスト、ピアニストでもありました。彼は立派なピアノソナタやエチュードを書いています。これは昨年私が出版いたしました。この中から8分の6拍子の短調のロマンスを演奏いたします。(音楽10)

 よりモダン(現代的)でコスモポリタン(世界市民の)はクーラウです。彼は当時の流行の楽器フルートやピアノのための作品を沢山書いたことによってあなた方はよくご存じでしょう。彼の全作品の半分以上を占めるピアノ曲はソナタ、ソナチネ、変奏曲、ロンドなど初心者や名手のために書かれました。声楽曲作曲家として彼は劇的で色彩的なジングシュピールの作曲で前世紀の初頭の最も重要なオペラ作曲家でした。『盗賊の城』、『ルル』、特に『妖精の丘』があります。その『妖精の丘』はロマン的な演劇に付けた最も有名な音楽ですが、そこでは古いデンマークやスエーデンの民謡を用いています。これはスエーデンの民謡からなるポロネーズですが又2本のフルートのための変奏曲としても書いています。(音楽11)

 デンマークの盛期ロマン主義はおよそ40年代に始まりましたが、ここで又二人の偉大なデンマークの作曲家を上げることが出来ます。すなわちニールス・ゲーデとJ.P.E.ハルトマンです。ゲーデはスコットランドの神話を題材にした『オシアンの残響』という演奏会用序曲で、又彼自身のロマンスシェラン島の美しき平原を主題にした『第1交響曲』でヨーロッパ中に有名になりました。彼はその生涯を音楽協会の指導者(音楽監督)として過ごしました。かれはそのために8つの交響曲と多くのカンタータを書いていますが、中でも最も有名なのは『妖精の王の娘』です。 

 ハルトマンは95才までたいへん長く生きた人ですが、いろいろな分野の作品を書いた人です。カンタータや宗教音楽や有名なデンマーク人の振り付け師アウグスト・ブルノンヴィルのバレーに付けた北欧神話---例えば『ワルキューレ』---の音楽などが最上の作品です。

 これらの音楽はすべてコンサートホールや劇場のために書かれたものです。しかし又他にも多くの家庭用の音楽もありました。特にピアノ曲や沢山のピアノ伴奏を伴う歌曲です。このようなより内輪の分野でペーター・ハイセとP.E.ランゲ-ミュラーは夢幻的、憧憬的、更にはより生き生きと喜びに満ちた内容の美しい歌曲を書きました。ここでハイセの『森の孤独と若きヒバリ』(音楽13)とランゲ-ミュラーの『若きナイチンゲールよ、静かにさえずりなさい』を聴いてみましょう。(音楽14)

 後期ロマン派で現代的な方向の発展の中に位置するデンマークの偉大な作曲家カール・ニールセンがいます。彼は1865年にフューン島のオーゼンセの近くで貧しい農民の子供として生まれ、1931年コペンハーゲンのコンセルヴァトリウムの学長の時に没しました。彼の最も特徴的なスタイルの旋律的、対位法的手法は、当時の殆どの作曲達が行った様な和声の上で作り上げるのでないもので、これは彼の様々な音楽の中に見いだされます。彼は芸術音楽と同様に大衆音楽も書いています。まず第1に現在も学校や民衆によって歌われている数多くの歌があります。二番目には6つの交響曲、室内楽、ピアノ音楽、合唱音楽、それに厳粛な聖書による『サウルとダヴィッド』、国外でも取り上げ始めた1700年代の劇作家ルートヴィッヒ・ホルベアのテキストによる『マスカラーデ(仮面舞踏会)』の二つのオペラがあります。このオペラは私の考えでは今までの音楽史の中で最も楽しいオペラの一つだと思います。息子とその召使いに励まされて老婦人が踊っているところで最後に怒った父親が現れ、全員が取り乱すシーンを見れば恐らくあなた方もお分かりになると思います。分かりやすく、同時に洗練されある時は現代的な性格を持ったものです。ニールセンはデンマーク音楽史の中で正真正銘の力を持った一人です。(音楽15)

 カール・ニールセンはデンマーク音楽の発展を、深く反ロマン主義、反ドイツ主義、感傷主義に走らない方向を目指した今世紀初めの指導的な人物でした。このことは他の面の影響も受けてはいる彼の弟子のポール・シアベックのような多くのデンマークの新しい作曲家達を見れば明らかなことです。皆様は、彼の曲集、『中国の笛』の中の『川の上の歌』をお聴きになってどう感じるでしょうか?(音楽16)

 今世紀の初めに生まれた大勢の現代作曲家たちの何人かは大変年老いてしまったり、教育上多くのことを行ったフィン・ホフディングの様に最近亡くなったり、偉大な交響曲作曲家ヴァウン・ホルンボー、すばらしいピアニスト、ヘルマン・D・コッペル、それにデンマークの現代主義の多彩な人物で立派なピアニストでもあり、1000以上の作品を作曲した80才近いニールス・ヴィゴ・ベンツォン等がいます。30年代と40年代のロマン派以後の新しい即物主義の例としてホルンボーの『フルート、ヴァイオリン、弦楽器、打楽器のための室内協奏曲第2番』からその一つの楽章を聴いてみましょう。(音楽17)

 カール・ニールセン以後の一番重要な作曲家として現在66才のペア・ノーゴーが挙げられます。彼は特にインドの伝説と哲学によって霊感を受けたオペラ『ギルガメッシュとシドハルタ』、そして5曲の交響曲で注目を集めました。偶然性の原理ーすなわち偶然、選択、まさに即興音楽ーに似た様式に特徴づけられる無限連続を用いた彼の個性的な音楽、その様なものに1969年のオーケストラ作品金の傘の下の旅があり、それは彼の他の多くの作品と同様、東洋の神秘主義が影響を与えています。その第2楽章で彼の無限連続をはっきりと追う事ができます。(音楽18)

 19世紀のロマン派以前の音楽が現代音楽であったようにデンマーク音楽は全ヨーロッパの音楽です。インターナショナルということです。音楽が将来どのように発展するかは誰にも言えないことです。ただ推測あるのみです。音楽は再び民族的になるのでしょうか?

 あなた方がデンマークの音楽についていくらかの印象を得られたことを望みます。私たちが今日聴いた音楽で皆様の気に入られたものがあればすべての曲はCD で求めることができます。

 どうも有り難うございました。コペンハーゲンで、そしてあなた方の美しい国、日本で再びお目にかかれますよう。

(編者注:イラストと音資料は省略)


レクチャーが行われたコペンハーゲン大学音楽研究所入り口

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