その4『不滅のクーラウ』を訪ねて

 


 

第1回クーラウ詣りツアー(1996年6月19日~7月1日)

その1

その2

その3

その4

その5

その6


クリスチャン氏のセミナー受講記編

デンマークが誇る作曲家カール・ニールセンの銅像


クーラウ詣りツアー(その4)
 石原 利矩

 デンマークの空の下、「ドラちゃん」活躍する
 これほど過密スケジュールの「クーラウ詣りツアー」を円滑に押し進めることが出来た一つの要因は「お金」である。
 と言っても読者はお分かりにならないだろう。
 後に述べるクリスチャンセン氏のファックスと同様、今回のツアーの成功の影にはいろいろなものの働きがあった。
 その一つが「ドラえもんの貯金箱」である。日本から持って行ったものである。
 ツアーの初日、クーラウの墓前に行くバスの中で全員で取り決めをした。今後の日程で集合時間に遅れたも者は1分1クローネ(約20円)の罰金をどらえもんの貯金箱に入れることを。
 この効果は素晴らしかった。その後の集合時間は驚くほどスムーズに事が運んだ。勿論遅れた者がいなかったわけではない。その分「ドラちゃん」(皆がそう呼ぶようになった)のお腹には少しづつクローネが貯まっていった。「ドラちゃん」係りまで出来たほどだ。お金の力は大きかった。

タイムキーパーの「ドラちゃん」のお腹には少しずつクローネが貯まっていった。

 

 ツアー成功の影にファックスあり
 今回のツアーでいろいろな打ち合わせが事前に日本とデンマークの間で行われた。そしてそれらは順調に進められ殆ど行き違いなくツアーを遂行出来たのである。
 この影で活躍したのはクリスチャンセン氏のファックスである。デンマークは電化製品では日本の事情と比べるとかなりのおくれを見せている。一部には世界に誇るオーディオ機器もあるが全般的には高価で品薄である。外国に来ると日本では電化製品が安いと言うことを実感する。有り難いことである。現在でもデンマークではコンピューターはかなり高価なものとなっている。
 こんな言い方をすると悪いのだが、ブスク氏の機械音痴ぶりは我々の通信事務の即時推進を阻むものとなっていた。なぜなら彼にとってファックスなどとんでもないことであった。テレビは二十年前のモノクロをいまだに見ている。やっとCDプレーヤーを導入したがそれまではレコードとカセットだけで済ませていた。だからといって彼を非難しているわけでない。このような中で着実に自著をものし、更に研究を押し進めているのである。昨年クーラウ詣りツアーの直後、クーラウの「カノン」についての本がデンマークで出版された。現在はクーラウと同時代のワイセのピアノ曲の全集編纂、出版を手がけている。間もなく出版されるだろう。それが終わるとスクリアビンの研究に入るそうである。それに引き替え私は最新のコンピューターを何台も買い換えているが未だにクーラウの本が書けないでいる。
----話が横道にそれた。

 ブスク氏とは対照的にクリスチャンセン氏は新しいものを導入する気風を持っている。最近では彼はコンピューターを2本指で駆使している。その彼のファックスが今回のツアーの成功を握る働きをしたのである。ブスク氏との連絡で電話を使うと30分位かかる話をファックスでは1分位で済ますことができる。もしこれをブスク氏と手紙でやりとりすると早くて往復10日間はかかる。ブスク氏との至急の連絡はクリスチャンセン氏のファックス経由と言うことがしばしば行われた。私からのファックスの内容をクリスチャンセン氏がブスク氏に電話で伝えると言う方法で。

 暖かい夫妻の人柄を映してセミナー和やか
 今回はこのツアーの主要な目的、クリスチャンセン氏のセミナーの話をしよう。
 氏のセミナーは毎年デンマークで行われている。場所は特定されていない。毎年変わるようである。昨年は氏が教えている王立音楽院(コンセルヴァトリウム)が会場となった。例年、受講者はスカンジナヴィア諸国の音楽学生が中心となっている。スエーデンやノールウエイ、フィンランドからもやってくる。今回は6月23日から28日までの間にクリスチャンセン氏が講習に当てられる時間が28時間あった。その内1時間は質疑応答の時間に当てられ、残りの27時間が受講者全員に振り分けられた。このうち日本人に19時間を割り当ててくれた裏にはスカンジナヴィア人の受講希望者を制限しなければならなかったという氏の苦労があったのである。それでもツアーのメンバーの希望者全員が受けられたわけではない。こちら側でも遠慮しなければならなかった。2時間を3人で分割する時間を設け結局ツアーのメンバーから20名受講することになった。ピアノの伴奏はこのツアーに同道してくれた小埜寺美樹さんで、彼女の伴奏は氏も高く評価していて(以前彼女はデンマークを訪れたことがあり、その時、氏は彼女のピアノを聴いていた)セミナーの期間全ての伴奏(スカンジナヴィア人の受講生も含む)を彼女は任されることとなった。
 前もって受講希望曲を提出するのだが事前に頂いた氏のレパートリーは北欧の曲は勿論のこと我々が知っているフルート曲が殆ど網羅されていた。
 参考までに受講者と曲目を挙げてみよう。日本人の受講者は特徴のみで名前は省略する。ソロとアンサンブルを両方受講した者もいる。その際ソロの時間を短縮した者同士でアンサンブルを組むという操作が行われた。アマチュアにも受講の機会が与えられた。カッコ内は昨年の身分である。
1.クーラウのオペラ「ルル」を「モモ」と言ってはばからないM.U嬢(音楽大学3年)
 J.Andersen Op.55-2,7 61-1,2,3, Kuhlau Op.103
2.女優そこのけのポーズで写真に収まるJ.O嬢(音楽大学3年)
 Widor Suite、Kuhlau Op.103
3.人魚姫と美を競ったA.T嬢(音楽大学3年)
 Gaubert Nocturne & Allegro Scherzando、Kuhlau Op.103
4.生涯一度のデンマークと言う思いで参加したY.N嬢(音楽大学3年)
 Franck Soanate、Kuhlau Op.103
5.カラオケがなくて淋しがっていたE.K嬢(音楽大学卒業)
 Mozart Konzert G Dur、Kuhlau Op.90
6.カルメンも真っ青、赤いバラが良く似合うH.S嬢(音楽大学卒業)
 Andersen Op.7 Impromptu、Kuhlau Op.90
7.八面六臂。コペンハーゲンの町が小さく感じられたY.H嬢(音楽大学卒業)
 Kuhlau Op.68-IV 、Kuhlau Op.90
8.デンマーク人に道を尋ねられるくらいまでデンマークに同化してしまったM.S嬢(音楽大学2年)
 Kuhlau Op.98a Introduction & Rondo、Kuhlau Op.119 Trio
9.これからの音楽家は語学が必要と力説したY.H嬢(音楽大学2年)---帰国後の成果は不明。
 Mozart Konzert D Dur -I、Kuhlau Op.119 Trio
10.母親の監視下で動きが取れなかったC.K嬢(音楽大学卒業)
 Saint-Saens Romance
11.デンマークの子供たちの可愛さに見とれていたY.S嬢(音楽大学卒業)
 Molique Concerto-II
12.外人の先生に習えて一生の思い出になったと言うT.Y氏(公務員)
 J.S.Bach Siciliano (From Sonate Es Dur)
13.優れた自己の資質を指摘され本人も信じられないY.K嬢(音楽大学卒業)
 Schubert Arppegione Sonate
14.エルオバホイ踊り(妖精の丘=エルウァーホイ)の振り付けの創始者N.K嬢(プロ)
 Hindemith Sonate、Honegger Danse des chevres
15.ツアーの金庫番、クーラウの墓前でもお金をしっかりにぎっていたY.K嬢(プロ)
 Kuhlau Variations"Euryanthe"、Ferroud Toan-Yan
16.この旅行で留守家族の自立をもくろんだS.Sさん(音楽大学卒業)
 Mozart Andante
17.このセミナーがきっかけとなりプロに転向したM.K氏(公務員)---実話です。
 Kuhlau Op83-3 Sonate g moll
18.コンサート・ドレスを以後デンマーク製路線に変えたK.N嬢(プロ)
 Widor Suite
19.愛嬌も、度胸も、腕力もあるA.Y嬢(音楽大学1年)
 Chaminade Concertino
20.通訳で活躍したM.Y嬢(アマチュア)
 Beethoven Romance
21.Ulla Bergsted(デンマーク)
 Jolivet Chant de Linos
22.Sissel G. Bakke(ノールウエー)
 Poulenc Sonate I,II,III
23.Josefin Nilsson(スエーデン)
 Stamitz Konzert G-I、Godard Allegretto
24.Hanna Hansdotter Iverberg(スエーデン)
 Martinu Sonate
25.Sara Madsen(デンマーク)
 Nielsen Konzert-I
26.Gabriella Lundgren(スエーデン)
 Mozart Konzert G27.Jennifer Dill(スエーデン)
Ibert Concerto I-II-III、C.P.E.Bach Hamburger Sonate

可愛い子には厳しいトーケ先生?
音響の体感の実験
レッスンの通訳、
自分が叱られているようだ

クーラウ作曲フルート・カルテット作品103のレッスン風景。
ピアノ伴奏で大忙しの小埜寺美樹さん

 クリスチャンセン氏は気さくな人柄で受講者はその温かい雰囲気に包まれて緊張感を感じない。彼の周りにはいつも笑いが絶えない。音楽に合わせて揺れている体の動きはまるで柔らかいボールの様だ。彼の口癖は演奏が終わると「Very good!」と言い次ぎにすぐ「But----」が続くことである。
 このセミナーの受講者は他の人のレッスンをいつでも聴講する事が出来た。受講生は他の人のレッスンも聴きたい。しかし町中に出て食事する時間がない。今回は特別にクリスチャンセン氏の奥様(ヘレさん)が聴講生達のために手作りのサンドイッチと飲み物を自宅から運んでくれて時間の節約を計ってくれた。毎回20名近い食事作りは大変な事であったろう。

私、ヘレ夫人、クリスチャンセン氏

 

 スカンジナヴィアの学生たちの演奏も全てではないが聴講することが出来た。私の印象では皆が良い音質を持っているということだった。音量優先と言うよりも柔らかい音色の好みが優先しているように思えた。それほど一人一人の音に魅力があるのである。

 フルートのラウドルップ
 「さよなや」の誤解をブスク氏が犯していたことを前に述べた。
 大げさに考えれば誤解によって歴史が変わるということもあり得るのである。気をつけねばならない。
 この誤解を私はクリスチャンセン氏に抱いてしまった。

 彼はよく「トー・ミヌーター(to minuter)=2分」と言って話をしたり、人を待たせたり、演奏をしたりした。しかし、それが決して2分以内に行われたことがないのである。2分が5分にもなったり、10分、あるいは30分になることもあった。時間に関して厳格でないという印象を受けた。「ドラちゃん」の罰金をクリスチャンセン氏にも課さなければならないと感じたのは私だけではなかったようだ。
 しかし、それが彼の時間感覚の欠如の表れと見てしまったことは私の早計であった。
 何故なら、デンマーク語のto minuterは、ドイツ語では「einen Augenblick」、日本語では「ちょっと---」という意味あいで用いられる言葉であったのである。5分でも10分でもto minuterで一括表現するらしい。決して fem minuter(5分)とかti minuter(10分)とは言わないのである。それが分かったのはつい最近のことである。彼に申し訳ないことをしてしまった。このように誤解とは恐ろしいことである。

 クリスチャンセン氏は大変忙しい人である。デンマーク放送交響楽団の首席奏者で、コンセルヴァトリウムの教授も兼ねている。その他コレギウム・ムジクムというプライヴェートのオーケストラ団体のフルーティストも兼ねている。一流のフルーティストが共通に持っている音質を彼のフルートで聴くことが出来る。テクニックも素晴らしい。フルートのラウドルップ(有名なデンマークのサッカー選手)と言われることがあるほど北欧随一のフルーティストである。彼の演奏はコントラプンクト社から出ているCDで聴くことが出来る。トラヴェルソ・フルートのCDもある。「デンマークのフルート史」を書くと言っている。そのためいろいろな参考文献を集めている。クーラウ時代のフルーティストや勿論ヨアヒム・アンデルセンのことも詳しく書かれるだろう。
 彼の集中力はすごい。時間のない時は車の中で運転をしながら頭部管だけで練習をする。これは危ないから生徒には教えられないと言っている。この「エクササイズ・イン・ザ・カー」を私は目撃している。自ら「ニンジャフルーティスト」と言ってにやっと笑う。

 クリスチャンセン氏はこの6月に来日する。そして公開講座が予定されている。6月22日にはクーラウ記念コンサートが浜離宮朝日ホールで行われる。そこで彼はクーラウの作品を2曲演奏する。その音楽性と人柄はこの機会に表れるだろう。 (次号続く)