その2『不滅のクーラウ』を訪ねて

 

 

第1回クーラウ詣りツアー(1996年6月19日~7月1日)

その1

その2

その3

その4

その5

その6


感動の『妖精の丘』編

 

『妖精の丘』舞台を縦横に馬が走る


クーラウ詣りツアー(その2)
 石原 利矩

 19:55
 開演前の鐘が鳴った。カウベルのような音である。
 私の隣の席にはブスク氏夫妻が座っている。我々ツアーの日本人以外は殆どがデンマーク人のように見えた。2日前の6月21日は夏至であった。一年の内で一番日が長い時、いわゆる白夜の真っ最中である。この公演が終わる頃、会場近くの池の畔で「夏至祭り」が行われることになっている。夜8時と言っても日本の4時頃の明るさである。観客の前方に自然の地形を利用して舞台が作られている。狼谷と言われる場所である。昔は狼の集まる場所だったに違いない。ウェーバーの「魔弾の射手」にも深山幽谷の狼谷が登場するが、ここはそれほどおどろおどろしていない。
 今回の公演のプログラムのクーラウの解説はブスク氏が担当している。当然ブスク氏夫妻は初日(14日)の公演を見ている。彼らにとっては今日は2回目の観劇である。私のこの公演にかけていた思いをすべて知っている人である。私達の興奮している姿を見て喜んでいたに違いない。

 20:00
 指揮者がオーケストラピットに現れた。女性の指揮者である。オーケストラは板の下にいて観客からは見えない。指揮者だけが観客の視線の中に入る設定になっている。雨天の場合を考えた措置であるとブスク氏が説明してくれた。
 指揮者の腕が下りた。それはデンマーク国歌だった。全員が起立してその演奏に耳を傾ける。
いよいよ『妖精の丘』が始まる。聞き覚えのあるトランペットのファンファーレが鳴り響いた。序曲である。
 序曲が進む内に今日の演奏が正式なオーケストラであったらと思わずにはいられなかった。雨天対策として全曲が吹奏楽に編曲されていることは事前にブスク氏から聞いていた。我々ツアーのメンバーは全員事前にCDを聴いている。オリジナルとの音色の違いははっきり分かった。
 歌い手に関してもやや難点が有ったように思われる。『妖精の丘』はあくまでも演劇であり、主要人物は王立劇場の俳優によって占められている。俳優が歌うのだから仕方ないことだったのだろう。
 しかし、そんな事を気にしていられないほど劇の中に引きずり込まれてしまったのである。野外劇場の特権と言うべき本物の馬を縦横に使い、遠くから聴こえたひずめの音がだんだん近づき目の前を疾風の如く走りすぎるのを目の当たりにすればいやがおうでも興奮させられてしまう。
 劇の進行と自然を合体させた演出は見事である。このシナリオは第一幕は朝に始まり、第五幕の夜の結婚式の場面で終わる。開演時間20:00はまだ明るい。朝の情景と言っても不自然ではない。劇中の時間経過と共に、自然の日の光がそれにつれて変化するのである。終演は23:00。もう真っ暗である。途中から照明が加わってくるのである。
 もう一つの演出は気温である。ブスク氏から事前に注意を受けていた。厚着して行くのに越したことはないと。狼谷へ向かう道で重装備していたデンマーク人達がいた。後でそのことが良く理解された。彼らは普段からこの温度変化になれているのである。音楽会は美しいドレスでと言う気持ちで出かけたツアーのメンバーの何人かはこの自然の猛威にさらされた。しんしんと冷えてくるのである。その速度がまるで目に見えるように変化するのが分かった。馬の吐く息が白くなっている。
 天空にかかる月も趣を添えていた。半月だった。この月は私の目に異常に焼き付いた。この月が突然変形したのをツアーのメンバーは誰も知らない。そして帰国してから同じ形の月を見るとその時の状況がまざまざと思い返されことになったのである。
 さて、クーラウがこの演劇に音楽を付けた事は前号で述べた。
 オペラのように音楽がずっと鳴っているのではない。劇の進行の要所要所に演奏されるのである。

序曲
第1幕
No.1 メロドラマ
No.2 ロマンス(カーレン)
No.3 ロマンス(カーレン)
No.4 農民の合唱 
第2幕
No.5 ロマンス(エリーサベト)
No.6 ロマンス(エリーサベト)
第3幕No.7 農民の歌と合唱(モーウンス、合唱)
No.8 踊りを伴うロマンス(カーレンとモーウンス)
No.9 農民の合唱
No.10 狩人の合唱第4幕
No.11 アグネーテの夢
第5幕
バレー曲
No.12 メヌエット
No.13 コントラダンス
No.14 ポロネーズ
No.15 子供の踊り
No.16 パ・ド・ウイット
No.17 エコセーズ
No.18 花輪の踊り
No.19 ホルン・ファンファーレ
No.20 合唱

 以上がクーラウの作曲・編曲した曲である。
 この曲の中で我々フルーティストにとってお馴染みのものが2曲ある。
 1曲は第二幕でエリーサベトによって歌われるロマンス「さまよえる騎士」である。

 このメロディーは作品64のフルート・ソナタの第二楽章の変奏曲の主題に使われているものである。
 もう1曲は第三幕でカーレンとモーウンスによって歌われる「海の底深く」である。

 これは作品102ー2のフルートの二重奏曲の第2楽章の変奏曲の主題に用いられている。変奏曲としても見事に構成され、また演奏をしていて楽しいものである。
 この二重唱の後ろで農民たちが踊るポロネーズを見ているとこの曲のテンポが見えてくる。

 

 終演後の帰り道は真っ暗である。月の明かりしかない。
 帰り道に「夏至祭り」を見て帰るのも予定の内だった。
 この帰り道にアクシデントが起きた。一塊に歩いているはずだったがその内の二人が居ないのである。手分けしてさがしたが見つからない。全員で大声を上げてその人たちの名前を叫んだ。周りのデンマーク人たちは変な一団だと思ったことだろう。しかし何の応答もない。仕方なしに途中の池の畔まで行くことにした。もう「夏至祭り」は始まっていた。狼谷の人達の人数の比ではない。それよりもっと大勢の人達が池の周りを取り囲んでいた。動くのもやっとという混みようであった。池の中に魔女を形どった大きな松明が燃えている。そして素晴らしいオーケストラ付で歌が歌われていた。こちらは本物のオーケストラであった。当代一流の王立劇場のオーケストラと歌手の出演である。
 ニールス・ゲーデの「妖精の王の娘」という曲だとブスク氏が説明してくれた。
 しかし二人の行方不明者のことが気になって音楽どころではなかった。

 真夜中12時に花火が打ち上げられた。花火とオーケストラの競演、落ちついて聴けたらどんなに良かっただろう。公園の外に待たせているバスのところへ行けばそこで落ち合えるかも知れないと言うことになって花火の中を出口に急いだ。
 幸いなことに二人はここで我々を待っていた。

 この後に、この日を締めくくる「ブスク氏宅」ご招待が控えていた。夜中の訪問で初めは遠慮したのだがブスク氏一家はこの日を主張した。フルート演奏もお祭りの日だから夜中でもかまわないと言う。全員を招待してくれたのである。
 公園からバスで20分位の静かな住宅街にブスク氏の住まいがある。ここでビール、ワインをご馳走になりフルート演奏が行われた。クーラウのカライドアクスティコンで即席のワルツが演奏された。

ブスク氏宅パーティ
ブスク氏宅パーティ

楽しい時間が流れた。

 私との付き合いが始まってからブスク氏は大の日本びいきになってしまった。
 日本語の勉強も始めた。
 『妖精の丘』観劇の二日前に特別にブスク氏に「クーラウの劇場作品について」のレクチャー(後述)をしていただいていた。
 その時の最初の挨拶は「イラッシャイマセ、デンマークへ」であった。
 ヨウコソ、デンマークヘ」の方が良いと思うのだが、これは私のデンマーク語とどっこいどっこいである---と言っては彼に悪いかも知れないが以下のエピソードをお読みになればうなずけるだろう。

 夜が更けたと言うべきか朝がやってきたと言うべきか時計を見ると4時を過ぎていた。
 おいとまをする時間になった。
 「サヨナラを言わなければならない」と私が言った。
 ブスク氏は変な顔をしている。
 そして彼は本棚から一冊の本を取り出してきた。見ると日本語の会話の本である。
 そして彼の指さす所をみると「さよなら」sayonajaと書かれている。

 彼曰く「お前は私を騙そうとしている。サヨナーラではない。サヨナーヤである。」
 私はみんなに目配せをした。みんなすぐ私の意図を飲み込んでくれた。
 そしてバスに乗り込んで発車の間際に全員で「サヨナーヤ」と合唱した。
 ブスク氏一家はにこにこと手を振って「サヨナーヤ」と言って見送ってくれた。

 こうして長い長い興奮の一日が終わった。

(次号続く)