ゴーム・ブスク著 「クーラウのピアノ・ソナタとソナチネ」石原利矩訳(前半)
ブスク氏の「クーラウのピアノ・ソナタとソナチネ」に関しての論文です。原文はデンマーク語です。原文を参照される方は上部の日の丸の下にあるイギリス国旗をクリックしてください。
出典は “Dansk Årbog for Musikforskning XIX 1988-1991” です。
「デンマーク音楽学年鑑 第19巻 (1988〜1991)」の中にあるものです。
"Kuhlaus klaversonater og -sonatiner"
af Gorm Busk
2012年10月に出版されたクーラウ「ピアノソナタ曲集」
の中のブスク氏の解説にこの論文を参照することを薦めています。しかし、入手が難しいこともあり “Dansk Årbog for Musikforskning"の許可を得てここに掲載することになりました。転載不可とさせていただきます。
なお、この論文はIFKS会報2013年版に掲載されましたが、楽譜が無いと理解が難しいことを考慮し、「訳注楽譜」として書き加えました。適宜、音源を入れています。この中に出てくる楽譜は本サイトの「ピアノソナタ試聴ページ」で全て読むことと聴くことができます。併せてご活用下さい。
この翻訳は論文の前半のみ、後半は2014年会報に掲載予定です。
原著論文のページ割は
本文 113-156(写真、楽譜のページもあります)
横線はページの区切りを示すもので文脈とは関係ありません。
訳注楽譜が入って文章が切れる場合がありますが、その後に続く文章に字下げがない場合は同一の段落内の文とお考えください。これはページの切れ目の文章にも当てはまります。
クーラウのピアノ・ソナタとソナチネ
113ページ
クーラウのピアノ・ソナタとソナチネ |
ゴーム・ブスク著 |
1800年頃の市民階級の自意識と自己主張の高揚と共に、市場における新しい作品のますます高まる需要に応じたピアノ音楽の大いなる供給において、フリードリヒ・クーラウのピアノソナタとソナチネは目覚ましい地位を占めた。それらは当時の大作曲家たちの作品とは形態や音楽史的な意味において異なるものであった。ハイドン、クレメンティ、モーツァルト、ベートーヴェン等の規範的なソナタ作品の後にJ. L.デュセック、 J. B.クラマー、J. N.フンメル、C. M. v. ウエーバー等のソナタ作曲家が登場した。しかし、クーラウのソナタは当時の流行に合わせた作品よりもその音楽的な価値は、はるかに高いものであった。彼の小規模のレッスン時に使用するためと決めつけられてしまった作品は、今日までピアノ音楽の中で比較的に慎み深いと言えどもしっかりした地位をとどめている。それは同時代の作曲家が全くなし得なかったことである。
クーラウのピアノソナタとソナチネを一つのものとして扱うことには正当な理由がある。両者の境界線は極めて流動的であり、長さや内容は両者の本質的に異なるカテゴリーに分けられるものではない。38曲の2手用ソナタ作品の内、クーラウ自身がそもそも「ソナチネ」と名付けたものは13曲しかない。すなわち作品20の3曲、作品55の6曲、作品88の4曲である。しかしその他の多くの曲にも「ソナチネ」と名付けても良いものがある(例えば、小さいソナタ作品34)。不明確な術語の顕著な例は作品55、59、60において見られる。作品55の成功により2つの曲集(作品59と60)が生み出された。作品59の表紙には「作品55に続く、易しい華麗な3曲のソナタ」と書かれて、作品60の表紙には「作品55、59に続く、難しくない3曲のソナタ」と書かれている。それらは作品55のソナチネよりも長めに作曲されている。その内のあるものはソナチネの形態であり、あるものはソナタの形態であるが、そんなわけで今日ではそれらの曲の殆どはソナチネ版として扱われている。
分岐点を正当化するかも知れない唯一の要因は作品の難易度である。(段階的な最後の作品である ソナチネ曲集〔訳者注:作品60のこと〕はソナタのように難しいものは稀である)。
全般にクーラウが「ソナチネ」と名付けているものは第1楽章が正当なソナタ形式で作曲されている「小さなソナタ」という概念を含んでいる。当然それは小規模なものを指すが、当時しばしば見られるように小さなA B A形式、あるいはそれに類することを指すのではない。
クーラウの名前はピアノのためのソナタ作品生産の中で、何世代にも亘り今日に至るまでレッスン用の易しい「ピアノのソナチネ」と切り離すことが出来ないくらいに固く結びつけられている。彼を知ろうとすればそれは避けられない。ドイツでは幾分明確さを欠く表現で一面的に彼をとらえ「ソナチネのクーラウ」と名付けた。
114ページ
これは彼の大規模なソナタを全く闇に隠してしまうこととなった。しかし、彼が若い時期に作曲した作品は当時の音楽界に全く別の彼の一面を示した。ここで述べているのは、彼自身が有能なピアニストであり、ピアノの能力をよくわきまえた作曲家として、ヴィルトゥオーゾで芸術的完成度を備えて生み出した大規模なソナタのことである。規範は先ずハイドン、クレメンティ、モーツァルト、ベートーヴェン---特に後者二人---だが、同じく前述の何人か、特にピアニスト及び作曲家として現れたデュセック、クラマーによって触発された。
クーラウはピアノのためのいろいろな小品(当時のポピュラーなメロディの変奏曲やロンド)、簡単なピアノ曲、1本又は2本のフルートのための作品、ピアノ付きの歌の小品、それらクーラウのハンブルク時代の初期(1804〜10年)の作品の後に、作品番号を付けた最初の作品を発表した。すでにピアニストとしても完成の域にあった彼は見事な3曲のロンド作品1〜3、さらにそれよりも高度な最初のピアノソナタ作品4を公表して評価を得たいと希望した。
作品4は1810年9月にライプツィッヒのブライトコップフ&ヘルテル社に送られたが、「〔クーラウは〕有名でないから」という理由で送り返されてきた(注1)。しかしクーラウが、恩師である町の(訳注:ハンブルクの)音楽監督で作曲家のF. G. シュヴェンケの推薦状を付けて、新たに送り直したことによって初めて取り上げられることとなった。推薦状にシュヴェンケは「ヘルテル氏がハンブルクに来たときに個人的にクーラウに関してお話しましたが、この若い作曲家の更なる推薦が必要とならないように」と書いている。またそのソナタの批評をその出版社の周知の「一般音楽新聞」(AmZ)に書くつもりだと言っているがそれは行われなかった
Op.4 / Es-dur |
Op.4 第1楽章 |
訳者注:ここから作品4の楽曲構成についての説明です。楽譜を参照すると分かり易いと思います。IFKSサイトの視聴ページをご覧頂きながらお読み下さると良いかもしれません。音も聴けます。別のページが現れます。クリックして下さい。
作品4の変ホ長調ソナタは4楽章で構成され、最初の導入部は変ホ短調の幅広い表情豊かな「ラールゴ・アッサイ」で
、
(訳注)
訳注楽譜
盛り上がるにしたがい冒頭のユニゾンのテーマと短い5音(後で7音)のフレーズが組み合わされ、それがドミナントの保続音の上で終結に向かい
(訳注)
訳注楽譜
早い部分に進む
。早い部分は下行の不協和音の動きa)と16分音符の上行のパッセージb)が組み合わされ、最初のa) がはっきりしたリズムのメロディーに変形される
。(訳注)
譜例1
この音型はあとの主題に持ち込まれ、1曲の中でテーマの大きなコントラストが無いように感じられるくらいに全楽章に亘っている。展開部では導入の主題(譜例1)は最初に反行形で現れ、
(訳注)
訳注楽譜
次に幅広い調性のスペクトルの中で行われる付点音符のリズムのテーマと入れ替わり、長いドミナントの緊張(bの音型の上で)の内に再現部に入る。
(注1)1810年9月10日付け、クーラウからヘルテル宛の手紙:「クーラウの手紙」コペンハーゲン、1990年、ゴルム・ブスクの注解付きで出版された著書、34ページ参照
115ページ
再現部では第一主題と第二主題の間の部分に第二主題を様々に転調させてトニカ(主調)へ移行する。この経過句部分は当時一般的に行われたソナタ楽章に見られる動機の反復進行や転調で性格づけられている。これはしばしば「二次的発展」(注2)と呼ばれるものである。(クーラウの場合は室内楽作品においてその例が多く見られる)。提示部と再現部の終わりの箇所にピアノ奏法における特異な試みが行われている。それはオクターヴ内の手の交差(左手に高音部の音階)で非常にやりづらく、その通りに行わなくてもよいものであろう。(訳注)
(訳注:この部分の楽譜をご覧ください。左図大譜表の下段はト音記号です。右図の下段の始まりはヘ音記号です)
Op.4 第2楽章 |
第2楽章は自身の主題による変奏曲である。クーラウは変奏曲を書く場合、多くは他人の(民謡やオペラのメロディ)用い、自分のメロディは極めて稀なことである。変ホ長調のその主題は先ず典型的なのリズムで
、(訳注)
訳注楽譜
(訳注:第1番の変奏の記述はありません。)
2番目の変奏は新しいハーモニーで(ハ短調)
、(訳注)
訳注楽譜
3番目の変奏は低音がベートーヴェン的なオクターブ跳躍で(プレスト)
、(訳注)
訳注楽譜
4番目は同様にハ短調で始まる葬送行進曲風(グラーヴェ)で
、(訳注)
訳注楽譜
そして最後の変奏(アレグロ)に続き
、(訳注)
訳注楽譜
自分の主題の最初の部分(モデラート)を用いて曲を締めくくる。
(訳注)
訳注楽譜
Op.4 第3楽章 |
ゆっくりした導入の美しい響きのロ長調のアダージオは表情豊かで幅広いものである。長い音価のベートヴェン風コラール的な主題(sostenuto assai)は(このようなコラール的と言われる音形は譜例22を参照)。
(訳注)
訳注楽譜
強く不安を訴えるような嬰ト短調の中間部
(訳注)
訳注楽譜
の後に伴奏形(スタッカートの16分音符)を伴って再び現れる。
(訳注)
訳注楽譜
それは当時、少なからずベートヴェンの通常の作曲の仕方であるが、ここでクーラウはそのようなやり方で変化に富んだ素晴らしい効果をあげている。
Op.4 第4楽章 |
このソナタの最も独創的な楽章は生き生きしたヴィヴァーチッシモの終曲である。この主題は軽やかな「ねじれた」弾丸のようなアクセントを持ち、同じような音型が続く。
(訳注)
譜例2
この音型は楽章全体に現れるが(経過的な16分音符の分散和音とそれに続くコラール風メロディによって中断される)
(訳注)
訳注楽譜
ただ単一主題として働くだけでなく、まるでエチュード的な「無窮動」の効果を上げている。四六の和音(訳者注:3和音の第2転回形)の終止形に続くドミナント上のトリルは激しいクレッシェンドとアッチェレランドによって曲が終わるように思わせるが、
(訳注)
訳注楽譜
間もなくスモルツァンドとラレンタンドの箇所で、さらに実験的な効果をあげる驚くべき扉にぶつかる。
(訳注)
訳注楽譜
これは後に続く彼の初期のソナタによく見られるものである。
変ホ長調のソナタ(訳注:上記のOp.4のこと)は1810年12月にブライトコップフ&ヘルテル社から出版され、18日にその1冊がコペンハーゲンにいるクーラウのところに送られてきた。
(注2)Charles Rosen著:「ソナタ形式」、ニューヨーク、ロンドン、1980年、276〜77ページ参照
116ページ
Op.5a / d-moll |
(訳者注)ここからは作品5の楽曲構成の説明です。楽譜を見ながらお読みください。
ここをクリックして下さい。新しいページが開きます。
なおクーラウのOp.番号において同じ番号でaとbがある作品があります。作品5も同様です。このピアノソナタは5aとなっています。これに関しては「クーラウの作品番号のaとb」をご覧ください。本論で作品5と言っているのは5aのことです。
Op.5a 第1楽章 |
彼の次のソナタ、作品5ニ短調はドイツで作曲し始めたのかもしれないが、大部分はデンマークで書かれたことは確かである。この曲は1812年4月にブライトコップフ&ヘルテル社から出版された(注3)。楽譜のタイトルページに「アヴェ・マリア」の7声の「謎のカノン」が歌詞と一緒に載っているが、その最初の4音は第1楽章の導入部アダージオの開始の低音に用いられている。しかし、これはソナタのあとの部分には現れない。(訳者注)
訳者注:謎のカノン「アヴェ・マリア」(上部のアップ)
またこの導入における葬送行進曲の性格を持つ付点音符のリズムは
(訳注)
訳注楽譜
クーラウのピアノ作品の新たな特徴となったものである。オーケストラ作品のような効果を持つ楽章で(しかし、これは全くピアニスティックであるが)きわめて多声的で豊かな構成を持ち、特に弦楽器の土台の上に高音域の木管楽器の和音の響きを明らかに意図している。これはまた早い部分の導入の主題(アレグロ・コン・モルト・フォーコ、リゾルート) (3〜8小節) (譜例3と比較せよ)で見られる。(訳注)
訳注楽譜
そこに現れる下行の「チェロ」のメロディ(コン・モルト・エスプレッシオーネ、5〜6小節)は機能的で歌うような第2主題(ドルチェ)を導き出し、(訳注)
訳注楽譜
それは再び終結(エピローグ)部分で現れる。そして三連音の低音の上に前述の行進曲リズムの主題が第二主題から導き出されたシンコペーションの動機と交互に現れる
。(訳注)
訳注楽譜
クーラウが極めて集中して書いたものの一つであるこの展開部は、鍵盤の低い音域で終結部主題を3度で重ねて始まり、それを模倣した小節が続く
。(訳注)
訳注楽譜
これは音響上めずらしい効果の箇所として引き合いに出されている。(「彼の低く唸る箇所は驚くほど効果がない[!]」とはAmZのこのソナタの批評(注4)で言われたことだが、「効果がない」というのは古いハンマークラヴィアーの虚弱性に起因しているのかも知れない(?))。その他にもここでは第1主題が次のように用いられている。3〜4小節の5つの和音の打音は主題的関連性を維持して縮小されている。すなわち最初の3つの打音は後の2つの打音のアウフタクトとして8分音符となっている(4小節目から)(訳者注:下の楽譜の最初の小節の3つの打音が次の小節の最後の3つの8分音符に縮小されているという意味)。同様に後の方までそれが用いられ(本来の縮小形)16分音符の音型の箇所の低音(ここでも和音の打音)
(訳注楽譜=次ページの譜例3の中にこの箇所がある)
に至り、両者が相まって盛り上げ、劇的なピアノ楽節で再現部に導く。(次ページの譜例3を参照)(訳者注:次ページに譜例3があるのは原著の編集の都合によっている。本来はこの位置にあるべきもの。従ってここに移動しました。)
譜例3
(訳注)
(訳者注)上記の譜例は第1楽章の128〜146小節
終結部では終結部主題が3連音符の主調保続の伴奏音型の上に叙情的に変容され、導入の主題(訳者注:速い部分の最初の音型)によってこの楽章が力強く閉じられる。
(訳注)
訳注楽譜
Op.5a 第2楽章 |
このソナタの後の楽章も同様に高度な規範を示している。ゆっくりした楽章(単にカンタービレと指示されている)はこの作品の中で最も独創的なものかも知れない。これはジョン・フィールドが創始者と言われる8分の9拍子の夜想曲のような独特な音楽作品である(フィールドの最初の夜想曲はこのソナタと同じ年に出版された)。またこれはショパンを予見させるものである。すなわち4小節でまとまった5種類のメロディーライン(a b b' c d)が付点4分音符の低音とその中声部に8分音符がタイで結ばれた音型の上に乗っている。
譜例4
(訳注)
(注3)AmZ 1812年4月、IV巻、広告のページに記事が掲載。作品4と作品5の二つのソナタの間にピアノ・コンチェルトの仕事があった。これは(ピアノ・コンチェルト)1811年1月23日に初演されたが出版社には1812年5月2日になって初めて送られた。
(注4)AmZ 1813年2月3日
117ページ
譜例3
訳者注:前ページに移動しました |
118ページ
フンメル風に装飾された上声部はカデンツァ(ad. lib., delicatamente)と書かれた箇所に至り、
(訳注)
訳注楽譜
主題の全てを変奏して再現させたあと終結部(con anima)に至る。そこではタイで結ばれた音型が上声部に現れる。 (訳注)
訳注楽譜:終結部 con animaの個所
そして次の低音の音型がト短調、ニ短調で現れ、
(訳注)
訳注楽譜
ヘ長調の箇所で低音の主要主題と新たな副(第2)主題が対位法的に扱われる。
(訳注)
訳注楽譜
主要主題と副主題がいろいろな調性で現れる展開部的な部分のあと最初の主要主題の部分があり、終結部(ここではcon amore)に続きラレンタンド、スモルツァンドで減衰した後、この楽章をフォルティシモで終わる。
(訳注)
訳注楽譜
Op.5a 第3楽章 |
最終楽章はモーツァルトのピアノ協奏曲・ハ短調 (K. V. 491)の最終楽章(変奏曲楽章)(訳注)
訳注楽譜
を強く思い起させる主題で始まる。
(訳注)
訳注楽譜
この楽章は対照的な推移部の主題(ニ短調からヘ長調に転調)
(訳注)
訳注楽譜
と第2主題の場所に主要主題を長調に変えたもの
(訳注)
訳注楽譜
が置かれたロンド・ソナタ形式である。その結果この楽章は統一感を強く感じさせる。クーラウの他の作品によくあることだが、この作り方の特徴は展開部的な箇所における変ニ長調、変ト長調に転調する推移部の主題の部分に見られる(そこではヘ長調が先行している)。
(訳注)
訳注楽譜
これは主要主題提示部の最後の箇所とその二度目の繰り返し(訳注:94小節以降のこと)の間に組み込まれている。長めの展開部的な部分(主要主題で作られた)(訳注:108〜161小節)は、主要主題の二度目の繰り返しの後に続き、32分音符の音型の繰り返しを通過し三度目の主要主題(訳注:161小節以降)に強く結びつく。最後の主要主題の箇所で装飾されることはクラマーのロンド最終楽章に一般的に見られることである。同様にクーラウはこのソナタでは最後の手段として驚くべき終わり方をしている。それは荒々しいほどの、まるでオペラ作品のような緊迫した箇所(più presto con molto fuoco) (=前に出てきた終結部の変形した部分)からフォルテシモの両手のオクターブによるA音のユニゾンに至り、そのあと弱音の主音に下降して終わっている。
(訳注)
訳注楽譜
このソナタはクーラウの正に最初の重要なピアノ作品であることは疑いない。これは初期の大規模なピアノ作品の中でも筆頭のものである。このソナタはAmZ (1813年2月3日) において大いに称賛を受けている。---掲載されたことは彼の作品では初めてのことであり、恐らくシュヴェンケの筆によるものであろう。そこには次のように書かれている。「クーラウ氏は作曲家として作品数は少ないが最近重要な作品を発表した。これは先ず高貴な趣味を備え、根本的に充分な和声で仕上げられた労作を称賛することを知っている全てのピアニストにとってゆるがせにしてはならず注目されるべきものであろう。彼のことをまだ知らない人が、彼とクラマーとの近親性---それは常に流れるように、表情豊かに、喜びに溢れているとは限らないが----を考慮すると少なくとも誤解することになるであろう・・(注5)。・・折々の新しい思いつきによる長所、しばしば行われる性格と帰結の両者の新たなる取り扱いは同様に良いものである。高貴な和声、楽章の明解さや厳正さ、楽器の長所を採り入れた手堅い効果的な用い方、そして豊に、決していたずらに奏者の努力を強いるものでないものとして、このソナタは明らかに特記できるものであろう。ただ二三の不自然で、乾いた、冷たい箇所があるが、全体に於いて自明の努力により至る所に卓越したものがあると筆者は考える。」その先に楽章の分析が続く。そこでは二三の箇所で文句が付けられている。しかしその他は極めて好意的に書かれている。そして作曲家に、特に当時の批評記事で神経質に触れられる上述の忠告を考慮することを望み、多くの「尊敬すべき友人たち」を得なければならないと好意的に結んでいる。
(注5): 1810年10月6日、ヘルテル宛の手紙で、クーラウは作品4のピアノソナタの原稿料の代わりにクラマーの作品23、25,27,29,31,34,37。デュセックの作品35、45,70。べートーヴェンの作品27-2、変奏曲作品34、35,チェロソナタ作品69、ピアノ三重奏曲作品70([の楽譜]-訳注)を要求している。これは彼の音楽趣味がどの方向を目指しているかが現れている。勿論、彼(確かに彼は当時の音楽をよく知っていた)はその他の多くの曲もハンブルクやコペンハーゲンでの貸し譜屋で、また大勢の後援者や友人たちの家で「何か新しい曲がありますか?」と質問して知識を得ていた。(トラーネ著:「デンマークの作曲家」、コペンハーゲン、1875年、148ページ)。
Op.6a & b |
(訳注)ここから作品6(a)の説明です。作品6にはaとbがあります。本文中、作品6と述べていものは6aのことです。
3曲のイ短調、ニ長調、ヘ長調の「大」が付いたソナタ(注6)、作品6の作曲年と出版年を特定することは難しい。しかし、出版事情や様式的な理由から
(注6):大規模な、大(grande)(後編を参照)という命名はクーラウにしても同時代の作曲家にしても、幾分各自の判断に任されていたもので、殆どの場合は出版社が決めていたようである。この作品番号の最初のソナタだけにこの名称があるが、単にソナタとして名付けられている彼の作品4や作品5よりも大規模ではない。大規模な変ロ長調ソナタ作品30も同様であるが、これは「大 (grande) ソナタ」と命名すべきであった。
119ページ
変ホ長調やニ短調のソナタ(訳者注:作品4と作品5のこと)より前に書かれたと言う考えを除外することが出来ない。この曲は最初にハンブルクのG.Vollmer(フォルマー)社から出版された。アルトナのL. Rudolphus(ルドルフス)社、ハンブルクのM. Hardieck(ハルディエック)社、J.A. Böhme(ベーメ)社は初期の作品の出版社である。ライプツィッヒのHärtel(ヘルテル)社は1810年(作品4)から1822年(作品41)まで彼の作品の殆どを出版した。作品6はハンブルクのJ. A. Cranz(クランツ)社から改題版として1822-23年に出版された。これはAmZに「作曲家の若い時代の作品の新規の出版」(注7)として報じられている。その他にも作品番号の6は二つの作品に用いられている(同様に、5,8,10)。すなわち3曲のソナタと1811年に作曲されその翌年出版されたヴァイオリン・アドリブのソナタである(注8)。
作品6のソナタはクーラウのその他の若い時期のソナタの中では大きな構造であるが、幾分簡明なピアノの楽章であるという違いがある。最初の2つのソナタ(訳者注:作品4と作品5)の幅広い音響の豊かな様式とベートーヴェン(又はクラマー)がその規範を示すような声部間の左手と右手の融合と分割による多声性に対して、作品6のソナタは右手がメロディ、左手が伴奏形(分散和音や様々な演奏形)である軽い構造のモーツァルトやハイドンを思い起こさせるものとなっている。
Op.6a-1 / a-moll |
Op.6a-1 第1楽章 |
クーラウは彼の偉大なる手本に敬意を表してモーツァルトのピアノソナタ(K.V.310)の開始の主題(訳注)
訳注楽譜
を用いて彼自身のヴァージョンでイ短調ソナタを始めた。これは彼の借用---又はモデルテクニックの最も明白な例である。これは彼の全てのジャンルにおける創作活動に貫いていることである。
(訳注)
歌うような主題は3曲のソナタに多く見られる。例えばこのソナタの第2主題は驚くべきことであるが提示部と再現部の両方とも属調のイ長調で現れる。
(訳注)
120ページ
小型ハンマー・クラヴィーア(音楽史博物館 Nr.9所蔵)。4オクターヴ。エンパイア・スタイル(訳注:ナポレオン1世の帝政時代の芸術様式)マインケ・マイヤー&ピーター・マイヤー社。ハンブルク(制作年不詳)。1800年頃。クーラウが所有していたもの。Angul Hammerich 著:音楽史博物館 イラスト付きカタログ、コペンハーゲン1909年、101ページ |
121ページ
譜例7における終結部の主題は音型の繰り返しと低音のまるで「パパゲーノ」スタイルを思わせるユーモラスな「ファゴット」3度(譜例6でも同様)で作られている。 (訳注)
Eks.7
提示部において第1主題と終結部主題が次々に3度も現れるにもかかわらず、展開部でも両者は同じように用いられている。再現部ではいくらかの縮小はあるが殆ど変化無しに経過し、その後、展開部主題と終結部主題がもう一度現れ(イ短調)、アダージオの箇所のドミナント-トニカの全音符でこの楽章を閉じる。
Op.6a-1 第2楽章 |
第2楽章は「ファンタジー」と書かれていてホ長調、アンダンティーノ、2/4拍子で極めて独特なものである。
(訳注1)
(繰り返しなしで演奏)
訳注1の楽譜
しかし、実際は各変奏の間に新しい楽句が挿入されているもので、その結果、変奏曲とロンドの折衷形と言える(注9)。しかしながら変奏曲の繋がりが優位を占め、挿入楽句は主題自体の素材から借用されているが、初めはその全体の内のある区分を用いたものである。最初のハ短調の挿入楽句は主題の中間部を用いているが(訳注2)
訳注2の楽譜
2番目(短調)の挿入楽句は音の強弱で対比している。 (訳注3)
訳注3の楽譜
2番目の変奏はト長調で主題の前半を変奏し、 (訳注4)
訳注4の楽譜
自由に展開し、ホ短調に至り挿入楽句(Minore)(訳注3の楽譜のこと)が続く。
第3変奏はホ長調に戻り(訳注5)
訳注5の楽譜
この曲の作り方(三連音の八分音符と八分音符の左手に対して各小節に右手の八分音符の裏打ち)は自由な楽句に発展する。その際、徐々に速度を増しハ長調、ハ短調を経過し変ホ長調のアレグロに至り(訳注6)
訳注6の楽譜
更にホ長調、イ短調のアレグロ・アッサイを経過しホ短調のプレストに至り(訳注7)
訳注7の楽譜
長い保続音の後にホ長調のアンダンティーノ・グラチオーソに到達する。これは最初の主題の上に新しい対旋律のある4番目のそして最後の変奏となる。(訳注8)
訳注8の楽譜
そして終結のコーダで終わる。
Op.6a-1 第3楽章 |
最終楽章はソナタ形式でフーガ的主要主題を備え、それは『魔笛』の序曲のフーガ主題の変形である。
(訳注)
Eks. 8 (Allegro non tanto)
(注9)ハイドンの二重変奏技法及びデュセックの「なぐさめ」作品62(1807年)を参照。
122ページ
はっきりした第2主題と(訳注1)
訳注1の楽譜
終結部主題(両者とも主調の平行調)があり、それに音階のパッセージが続く。(訳注2)
訳注2の楽譜
このような音型の扱い方は後にクーラウのピアノ様式の要素となったものである。しかし、この作品番号の中では他には特に現れていない(もしかしてもっと初期の作品の特徴かも知れない?)。
展開部は1小節遅れの入りで転調された第1主題の動機で始まり、
(訳注3)
訳注3の楽譜
終結部主題と音階パッセージが続き、第1主題(デリカメンテ)(訳注:初版にはdelicatamenteとあるがこれは古語扱いとなっていて現在はdeliicamenteが一般的である)が単音楽に変わった箇所に到達する。
(訳注4)
訳注4の楽譜
それはすでに提示部の最後に現れている音型である。そして変更のない再現部まで行われる。
Op.6a-2 / D-dur |
Op.6a-2 第1楽章 |
ニ長調のソナタは軽やかでより楽しいもので、ハイドンやモーツァルトに近い。第1楽章の第1主題は休符で分割された短いフレーズが印象的である。
(訳注)
譜例9 (Allegro moderato con molto affettuoso)
ニ短調の悲愴で訴えかけるような音調の新しい主題は、私にはエマニュエル・バッハ(クーラウの師であるシュヴェンケはその弟子)の北ドイツ「多感主義」の書法を思わせる。
(訳注)
譜例10
提示部では対照的なスケルツァンド風な第2主題がいろいろな形を伴ってを終わる。
(訳注5)
訳注5の楽譜
展開部は第1主題と第2主題はそれぞれに用いられ、その他に経過句(5度関係反復進行の分散和音)
(訳注6)
訳注6の楽譜
があり終わる。
再現部は提示部と殆ど同じであるが、ニ短調の主題は力強く延長されている。すなわち15小節がより豊かな和音になり繰り返され、35小節となる。
(訳注7)
訳注7の楽譜
Op.6a-2 第2楽章 |
初期のソナタにはしばしば特殊なピアノ技法上の実験が行われている。それは第2楽章が「左手のソロ」で書かれていることである。これは音楽史上初めてのことかも知れない。エマニュエル・バッハは左手又は右手で演奏される曲をいくつか書いている。
123ページ
しかし、私はこの時代の曲で左手のためだけに書かれた曲は他に知らない。しかしながらクーラウと同時代の北ドイツの作曲家カルクブレンナーが1818年ロンドンで出版した左手のためのソナタ変イ長調作品42(40)のことを思い当たるかも知れないが、これは左手のためだけの曲ではない(これはMGG VII 452ページに「左手のための最初のソナタ」と記述されている)。しかしこれは左手に重点を置いた曲である(ウイリアム・S. ニューマン著「ベートーヴェン以降のソナタ」、チャペル・ヒル、1969年,473ページ)。私が見つけた最初の曲は1816-7年(頃)のルートヴィッヒ・ベルガーの「左手のエチュード」)作品12-9である。
10度、11度音程のメロディは現在の楽器では演奏不可能であるが、当時の狭い幅の鍵盤のハンマークラヴィーアでは当然ながら演奏可能であった(注10)。
(訳注)
譜例11(クーラウの場合、大譜表で5小節目で初めて上段が用いられている)
第4〜5小節の動機はイ短調ソナタの終楽章のフーガ的なメロディに見られる(譜例8)。偶然かも知れないが作品6の中で統一を試みたのかも知れない。いずれにせよニ長調の楽章間では、この動機はこの楽章の最後に快活な最終楽章のロンド主題の橋渡しあるいは合図のように用いられている(反行形で)。そして引き続き次に続く。
(訳注)
譜例12
124ページ
Op.6a-2 第3楽章 |
形式的にやや特殊なもので、フランスの「ロンド」と似ている。明確な楽段のダ・カーポによって繰り返される(ダル・セーニョ)楽章である。(訳注1:第3楽章の冒頭と最終小節の終わりの箇所)
訳注1の楽譜
最初の楽段(訳注:楽章の構成をABAとした場合、最初のAの部分)は4つの繰り返し部分から成り、2つ目と3つ目の部分は左手に主題が現れる。
(訳注2)
訳注2の楽譜 (2つ目=左図48小節〜 3つ目=右図75小節〜)
最後の部分のスケルツァンドと書かれている箇所の最初の小節は3度で、次に5度、オクターブ、2オクターブ(交差して)で行われる。
(訳注3)
訳注3の楽譜
2番目の楽段(訳注:ABAのBの箇所のこと)は全く新しいもので平行調---五度調---五度五度調などに転調される。
Op.6a-3 / F-dur |
Op.6a-3 第1楽章 |
最後のヘ長調のソナタは 2楽章形式である。第1楽章の提示部の経過句、第2主題、終結部主題は又もイ短調ソナタ(譜例7)に見られるような音の反復による「パパゲーノ」的なものである。第2主題は終結部主題を予想させながら三声の模倣で行われ、
(訳注4)
訳注4の楽譜
終結部は半音階の下降形で締め括る。
(訳注5)
訳注5の楽譜
第2主題のグループの20節は全て同じように繰り返される(イ短調・ソナタの多数の主題反復のある第1楽章と比較せよ)。これはヘ長調・ソナタの第1楽章を幾分単調で退屈な感じを与えてしまう。
Op.6a-3 第2楽章 |
独創性は第2楽章に見られる。これは『魔笛』の第2幕・導入の「僧侶の行進」
(繰り返し省略)
(訳注6)
訳注6の楽譜
の一連の変奏曲である。
主題と変奏の前に主題("Marche di Mozart con Variationis (!)")と対照的な力強い和音のヘ短調の「グラーヴェ」があり、
(訳注7)
訳注7の楽譜
3つの変奏が続く。最初の2つは主題の尺を変更せず、中声部と低声部がトレモロ音型、
(訳注8)
訳注8の楽譜
低声部が音階進行で作られている。
(訳注9)
訳注9の楽譜
3つ目の自由な変奏は対声部的でヘ短調から常に遠ざかる転調(訳注:f→g→c→d→a→g→F)をする。
(訳注10)
訳注10の楽譜
導入の「グラーヴェ」が再び現れ6/4拍子の長い自由な最後の変奏が続く。
(訳注11)
訳注11の楽譜
それは主題を更に発展させ殆どの五度圏をまたいで経過し、モーツァルトの行進曲に到達し最後にピアニッシモでこのソナタを締め括る。
(訳注12)
訳注12の楽譜
Op.6b / D-dur Violine ad libitum |
この曲のヴァイオリンと共に演奏する楽譜は次のページをご覧ください。新しいページが開きます。<クリック>
前述したヴァイオリン・アド・リビトゥムを伴うニ長調の易しい3楽章のソナタOp.6b (1811年作曲・1812年出版)は、一連の大規模な初期のソナタの範疇には属さない。しかし、この作品がまだクーラウの真の特性にまで発展していなかったものにせよ、後のソナチネの前駆となるものだった。これは殆どクレメンティやクラマーの様式である。(例えば第1楽章の三連音の伴奏形、(訳注13)
訳注13の楽譜
作品26-1-Iのソナタを参照せよ)、(訳注14)
訳注14の楽譜
そして変ロ長調9/8拍子スタッカートの低音を伴う短いアンダンテ(訳注:第2楽章のこと)、6/8拍子で主調の保続音上のロンドの主題である(訳注:第3楽章のこと)。
Op.8a / a-moll |
1813年に作曲されたイ短調の大きな(grande) ソナタ・作品8aは1813年3月4日にヘルテルに送られ1814年5月に出版された。これはニ短調ソナタ(訳注:作品5aのこと)と同様、タイトルページに二声の「謎のカノン」が描かれている。(訳注1)
訳注1の図
しかし,これは(訳注2)このソナタとは関連がない(注11)。
訳注2の図
Op.8a 第1楽章 |
このソナタは初期のソナタの中でも最も大規模で極めて意欲的なもので、真摯さと憂鬱さによる悪魔的な情熱を持つことの違いによってニ短調ソナタ以降の最も重要な作品と考えられる。このソナタの正に悲愴な表現は第1楽章の、中声部と下声部における下降半音階的と全音階を伴う嘆くような第1主題にすぐさま出てくる。(譜例13を参照)
(注11)このカノンはAmz掲載のため1812年11月22日に出版社に送られていて、1813年1月13日に出版された。
125ページ
譜例13 (A11egro non troppo ed espressivo) (訳注)
クーラウが初期のソナタのいくつか(特に最初の2つ)で行った単旋律的原則は、今やこの曲の3つの楽章において厳格な統一性をもたらすこととなった。それ故、経過句主題や第2主題、終結部主題は第1主題の切れ目に直接現れる。第1楽章に現れた経過句主題は十六分音符と譜例13の1〜2小節及び第9小節の結合、
(訳注)
訳注楽譜
第2主題はそれの長調で始まり、
(訳注)
訳注楽譜
終結部主題は第5〜6小節の8分音符動機でカノン風に作られている。
(訳注)
訳注楽譜
展開部は第1主題の提示と殆ど同じもの、その後に最初の2小節が転調し、その先で殆どきっちりと編まれた織物のように16分音符と組み合わさったものが続く。
(訳注)
訳注楽譜
以下楽譜省略(音はまだ続きます)。
これはAmZに次のように性格づけられて記述されている。「正に音型とパッセージの戦い----ここには第1楽章を性格づける「激越の内に悲愴なる苦渋」が溢れている」と(注12)。この嵐の後、ピアノの低い音域で第1主題の4分音符の4小節、その後第1主題の最初の2小節で(piano e sostenuto)経過句として再現部まで続く。
再びオーケストラ的効果(チェロ-コントラバス又はトロンボーンの響きの後に木管楽器が高音域で答えるような)全てが半音階的に先導し、所々で和音が挟まれている部分。
最後にラレンタンドとスモルツァンドで思い諦めるように消える終結部で和音的に特殊なものが見られる。すなわちイ短調からロ短調を経過し、嬰ハ短調に上行する形(譜例18を参照)で、直接にその後のイ短調につづくものである。 (訳注)
訳注楽譜
Op.8a 第2楽章 |
正にべートーヴェン的なヘ長調のアダージオ(展開部のないソナタ形式で再現部の第1主題と第2主題の間に「二次的な発展」があるもの)は複付点の当時の典型的な静粛な主題で始まる。
(訳注)
訳注楽譜
(この手本はハイドンの最後のソナタ変ホ調のゆっくりしたホ長調の楽章Hob.XVI/52)Nr.62ではないかと私には思われる。)(訳注)ここではインターネット上のフリーMp3が聴けます。<クリック>
訳注楽譜(Haydn : Hob.XVI/52)Nr.62)
これは経過句主題と第2主題の両方を変奏して更に拡大した形である。この第2主題(訳注:譜例14のこと)は洗練され作りかえられた響きで上声部においてオクターブで行われる鐘の連打を思わせる箇所に現れる。3小節目で新しいスタッカートの動きの32分音符の6連音符が来る。
(注12)1815年3月15日、Amzに掲載
126ページ
譜例14 (Adagio con anima) ( 訳注)
左手の低い音域(C)で鐘の音が響き、2小節後に中声部でスタッカートの動きがあり、鐘の音が1オクターブ上に現れ、メロディーはそのまま続く時、右手の高音域に主題が(和声を伴って)再現される箇所で、
(訳注)
訳注楽譜
クーラウは少なからず優れた音響効果を得ている。際限なく続く64分音符の音型の前述の「二義的な発展」よりも、単調な主題が故に長い楽章を飽きさせないためには繊細な細目が要求されることとなる。
Op.8a 第3楽章 |
終楽章(ソナタ形式)は幾分機械的な第1主題にクレメンティの影響が強く現れている。
譜例15
(訳注)
すなわちアウフタクトの動機(a)と第1小節目のオクターブの跳躍(b)はこの楽章の他の主題やその他の経過句のパッセージの基礎となっている。これによっていろいろな楽句が特異な形で動機的に連結されている(注13)。実際この二つの動機は機能的に結びつき発展している。第2主題
(訳注)
訳注楽譜
に移行する経過句には、低音域の主題の上に、右手に16分音符の新しい音型が第2主題を導く箇所まで現れる。
(訳注)
訳注楽譜
第2主題は低音域にアウフタクトの動機とオクターブの跳躍を伴った第1主題の歌うような変奏である。この第2主題は新しい16分音符音型(経過句の音型から派生した)と対位的に3度の動機で終結主題まで進む。終結主題はアウフタクト動機が2回現れ、低音は経過句の音型から派生した16分音符音型を間引いた三度の動機である。これは後のソナタやソナチネで知られている最もクーラウらしいフレーズである。
(注13)クレメンティの最後の2曲のピアノソナタ、作品50-2,ニ短調と作品81-3,ト短調(見捨てられたディオーネ)の最終楽章を比較せよ。この時点でクーラウはこの曲を知らなかったのである。
127ページ
譜例16 (訳注)
展開部は提示部の動機を発展させたもので、特に第2主題と三度の動機から作られ、動機を反行した二声のカノンに到達する。再現部は提示部と似ている。第1主題の後にすぐ続く箇所は驚くべき遠隔調への揺れがある(提示部では変ホ長調からイ短調へ、
(訳注)
訳注楽譜
再現部では嬰ト長調からホ短調を経由してハ長調へ)。
(訳注)
訳注楽譜
この転調はクーラウの場合、下声部が半音階的に下降し、いくつかの声部は半音階的に上行し、その他は同じ位置に留まるものである。 譜例17の第3小節からいわゆる「悪魔のミル」の反復進行(訳注:"djævlemølle" (Teufelsmühle)-sekvensとは半音階的属和音による反復進行を意味します。devil's mill(英語)これは日本語の術語に無いので「悪魔のミル」と訳しましたがミルとは風車、水車を意味します。)と呼ばれるもので、クーラウの場合は殆どは不完全な五度調の属和音として行われ、(減五度で)トニカの四六の和音に橋渡しをする。(参照、J. Jersild:「調性音楽時代の機能和声における和声的反復進行」デンマーク音楽学研究年鑑、13巻、1982年版)
譜例17 (訳注)
訳注:テンポを落として和音進行を聴いてみて下さい。
このソナタはAmZ(1815年3月15日)において、長文で且つ大いに称賛を受けている。筆者は(作曲家を作品だけから知っている人なのでシュヴェンケではない)は次のように書き始めている。「クーラウ氏は、書くべきことをよく知り、称賛すべき対位法を良く修め、その作品に反映させ、そしてその性格付けをすることを根本的に理解している数少ない作曲家に属している。彼の旋律は選び抜かれ、その音型は生命を持ち、パッセージは輝かしく声部進行はすばらしく、和声付けは正しい。彼の初期の作品においても、このソナタにおいても同様である。それらは決して大衆向けに書かれたものではない。そうではなく優れたピアノ奏者や音楽を良く知る者はこの曲を手にして満足するであろう。」その後にソナタの詳細な分析がある(全ての主題の冒頭を引用して)。特に楽章の扱いを称賛している。しかし、アダージオを長大にして音型とその装飾の過剰を性格付けしている。最後に筆者は全般的に音楽哲学的な考察をした後に、この作曲家の次なる作品を切に願うと書いている。
128ページ
Op.127 |
これはクーラウに可能性を与えることになった。しかし多くの長大なソナタの時とは変わって、それを行う時代はすでにクーラウにとって過ぎ去っていた。1815年8月彼はライプツィッヒのペータースに新しい長大な変ホ長調のソナタを作品16として送った。しかし、出版を断られた。後にヘルテルに送ってこれも断られたのは興味深いことである。このソナタはクーラウの死後1833年になって「華麗なる大ソナタ」作品127としてC. C.ローセ社から初めて出版された。(作品16はクリスチャン王のメロディのピアノ変奏曲に用いられた)。
その構成は前記の初期のソナタと同様であるが、様式では(特に終楽章において)より優美で流れるような新時代の書法(右手にメロディ、左手に和音や音型---作品6aのような)が用いられる方向に向かった。これは初期の大規模なソナタにおいて主題の動機を変奏する古典的な感興に対抗する明解なピアノ技法への過渡的なものを示している。これはそれ以後の彼のピアノソナタやソナチネの基準となった。しかし同時に旋律、和声、リズム、楽章、形式における個性は、彼をして最良ではるかに個性的とされる初期のソナタ以上に芸術家として評価されている。
クーラウが「ハーモニー協会」の演奏会で1815年12月25日に公開の場で初めて演奏したピアノソナタ(ピアノのための大ソナタ--アドレッセ紙12月20日掲載、Dagen紙12月22日掲載)がそのソナタ(12月9日にペータースから返送された)であったことを示している。彼にとって出版が不可能となったそのソナタを演奏することは重要なことだったであろう。
Op.127 第1楽章 |
第1楽章のユニゾンで奏される冷静で上品な第1主題は異なった和声の上で二度繰り返される。
(訳注)
訳注楽譜
二度目はクーラウを特徴付ける下降の調性の押圧である(変ホ長調、変ニ長調、変ハ長調)。
(訳注)
譜例18
同様の調性の傾きは終結部でも見られる。そこでは変ロ長調から変ト長調に行っている。その他にも提示部は第2主題までの経過句における技巧的なパッセージで占められ、第2主題と提示部の他の箇所で第1主題が中声部に現れる。 (訳注)
訳注楽譜
展開部は幅広い遠隔調の転調が行われる。提示部で終結した基音Bは経過句の素材である出発点のFis上の和音のAisと見なされる。(訳注)
訳注楽譜
その後で第1主題が操作される。最初に反行、次にパッセージにおける最初の4音のそのままの使用、
(訳注)
訳注楽譜
その内で新しい反行が、正に何も変更をされない形の再現部まで続く。(更に遠くの遠隔調への傾き---二次的発展のような---第1主題と第2主題の間の経過句において)。
129ページ
(訳注)
変ホ長調のソナタ作品16/127のクーラウの几帳面な自筆譜---彼の2手用のピアノソナタ作品で唯一現存するもの(個人所有)。
130ページ
没後の同作品の初版(ローセ社1833年)、両者の楽譜上の配置が自筆譜と殆ど同じであることはクーラウ作品の多くに見られる。
131
ページ
Op.127 第2楽章 |
ゆっくりした楽章はクーラウの作品の中でも、最も美しく最も心に響くものである。導入の主題はべートーヴェンの変イ長調ソナタ作品26の変奏曲楽章を強く思わせる。 (訳注)
訳注楽譜 (Beethoven Piano Sonata Op.26)
譜例19 (Adagio con molto espressione)(訳注: 音はその先も続きます)
その和声の図式はT|S6|D|Tでありクーラウの主題では非常に多く見られる(特に導入の箇所で)もので、その後の作品にも数多く見出される。特にS6の和音の箇所で上声部が繋留され(三連符の後で下降して解決)非常に感情表現を感じる。この和声は古典派から初期ロマン派以降のよく現れるトニカ-ドミナントの感情表現を性格付けるものである(譜例5のモーツァルトの主題の和声進行---[ 2x: T|D m. T-繋留と保続低音]、及び譜例19の類似したべートーヴェンの[T|D5 m. T-繋留. D|T D3|T m. 倚音 Dと比較せよ])。中間部(エスプレッシーヴォ・アッサイ)は変イ短調!
(訳注)
訳注楽譜
(べートーヴェンの第3変奏と比較せよ)(訳注)
訳注楽譜
は低音に新しい和声を用いた主題に戻り、(訳注)
訳注楽譜
「二次的発展」と呼ばれるような更なる展開と転調を経て消え入るようなコーダに向かう。
(訳注)
訳注楽譜
Op.127 第3楽章 |
最終楽章のロンドは当時のエレガント・ヴィルトゥオーゾ様式と呼ばれるものである。この形態はクーラウのその後の最終楽章のロンドに多く見られるものである。これは不完全な再現部を持つロンドソナタである。すなわち提示部の初めは(主題と所々にその後の経過句の最初の部分がある)再現を伴わないものである(注14)。これは次のような構成になっている。すなわち、主要主題(訳注)
訳注楽譜
---経過句(=後のクーラウのロンドに典型的に現れるフォルテで決然とした楽節)(訳注)
訳注楽譜
|
---第2主題(主要主題が終わる場所)(訳注)
訳注楽譜
---経過句(主調に戻る)----主要主題(2度目の繰り返し)----新たな長い中間部(通常下属調)(訳注)
訳注楽譜
---経過句---第2主題(訳注)
訳注楽譜
---経過句---主要主題(3度目の繰り返し)---コーダ。このロンドの中間部の変イ長調のコラール主題(全音符か2分音符)は最初の経過句ののリズムで対比し、このリズムはそれ以降(ハ短調に転調するまで)コラール主題につきまとい、非常に機能的に流れてゆく。またはその源泉に回帰するとも言える。この経過句は不完全な再現であるが極めて論理的に動機付けられている。
A. Keyperの筆写譜からの作品 その1 |
ここでクーラウの未出版の2つの作品をご紹介しよう。最初の曲は弟子のアントン・カイパーによる先生(訳注:クーラウのこと)のピアノ作品(カノンも含む)からの2冊の筆写譜にあるものである(注15)。これは本来のソナタではないが(巻末 [訳注:後編に掲載します] にある目録に含まれない)もしかして(いずれにせよ前者 [訳注:カイパーの1曲目] に関してではあるが)何かのソナタの第1楽章として考えられたものかも知れない。ここでは大ソナタのゆっくりした導入部(トニカの5度調)を伴った二つの楽章について述べよう。この様式は初期のソナタに属し、疑いもなく1810年〜1820年の間のいずれかで作曲されたものに違いない。
(注14)不完全な再現部は次の第1楽章に見られる。(作品31-2、34、55-3,55-6,59-3,88-3).しかし、フルート作品や室内楽にはもっと多く存在する。
(注15)ヨルン=L・バイムフォール著:「フリードリヒ・クーラウのピアノ協奏曲、作品7、ハ長調とピアノソナタ」I~II巻、ハンブルク1971年、I巻271〜91ページ、II巻の28〜39ページを参照のこと。これはソナタの(ソナチネは除く)詳細で広範な分析である。その背景にあるものはハイドン、モーツァルト、べートーヴェンのソナタであるが、当時演奏されていたであろうクレメンティ、デュセック、クラマーなどのソナタは考慮されていない。幾分複雑な研究方法ではあるが、素晴らしいものである。I巻の終わりにAmzに掲載されたクーラウの作品に関する価値ある索引がある。楽譜集には変ホ長調ソナタ作品127、2冊のカイパーの写本の中にある今まで出版されていない作品、その他にソナタから譜例が沢山含まれている。
132ページ
最初のものは---このカイパーの筆写譜は1820年12月24日と書かれているが1821年の書き間違えと思われる。何故ならその前に書かれているイ長調のロンドは1815年6月2日にスエーデンのGävleで作曲され1821年1月13日に筆写されたものだからである---変ホ短調のアダージオと変ホ長調のアレグロ・コン・ブリオ(横長紙の12段、全5ページ)である。(訳注)
訳注楽譜
ユニゾンで始まる低音の動機(譜例20aを見よ)は全導入部の基本となり、その中で「8分音符遅れの入り」の三声のカノンがある。アレグロは荘厳な二重主題(2小節毎に左右の手に置き換えられる)(譜例20b)のあとすぐに経過句主題が続き(譜例20c)、3度のパッセージが第2主題(譜例20d)まで続く。導入部と3つの動機のめずらしい動機の結合は次のようになっている。(o=反行, k=逆行, ko=反行と逆行(逆行の鏡像))。
譜例20
この例はもしかしたらピアノ曲としては重厚で声部が厚く極めてピアニスティックでない印象を受けるであろう。そこには多くの3度のパッセージ(右手又は両手で)がありクーラウにとってもめずらしいものである。カイパーは自身作曲家でないと言っているので多くの箇所には疑わしいところがある。しかしながらクーラウの典型的なものが見られる。すなわち終結部の左手に現れる第1主題の最初の2小節の二声のカノン(2小節遅れの入り)の伴奏として右手のヘミオラの音型(6/8拍子として2拍に対しての16分音符6個の音)、(訳注)
訳注楽譜
経過句や終結部における幾分冗長な反復進行や転調(作品4の第1楽章、作品8の第1楽章のように)、譜例17で説明したような和声進行や「偽再現」(作品46-3第1楽章、作品59-2第1楽章を比較せよ)、作品4の第4楽章、作品5の第3楽章、作品6-1の第1楽章のように、この楽章がピアノ(ラレンタンド)で終わること。(訳注)
訳注楽譜
これはクーラウには変格的な終わり方である。
(訳注)この曲はIFKSサイトにアップロードしています。視聴できます。ここを<クリック>して下さい。
133ページ
A. Keyperの筆写譜からの作品 その2 |
2番目の曲は同じカイパーの筆写譜のすぐ後に続くものであるが、日付は書かれていない。グラーヴェ、ト長調、2/2拍子---アレグロ・ノン・タント、ト短調、6/4拍子(4ページに亘る)。ここには前者よりも様々なものがあるように考えられる。グラーヴェの導入部はクーラウの多くのロンドや変奏曲に見られるような、型にはまったゆっくりしたイントロダクションに属する。はっきりした複付点の力強い和音、鍵盤全てに亘ったアルペジオ、幾分淡いコラールの主題、規則的なフリギア調の半終止(譜例25 [訳注:この譜例は後編に出てくるのでここ掲載] と比較せよ、ここの音 [訳注:カイパーの曲] はC-Es-D)で次に続くアレグロの先駆となっている 。(訳注)
訳注楽譜
譜例21
この楽章は、明確なソナタ形式であるが、譜例21に見られる8分音符の動きが楽章の間中、更にはコラール主題の第2主題の下にも絶え間なく現れている。
譜例22
これはこの作品に統一感を与え、古典派のソナタ楽章に見られる二元性よりも、曲全体に同じ情緒を持つロマン派盛期の先取りの性格を持っている。これに類似するものとして、同様な永続的な8分音符の動きで第2主題のコラール主題(主調の平行調)や主調の5度調における柔らかい響きを持つメンデルスゾーンの無言歌作品19-5嬰ヘ短調6/4拍子が挙げられる(Original Melodiesロンドン1832年)。反面クーラウのピアノ作品には和声的に古い時代の特徴が見られる。速い和声的リズムをワイセのピアノ作品、特に6曲のアレグロ・ブラヴーラの第1巻(1792-3作曲、1796年出版)を聴いたことによって---全く特別なことであるが---行われたのかも知れない。(ワイセのエチュードの作曲年はクーラウの没後「頃」である)。特に激しく転調する展開部、その中の1箇所にたった3小節の中に5度の跳躍の反復進行で全て以上の5度圏を経過する箇所がある(各四分音符の拍に新しい主調の和音が来て、すぐ短七の和音となる)。(訳注)
訳注楽譜
これはイントロダクションが次に続く楽章と親密性を持っていないこと、と同様にこの後に続く楽章を必要としていない特殊な作品である。この2つのソナタ楽章は出版を考えていたのだろうか?それとも単にカイパー用に作られた教材だったのであろうか?(彼の筆写譜にはフレージングや強弱記号は書かれていない)。
(訳注)この曲はIFKSサイトにアップロードしています。視聴できます。ここを<クリック>して下さい。
(前編終わり)
2013年IFKS会報に掲載されたゴーム・ブスク氏の論文「クーラウのピアノソナタとソナチネ」はここまでです。後半は2014年9月発行の会報に掲載致します。それまでに原稿が仕上がれば事前にアップロードする予定です。
どうぞ、それまでお待ちください。
なお、会報とこのページの翻訳と幾分異なるところがあります。このページを作成するにあたり、会報で解りにくいところを修正した箇所もありますので、こちらを優先してください。
デンマーク語も楽理も力不足の日本語翻訳で誠に恐れ多いのですが、不備がございましたらどうぞご指摘くだされば幸甚です。この翻訳が、クーラウのピアノ音楽について、皆様のご理解を深める一助になれば幸いです。(石原利矩) 2013年9月13日
「クーラウピアノ曲集」についてはここを<クリック>して下さい。