IFKS第5回定期演奏会のプログラムノート(曲目解説)
プログラムノート(楽譜ページ)
☆プログラム☆
このソナチネがいつ頃作曲されたかは次の手紙によって明らかになります。
それはブライトコップ&ヘルテル社あての1819年10月15日の手紙です。
「ここに出版用の4作品をお送りします。すなわち、3曲の小ソナタ(3 kleine Sonaten)、3曲の歌曲(3 Gesangstücke)、デンマーク民謡による変奏曲(Variationen ueber dän. Volkslied)、私のオペラ『魔法の竪琴』の4手用の序曲です。どうぞ作曲料は(現金で)そちらでお決め下さい。音楽新聞に掲載用の書き付けを同封致しますが、この校正は音楽の識者に委ねてください。---」
ここにでてくる「3曲の小ソナタ」とは、他ならぬ今回登場する作品20の3曲のソナチネのことです。「3曲の歌曲」とは作品21の、やはり今回演奏する歌曲です。「デンマーク民謡による変奏曲」とはこのホームページで紹介している作品22の変奏曲です。(http://www.kuhlau.gr.jp/music/Op.22/op22.html)。「書き付け」とはAMZ XXI nr.45,1819年12月1日号掲載のバッハ(BACH)の名前のアルファベットの音を用いた「音楽の絵謎」のことです。
さて、クーラウの手稿が失われてしまった今、作品20をクーラウ自身がSONATINEと命名したのかどうかは不明です。ブライトコップ&ヘルテル社の初版(1820)の表紙はフランス語で「Trois /Sonatines/ Pour le Pianoforte」となっています。
下のソナチネの数小節をお聴きになれば「ああ、あれね」とすぐお分かりになるでしょう。
視聴することができます。 |
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Op.20-1 Sonatine fuer Klavier C-Dur
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楽譜以下省略 |
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楽譜以下省略 |
Op.21 3曲の歌曲(歌)日本初演
夢
オルフォイス
五月一日(ついたち)
aus
Gerstenbergs poetischem Waeldchen Nr.1.Der
Traum |
ゲルシュテンベルクの「詩的森」より 第1曲 夢 |
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以下楽譜省略 |
Nr.1 Der Traum Ich
sah ein Maedchen ohne Maengel, |
第1曲 夢 非の打ち所のない乙女に会った。
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以下楽譜省略 |
Nr.2 Orpheus Orpheus,
als du mit Thraenen |
第2曲 オルフォイス オルフォイスよ、君が涙ながらに愛しいひとを唄うと、 |
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以下楽譜省略 |
Nr.3 Der erste Mai Der
erste Tag im Monat Mai |
第3曲 五月一日(ついたち) 五月一日は私の一番すばらしい日、 |
Op.19-10 10曲のドイツ歌曲(歌)より(再演)
Nr.10.
墓掘り人
坂田カナメさん(ソプラノ)&柴田菊子さん(ピアノ)で日本初演されたものです。歌詞の内容から男声に相応しいこと、この曲集の中では特に印象的な曲ということで、山下浩司さん(バス)に再演をお願いしました。
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Der Totengraeber (Schreiber) Es steht
der Totengraeber allein |
19-10 墓掘り人(シュライバー) 月光の下、教会墓地に墓掘り人が一人立っている。 (日本語訳:石原利矩) |
Op.10a-1 Duo(フルート)
クーラウのフルート曲の最初の二重奏、作品Op.10aの3曲について
1812年11月21日、B&H社宛の手紙に「フルートの二重奏曲を出版する意向があるか」と訊ねています。そしておそらく出版の承諾を受けとったのでしょう。1813年3月4日の手紙には「この曲を送った」と書いています。今回のプログラムの中では作曲年代が一番早いものです。
この時代のフルートの二重奏曲でクーラウのこの曲ほど充実した作品は他に見あたりません。ベートーヴェンの若いときのフルートデュエットと比べてみると、如何にクーラウがフルートに精通していたかが分かります。この作品でクーラウはフルート曲作曲家としてデビューした、といっても過言ではないでしょう。後に出版社からフルート作品の注文の依頼を促した作品です。現在でもクーラウのフルート曲で最も売れている曲(ムラマツ楽器販売株式会社・調べ)となっています。間もなく、世界初スコア付きの楽譜が発刊されます。(クーラウ全集, IFKS 004)
Op.10a-1 Duo e-moll
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楽譜以下省略 |
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楽譜以下省略 |
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Op.127 ソナタ(ピアノ)日本初演
作品127について
Op.127と言えばクーラウの作品番号の最後の番号です。何故最後の作品が今回のプログラムに登場したのか、その理由は・・・実はこの作品をそもそもOp.16として作曲されたからです。
クーラウは作品を出版社に売ることで生活費を得ていました。自ら販路拡張の努力もしています。ライプツイッヒのペータース社もその一つです。後にペータース社と関係が生まれる事になりますが、これは最初の手紙(1815年8月19日付け)です。
「有名な出版業を営む御社において私の作品の一部を出版していただきたいという私の希望を申し上げることをお許し下さい。まずここにOp.16のソナタを同封します。もしもあなたがこの作品の価値を正当にご評価下さるなら、出版の条件として5 Luisdorを提案したいと思います。間もなく私は演奏旅行に出かけてしまいますので、できれば至急のご返事をいただければ有り難いと思います。もしも、このソナタの出版の同意を得られなければ、ヘルテル社に提供しようと考えています。」
これに関するペータース社宛の手紙(1815年11月28日付け)があります。
「私のソナタの出版の同意を得られなかったことはまことに残念なことです。ヘルテル氏も同様に受け入れてくれませんでした。そこでお手元のソナタの楽譜を至急送り返して下さる事をお願いいたします。」結局このピアノソナタはペータース社からもブライトコップフ社からも出版されませんでした。出版の日の目を見ないままになってしまったのです。実際に出版されたOp.16は全く別のもの, 現在デンマーク王家の国歌となっているメロディを主題とした「8 Variationen fuer Klavier ueber "Kong Christian stod ved hoejen Mast"」です。
Op.127はクーラウの死後デンマークの出版社Loseから1833年に出版されました。前述の手紙から作曲の年代は1815年ということが分かります。クーラウのピアノソナタの中ですぐれた作品の一つです。
クーラウの死後間もなく、遺産の競売がニューハウン12番地で行われました。このときの目録に「ピアノ曲」が含まれています。この場に友人のHashagenやLoseも出席していました。あくまでも推量ですが・・・遺品の中にこの曲が含まれていて、ローセが獲得した可能性が大きいのです。
視聴することができます。 |
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第2楽章 |
第3楽章 |
もう少しお待ち下さい |