クーラウのピアノソナタ(ソナチネも含む)を概観してみると若い時期に大規模なものが多く、後期は小規模の作品が多くなると言う傾向が見られます。その転換期は作品20(例のソナチネ)あたり(1820年前後)です。これはこの時期から出版社の要求に応じて書かれたものが増えていくからです。
ゴーム・ブスク氏はピアノソナタ(ソナチネも含む)の創作を3つの時期に分類しています。
第1期 1810-15年 Op.6a,4,5a,6b,8a,16(127),
第2期 1819-22年 Op.20,26,30.46,52
第3期 1823-27年 Op.55,59,60,88
第1夜は4曲中3曲が大規模なもの、1曲は中規模のものでしたが、第2夜は3曲が中規模で最後の1曲が比較的大規模なものです。
本日のプログラムの4曲は作曲順に並んでいないことを前提にお聴きください。
第1曲 作品46-3(第4巻掲載)
作品46は3曲有りますがいずれも中規模です。1番目は2楽章構成、2番目は4つの部分が休み無く続くもの(第1夜で演奏)で、3番目のこの曲は3つの楽章で構成されています。1822年頃作曲、1823年ハンブルクのクランツ社から出版されました。クランツ社とのやりとりの手紙は皆無なのでこの曲の成立要因は判りません。第1回目のウイーン旅行の後に出版されたもので、旅行中に書かれたものとも想像されます。クーラウは国外旅行の後は見聞した音楽の潮流を自作に採り入れる傾向がありますがこの曲にもその影響がないとは言えません。第1楽章はクーラウの得意とする6/8拍子の軽快な曲ですが、所々に劇的な和声を用いて緊張感を高める効果を上げています。第2楽章は「求む、シャーロック・ホームズ」でお馴染みの曲(とは言っても今年の私の年賀状でこの楽章の8小節を掲載して世間を欺いた話)です。私がこの曲を初めて聴いた時に受けた印象は強烈でした。そのロマンティシズム溢れる曲想はクーラウにはめずらしいことです。中間部ではやや古典的になりますが前後はロマン派盛期の作品と言ってもおかしくありません。1曲でピースとして演奏するのにも最適です。第3楽章はクーラウ面目躍如の軽快なロンドですが斬新な和声進行が顔を見せます。
第2曲 作品26-2(第3巻掲載)
クーラウは1812年〜1819年の間は演奏活動と劇場作品に力を注いだ時期で器楽曲作品は非常に少ないのです。1820年頃から器楽曲創作が増えていきます。そのような時期(1820年秋ごろ)に作曲されたこの曲は1821年にボン/ケルンのジムロック社から出版されました。この曲も成立要因が分からないものです。
Op.26には3曲有りますが、中でもこの第2番目はべートーヴェンの影響が現れていて第1楽章はべートーヴェンのPf.Vn.Vc三重協奏曲の第3楽章のポロネーズにリズムパターンが良く似ています。展開部ではシューベルトのアンプロンプチュを思わせるような音型もあります。(クーラウとシューベルトの親近性はよく云々されますが、これについての研究は未だ行われていません。彼らは生涯会ったことはありません。)第2楽章はアダージョのゆったりした主題が先に進むと32分音符や64分音符に細分されていく当時よく見られる様式(クーラウも良くこれを用います)で右手と左手にカンタービレの旋律が現れる中間部があり、そして最初の部分が現れる3部形式です。第3楽章はロンド形式のクーラウの最も得意とする軽快な音楽です。
第3曲 Op.6a-2(第1巻掲載)
この曲は今夜が多分本邦初演です。今までのIFKS定期演奏会ではなかなか演奏者が現れませんでした。それはこの曲の第2楽章が特異なものだからです。このソナタはモーツァルトよりもハイドンに近いものを感じます。第1楽章の第1主題は切れ切れに始まる短いフレーズが印象的です。すぐ後に出てくる下降形のメロディーの部分はロマン派音楽の先触れとなったエマヌエル・バッハの多感主義の影響を思わせます。(クーラウのハンブル時代の作曲の師、シュヴェンケはエマヌエル・バッハから教えを受けた人です)。この部分は再現部では約2倍に延長されます。第2主題はスケルツォ風の快活なメロディで第1主題と対照させています。第2楽章は特異と述べたように一般的に知られてはいないことで、なんと音楽史上初めて現れた事柄です。それは左手だけでこの楽章の全てを演奏する指示があるからです。それまで左手だけで演奏するものが無かったわけではありません。エマヌエル・バッハ(左手または右手で演奏するもの)、ハイドンのピアノ三重奏(部分的に指示)などが挙げられますが、Op.6aが出版された(出版年は1808-1810年とされていて明確なことが分かっていません)遅くとも1810年以前には全楽章を左手だけでやる曲は他の作曲家には見られないことなのです。両手で演奏すればさほど難しいものではないものを、いかなる意図でクーラウがこのように書いたのか不明です。この中で上声部と下声部で最も開きのある個所は11度です。現代のピアノではこれが届く人はよほど手が大きい人に限られるでしょう。しかしクーラウ時代のハンマー・クラヴィーアは鍵盤の幅が今より狭かったという事情があります。さて本日の演奏者はこれをどのように演奏されるのでしょうか?第2楽章が終わると第3楽章に続けて入っていきますがそこで右手を用いる指示が現れます。第3楽章はフランススタイルのロンド風書き方でダ・カーポ(D.C.)のサインで冒頭に戻るものです。ABCABの形式ですがBの部分はAの主題を左手に持ってきて2度上、3度上で繰り返すことによりAA'CAA'のロンドという印象を与えます。
第4曲 Op.5a(第2巻掲載)
この曲はハンブルク時代とデンマーク時代の間(はざま)に生まれたクーラウにとっては記念碑的な位置にある作品です。作曲を始めたのがハンブルクで、書き終わったのがデンマークだからです。1812年ブライトコップフ&ヘルテル社から出版されました。この曲の初版本のタイトルページには「Ave Maria」と題した7声の「謎のカノン」の楽譜が描かれています(本書第2巻にそのイラストが掲載されています)。「謎のカノン」の作曲ではべートーヴェンさえクーラウのことを知っていたほど、このジャンルで当時有名な存在でした。このカノンの最初の4音が第1楽章の序奏の冒頭の左手に用いられています。第1楽章は序奏を伴うソナタ形式の楽章です。この楽章も作品4(第1夜で演奏)と同様オーケストラのために書かれたような多彩な音が要求されます。第2楽章は9/8拍子でテンポ標語はCantabileと書かれているだけです。もしもこの時代に「ノクターン」というジャンルが確立されていたならクーラウもそう名付けたに違い有りません。(「ノクターン」の創始者ジョン・フィールドのノクターン第1番は1812年作曲ですからクーラウのこの曲の方が先です。)ABAの3部形式です。第3楽章はモーツァルトのピアノ協奏曲ハ短調第3楽章(変奏曲形式)の主題に非常によく似ています。クーラウの生まれた年(1786年)に作曲されたものですからクーラウが得意とする「モデル・テクニック」かも知れません。クーラウの場合は変奏曲ではなくロンド・ソナタ形式とも解釈できるものです。コーダはフォルテシモ(ff)で突然早くなりフオルティシシモ(fff)のフェルマータの音で引き延ばし意表を突いてピアノで終わります。クーラウのピアノソナタの殆どはフォルテで終わりますが、弱音でソナタを締め括る特殊な効果を持つものはOp.4とこの曲にしか見られません。
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