2013年 クーラウ・コンクール紀行 /石原利矩

10月25日(金)

 心配した台風27号がそれてくれたおかげで、成田を予定通り飛び立つことができた。この文章はコンクールのことばかりを書くものにはならないような気がする。この旅行で私が何かに触れて感じたことをおこがましくも綴ろうと思う。旅は日常生活では思いつかなかったことを気づかせてくれる。かつてある新聞に毎週一度のコラムに3ヶ月連続で掲載される原稿を依頼されたことがあったが、慣れない身にとっては本当にできるのか不安だった。 しかし終わってみると何とかなっていた。自分を究極状態に追い込んで何とかなった一例である。 今回も自分を追い詰める状況を作って何か書いてみようと思う。イメージが湧くか不安であるが・・・・

「美しい言語」

 機内にはスチュワーデスや機長なのどアナウンスが流れる。意味がわからない言葉だと音響として聞こえて来る。平坦な抑揚、あるいは激しい抑揚、刺擦音、鼻音、濁音、声門閉鎖、反復音の多さになどにより特徴づけられる。逆に、意味がわかるとその内容を聴こうとして言葉の響きに注意を置かなくなる。例えば「春」を意味する「プリマヴェラ」、「プランタン」、「スプリング」、「フォーオール」、「ハル」の中で一番美しい言葉は?と言われても困ることだろう。日本語は他の言語よりも美しいか?と問われると更に困る。普段我々は日本語を他人と意味を通じ合わせるために使っていて、響きが美しいかどうかは考えていない。言語自体の響きの美醜を判断するには、一つでも意味を理解する言葉があると不可能である。と言うことは美醜を冷静に判断できる人は地球上にいないと言うことになる。

 イタリアでオペラが栄えた理由はその言語にあると指摘する人もいる。母音が歌いやすいのだそうだ。17〜9世紀のプロシャやロシアの宮廷ではフランス趣味が流行して、フランス語が使われた。これはフランス語の響きが自国語よりもが上品とされたからなのだろう。スペイン語を専門とする人に聞いた言語の分類がある。曰く「ドイツ語は馬と話す言葉、フランス語は恋人と話す言葉、スペイン語は神と話す言葉」。手前味噌の感はするがなるほどと思わせるところもある。ヒットラーの演説口調で愛をささやかれたら女性はその気にならないかもしれない。

一番美しい国語を持つ国民は:
 世界中で一番美しい国語は・・・これは決めることができない。言葉の美しさの基準がないからである。美しく感じるかどうかは個々の美意識に任せる他はない。美しく響く言葉よりも「美しい内容のある言葉」をしゃべることが大切なことであろう。

10月26日(土)

ハンブルク

 機内でもここハンブルクのホテルでも、眠くて眠くてしょうがなかったが、やっと午後になって睡眠不足が解消されたのか、目が覚めてきた。そうだ。ここはハンブルクだ。クーラウが7、8年住んだ町である。過去にクーラウの足跡を訪ねてハンブルクに来たことがあるが、アルトナがハンブルク市の一部となっていることぐらいしかわからなかった。ハンブルクのクーラウは不明なことが沢山ある。失われた作品も沢山ある。最近になって失われたとされていた「暗き塔の中にいたとき」のピアノ変奏曲の出版楽譜が発見された。いずれIFKS定期演奏会で「ハンブルクのクーラウ」第2弾を行う予定である。そんなこともありクーラウの師であるシュヴェンケも調べたいと思っていた。事前にインターネットでピアノソナタがあることはわかっていた。ハンブルク市の図書館のシステムは市民が利用しやすいように機能的行われているようである。なにやら非常にすばらしいものらしい。しかし、古書閲覧はなかなか面倒である。ましてやコピーができないものが多い。かといってマイクロフィルムのサービスはしてくれるとは限らない。

 目を覚まそうと、とりあえず散歩に出た。暑くもなく、寒くもなく非常に快適である。街路樹の葉が風に吹かれて路上に散っているのを見ると当地は晩秋に当たるのだろうか。ここで文学者ならば何の木かを書くのであろうが、音楽家は「街路樹」で一括してしまう。昔のヨーロッパの町は土日はお店が閉まっているのが常識であったが最近は少し違ってきたのかもしれない。土曜日というのお店はぎんぎんに開いているし、道ゆく人々は渋谷の雑踏とは違い何かしら奥ゆかしい感じである。

 中央駅を右手に見てしばらく行くと左手に足長の男女の像が建っている広場があった。カメラに収め、ふと気がつくとそこは図書館だった。

足長男と足長女の像 図書館の入り口

 大勢の老若男女が本を抱えて入り口から出たり入ったりしている。何の用意もしていなかったので今はちょっと見学のつもりで中に入った。整然として誰もが全て心得ているようだ。小学生の女の子が小脇に抱えていた本を返却口のベルトコンベアーに載せている。「ハンブルクの知的生活はここにあり」みたいな感じがしてちょっとへこむ。

 思い切ってインフォメーションで音楽部門の窓口を教えてもらう。担当者に「シュヴェンケのピアノソナタは有りますか」と訊ねたところ、コンピュータの検索に引っかかったものがある。しかし、「この楽譜は古書に属するので貸し出しもコピーもできない。」しかし「閲覧はできる」と言って地下の書庫から持ってきてくれたものを見ると間違いなくシュヴェンケの作品である。担当者が「コピーはできないけど、カメラで写すのは認める」と言ってくれたことによりここに紹介できる仕儀となった。この曲を手に入れるためにはいろいろな手続きを踏まなければならないだろうと想像していたのだが、ちょっと出た散歩の結果、こんなに簡単に欲しかったものが手に入ったのは幸運と言うより他はない。デジタルカメラの映像ではあるが音はすべて解析できる。

 とりあえずその第1ページをご紹介しよう。ソナタ形式の提示部である。詳しくは追ってお知らせするつもりである。

 

とりあえず、こんな感じと言う程度の編集。旅先故お許しのほどを・・・
MIDI
MP3

 ああ、しんど。MIDIキーボードの入力がいかに便利なものかを実感。上の楽譜を書くのに鍵盤があれば1/10の時間で済ますことができるのだけど。展開部、再現部は暇ができたらアップするかも・・・。


ハンブルク中央駅 ヤコビ教会
大道芸(チャップリン) セグウエイで走る若者
アルスター湖の中にある噴水 遊覧船
Mac shop in Hamburg 最高の立地 Mac shopの中から湖が見える
混み合った白鳥はいただけない 夕暮れの雲

「わすれる」

 歳もとったし、ぼけてきたし、忘れ物が多くなっているからこの旅行では注意しようと家を出た。

 成田の荷物検査では上着を脱がされるほどであったが、ポケットから出したものや荷物から出したものをすべて元通りにしまい搭乗口に向かった。しばらく歩いていると女性が追いかけてきて「このノートパソコンはあなたのものではありませんか?」と言われた。やってしまった忘れ物、第1弾。気がつかれなかったらパソコン編集のこの報告もできなかったに違いない。

 今回はSK便、コペンハーゲン乗り継ぎ、ハンブルクまでの往路である。トランクはハンブルクで受け取ることになっている。コペンでは約2時間の待ち合わせ。定刻成田を飛び立ち定刻コペンに到着。約10時間のフライトで少々眠かった。手荷物を持って乗り継ぎ場所に向かう。ここでふと気がついた。座席前の小物入れにデジカメを入れたのを。慌てて飛行機に戻り、事情を話し座席の番号を言ったら居残っていたスチュワーデスさんが探し出して持ってきてくれた。忘れ物第2弾。気がつかなかったらシュヴェンケの楽譜も手に入らなかったに違いない。

 はずかしいから書きたくないがハンブルクのホテルをチェックアウトして駅まで行ったらトランクにベルトをしていないことに気がついた。ホテルの戸棚に入れたのを思い出した。この先ベルトがないことにより問題が起きるのが心配だからホテルに戻った。フロントで事情を話し鍵をもらい部屋に戻った。掃除のおばさんがこれでしょうといってベルトを渡してくれた。やれやれ・・・忘れ物三題噺のおそまつの一席


10月27日(日)ユルツェン着

 ユルツェンはハンブルクから列車で1時間足らずの位置にある。急行でリューネブルクの次の停車駅。フンデルトヴァッサー(1928~2000) によるデザインの駅なので目立っている。 良い趣味なのか、俗悪なのか(いや、そんなことは言ってはいけない。この駅を作るために市の財政が逼迫したという話も耳にした)。フンデルトヴァッサーの最後の年の作品になる。世界中の最も美しい駅の10指の内に数えられるものと言われているが・・・クーラウ・コンクールとどちらが有名かというと残念ながらこれはクーラウが負けているようである。今までコンクールの度に町の中に見られたコンクールの幟が今回は見られない。町を挙げて催しているものと思っていたのがそうでもなさそうだ。町の人にとってクーラウがどのように認知されているのかを是非知りたいところだ。

10月28日(月)〜30 (水)第一次予選
 クーラウ・コンクールは特殊な内容で構成されている。審査は3つの部門において行われそれぞれ1位、2位、3位が選出される。
第一部門:Flute Solo とFlute &Piano
第二部門:Flute Duo と2 Flutes & Piano
第三部門:Flute TrioとFlute Quartet

 第一部門におけるFlute Solo とFlute &Pianoを、また第二部門におけるFlute Duo と2 Flutes & Pianoを同じまな板上で審査することに付いては難しさを感じる。第三部門のFlute Trio とFlute Quartetはそれほど抵抗感はない。

今年の応募者は
Flute Solo・・・24名
Flute &Piano・・・15組(30名)
Flute Duo・・・18組(36名)
2 Flutes & Piano・・・2組(6名)
Flute Trio・・・5組(15名)
Flute Quartett・・・7組(28名)

 応募者の国籍はドイツをはじめロシア、台湾、日本、中国、ハンガリー、イタリア、フランス、メキシコ、韓国、オーストリア、スイス、リトアニア、デンマーク、コロンビア、イラン、アメリカ、ポーランド、ウクライナ、イギリス、レトランド、スロヴァキア、チェコ、ノールウエイ、アイスランド、ギリシャ、ベルギー、ルーマニアなど様々である。

第一次通過者(二次予選に臨む人)は(10月30日の時点)
Flute Solo・・・3名
Flute &Piano・・・5組(10名)
Flute Duo・・・8組(16名)
2 Flutes & Piano・・・1組(2名)
Flute Trio・・・3組(9名)
Flute Quartett・・・2組(8名)
となっている。

審査員のレセプションが行われた市庁舎 コンクール会場 Theater an der Ilmenau
審査会場ホール 審査会場ホール

 

今日のクイズ

これは何でしょう。クーラウに関係があります。

 


11月1日(金)

 今朝は早起きしてユルツェン駅に行き11月3日のデンマーク行きの列車の切符を買ってきた。自動販売機の買い方が難しいので、窓口が開いている時間に買っておかないと面倒だから。フンデルトヴァッサー氏設計の駅をいくつか撮ったのでここに紹介。

ユルツェン駅舎 駅入り口
駅舎 列車の名前から判断すると、時間通りに運行するのかな?

 切符を手に入れたので、駅から審査会場にタクシーで向かう。タクシーの運転手は女性。ちょうど良い。クーラウコンクールのことを訊ねてみる。全然通じない。クーラウという作曲家のことを訊ねてみた。全く知らないらしい。生まれた町の人がこれだから、況んや他の町においておや・・・驚くことなかれ、当地の新聞にまだクーラウコンクールのことが記事となっていないことを。コンクールの担当者が新聞社に取材を申し込んだ際、記者がクーラウのことを知らなかったと言って嘆いていた。

 本日、第2次予選と第一部門:Flute Solo とFlute &Piano の本線が終わった。(第一部門の結果は発表されていない)
第2次予選の通過者(本選に臨む人)は以下の通り。
11月1日の時点
Flute Solo・・・1名
Flute &Piano・・・2組(4名)
Flute Duo・・・4組(8名)
2 Flutes & Piano・・・1組(2名)
Flute Trio・・・3組(9名)
Flute Quartett・・・1組(4名)


 明日は第二部門、第三部門の本線が行われ全ての入賞者の発表がある。そして、夜は入賞者の表彰とコンサートが行われる。演奏会終了後は参加者、関係者のパーティが行われそこでコンクールが全てが終了となる。

審査員控え室・・早口のドイツ語と英語が飛び交う。筆者は音響として聞いている。 果物、サンドイッチ、クッキーコーヒー、紅茶。何でもあるよ。

 

 日本出発の2週間前にIFKS会報20冊と「ピアノソナタ曲集」2セットをコンクール事務所宛に送った。ユルツェンに着いた日に担当者に荷物のことを尋ねたところツェレの税関でストップしているとのこと。これはクーラウ博物館(名称はKuhlau Archiv)に贈呈すること、IFKSの活動のPRが目的だった。しかし、税関では贈呈と見なさず、足止めを食っていたのでだった。担当者が連日のように税関に掛け合ってくれたおかげで、本日やっと到着して事なきを得た。税金は払わずに済んだが、フランクフルトの税関ではストラディヴァリのヴァイオリン事件があったようにドイツの税関は厳しい。税関ではドイツ語が似合うようだ。


 そうそう、クイズの種明かし。

クーラウが洗礼を受けた聖マリア教会の屋根のてっぺんにある十字架が正解(宿泊ホテルの窓から)

 連日の審査で観光する時間がない。夜の町を散歩した。こんなオブジェが市内の通りに沢山ある。
オブジェ1 オブジェ2
オブジェ3 オブジェ4
ビリヤードもあるよ。 映画館もあるよ。

審査員の宿泊ホテルのある通り 馬車の向こう側のトンネルをくぐるとホテルの入り口
土曜日の朝市の店開き(雨模様で活気がいまいち) でっかいカボチャ?きれいな色です。
iPhon 5の広告 メール、テレビ、電話のプロバイダーの月額料金?

11月2日(土曜日)
 コンクールが終わった。入賞者の表彰式、および入賞者の演奏が夜8時がら行われる。それが終わると打ち上げパーティがある。
 以下の写真は当日のプログラムである。4枚目の最後のところまでパソコン入力したところ突然クラッシュの憂き目に遭い、デジカメの写真で間に合わせにアップする。見にくいことはご容赦願いたい。


 

 


後夜祭パーティ
 受賞者コンサートの後はお疲れ様会のパーティが行われる。これは関係者(コンクール応募者、審査員、ホームステイの両親など)が集い話し合いの機会が与えられる。そこでは軽食、飲み物がふるまわれる。夜12時近くまで楽しい会話が弾む。今回はニュルンベルクから斉藤宏愛氏ご夫妻がコンサートを聴きにこられた。彼はクーラウ協会の会員でもあり、かつてのクーラウ・コンクールのTrioで優勝しているフルーティストである。

入賞者 斉藤夫妻と中村氏

 

ビッグニュース
 コンクールの担当者から、「オペラ『ルル』のことであなたに会いたい人があるからコンサートの30分前にホールの入り口にきて欲しい」と言われた。時間にその場所に行ってみるとUte Lange-Brachmann女史(元クーラウコンクール担当者)がいて一人の人を紹介された。その人はヴェルナー・ザイツァー氏と言ってニーダーザクセン州ヒルデスハイムのオペラ劇場の音楽監督兼オペラ監督。「来年の11月15日、ユルツェンでオペラ『ルル』上演を予定している。ついてはクーラウ協会出版のピアノスコアを2部送って欲しい。」といわれた。演奏会形式のような形態の演奏会になるらしい。オーケストラはtfn Philharmonie (Theater für Niedersachsen Hildesheim Hannover) が受け持つとのこと。詳しくは追ってお知らせするが、とにかくクーラウのオペラ『ルル』がドイツで注目を浴びたことは特筆に値する。
この演奏会に合わせてツアーを検討したい。


11月3日(日)
 朝8:02発の列車でデンマークのエーリクセン氏の住むHinnerupに向かう。ハンブルク→オーフス→ハズステーン(Hinnerrup最寄り駅)の約6時間のコース。7時頃ホテルを出たが外はまだ暗い。タクシーも走っていないのでトランクを引きずり駅に向かった。ユルツェン駅で知らない人に挨拶をされた。その人はホームステイのお母さんで預かったコンクール参加者を駅まで送りに来た人だった。よく見るとそばにステージで吹いた参加者が居た。メトロノーム列車は10分遅れで到着。ハンブルクで列車を乗り換える。30分の乗り換え時間が有ったから余裕である。ユルツェン駅を出る頃はすでに明るくなっていた。
 ハンブルク駅でオーフス行きの列車の掲示板を見ると乗るべきホームの番号が出ていない。インフォメーションに行って訊ねてみるとその列車はキャンセルされたと言われた。ドキーン!!!他のコースはないかと訊ねたら後5分後に出る列車を指定された。なぜキャンセルされたのかを訊ねたら月曜日(10月28日)に北ヨーロッパを襲ったハリケーンのためデンマークはひどく被害をこうむり、未だ倒れた木などの除去が行われていないということだった。教えてもらったホームにはすでに発車間際の列車が着いていた。ハンブルク→ニービュル(ドイツ)→ブラミング(デンマーク)→ミデルファート→ハズステーンのコースで約8時間かかった。ハズステーンにはエーリクセン氏が迎えにきてくれることになっていたので列車内からメールでやりとりをして無事に会うことができた。モバイルルーター様々だった。

 日本でもこのところ地震が頻発していることがニュースに流れていたとエーリクセン氏が教えてくれた。ユルツェンではテレビを見る暇もなく日本の事情がわからなかった。

エーリクセン氏の近影a エーリクセン氏の近影b

11月4日(月)
 今日はエーリクセン氏のお宅でホームコンサートが企画された。彼の知り合いが集まり奥様は朝からそのための準備で忙しかった。演奏者を入れると17名が集まるとのこと。その中にはデンマーク語でお世話になった林真理子さんご夫妻も居た。隣の家に椅子を借りに行くというので手伝った。エーリクセン氏は勿論のこと、ピアニストのMarie-Louise Reitbergerさん(愛称マルー)、フルーティストのNiels Helge Poulsen氏と私が加わり、オール・クーラウのプログラムで行われた。

マルーンさんとエーリクセン氏(事前の練習風景) プールセン氏とエーリクセン氏

 

Op.83-2 フルートソナタ(石原+マルーさん)
Op.66-3 Piano連弾(マルーさん+エーリクセン氏)
Op.81-2 フルートDuo (プールセン+石原)
Op.8 ピアノソナタ(第1楽章)
Op.119 三重奏(石原+プールセン氏+エーリクセン氏)

 ダン・フォゥ(Dan Fog)氏が、古楽譜の世界的権威であることは音楽の世界ではよく知られている。すでに亡くなられてから久しいが、その後奥様が引き継がれて楽譜商を営まれていた。私はコペンハーゲンに行くたびにお店に寄り、珍しい楽譜を見つけることを楽しみにしていた。しかし、そのお店がもはや存在していないことをエーリクセン氏から聞いた。今年の春頃に店を閉めてしまったのだそうだ。コペンハーゲン市内にあったお店も自宅に置かれていた膨大な楽譜類もすべて競売にかけてしまったのだ。400万クローネで一括でオークションにかけたそうである。誰が落札したかはエーリクセン氏は知らないと言っていた。クーラウの楽譜に関してフォゥ氏にお世話になった人は大勢居る。とても残念な寂しい話である。
 デンマークではクラシック音楽が衰退していると言うことが盛んに言われている。楽譜を置いている音楽の店が国内に一軒も無いということは驚きだ。商店を構えて楽譜の商売ができなくなっている。これは世界的な状況だ。ユルツェンにあるWolfgang Macht氏とコンクールの会場で話したが、彼の店もインターネットの商売に切り替えるかもしれないと言っていた。出版業が振るわなくなっていることを耳にするが、これは今世紀の新しい世界の状況である。
 現代において『妖精の丘』が演奏されなくなっていることが指摘されている。この曲はデンマーク人にとっては国民的シンボルの音楽と言われていた。若い世代でこの曲を知っている人は殆ど居ないという。ポップ音楽が若者たちを捕らえていることは世界の趨勢で、ここでも同様である。


11月5日 (火)
 今日はオーフスから飛行機でコペンハーゲンに向かう。2年前にエーリクセン氏のお宅に来たときは霧の濃い日で景色が見えなかったので今日は晴れているから海岸線を走ってくれると言う。途中の海の景色は目を楽しませてくれた。少々のんびりしていたのでオーフス空港に着いたのがぎりぎりで、あやうく乗り遅れるところだった。

ドライブ途中に見えた半島にある廃墟 その説明
オーフス発コペンハーゲン行きの飛行機 久しぶりのプロペラ機
オーフス空港全景 コペン空港で迎えてくれて宿まで送ってくれたトーケ。

 コペンハーゲンの空港にはトーケ氏が出迎えてくれた。今回はユルツェンで会えなかったので積もる話を宿に向かう車の中で話し合った。今回は彼にも時間が無くこの機会以外に会うことができないので残念だったが再会を約して別れた。

 しかし、翌日また会うことになったのは私の「わすれる」が原因だったのである。


 今回のコペン滞在は2日しかない。それもブスク氏宅で次のIFKSプロジェクト「クーラウ・ピアノ変奏曲全集」の出版の話し合いのためである。昨年の6月に「クーラウピアノ曲集」のためにデンマークを訪れたことは会報でも報告したが、今回は時間が少ないので事前のブスク氏とのやりとりはかなり緻密に行っておいた。
 宿泊はホテルではなく、Bed & Breakfastという言わば個人の家に泊まり宿泊と朝食のサービスを受けるものである。ホテルよりもずっと安く良い宿にぶつかれば快適なものである。今回はエーリクセン氏の紹介でしかもブスク氏のお宅に近いところを選んでいただいた。

一戸建ちの長屋の一軒 玄関と庭
朝食 宿の主人、キアステンさん

 鍵をもらい帰宅は何時でも良いということで、ブスク氏宅にはここからタクシーで往復することになった。

(コペンハーゲンから成田に向かう機内でここまで編集していたら、ノートパソコンのバッテリーが赤信号を発した。客室乗務員の女性に充電できないかを尋ねたところ、ファーストクラスにはそのサービスがあるがエコノミーにはないとのこと。食事だけでなく、こんなところにも差別があった。だからといって、今度はファーストクラスに乗ろうとは思わない。Bed & Breakfastで旅行する者にとっては、長時間用バッテリーのノートパソコンを買う方を選ぶだろう。)


 

 一休みして、ブスク氏家に向かおうとして荷物の整理をしていると何か足りない。やってしまった。ビデオカメラケースをトーケの車に置き忘れたことに気が付いた。彼はすでにコペンハーゲンに向かっている。その中には一切の充電器(ビデオカメラ、デジタルカメラ、携帯電話などの)、電圧変換機、もろもろが入っている。とりあえず、ブスク氏の家に行って考えよう。


ブスク氏宅 出迎えのブスク氏と奥さまリーセ

 タクシーでブスク氏の家に着く。扉を開けると、ブスク氏から挨拶を受けた。「God Dag, Toshinori med din Kofte」と。これは今度の曲集の中にある作品15「God Dag, Rasmus Jensen med din Kofte」(こんにちは、外套を着たラスムス・イェンセンさん」の曲名をもじったものである。

 挨拶もそこそこにトーケにメールを打つ。「メールを見たらブスク氏宅に電話をして欲しい」と。挨拶が終わると、また例の回想が始まった。「君が最初に来たのは何年で、あのときはああでこうで・・・」。私はそれを遮ってすぐさま、楽譜の修正作業に取りかかろうと提案した。今回は時間が少ないことをブスク氏も心配している。コーヒーをいただき、すぐさま取りかかった。その時は17:30頃だった。

 クーラウのピアノ変奏曲は以下のようになっている。第1番のDF.199は今年になって初めて発見されたもので、この曲集の第1曲目に登場する。殆どの作品は初版以来初めての再版である。以下のように3巻となる。殆どの作品は一つの主題にいくつかの変奏曲(序奏を伴うものもある)で構成されているが、作品25、作品93のように一曲の中に主題を複数持つものがある。これから考えると作品126はDivertissement (ディヴェルティメント)となっているが作品25、作品93と同様な構成である。これをこの曲集に入れるかどうかも議題となった。これはもう少し検討を要する。何故なら「変奏曲集」の次のIFKSプロジェクトにクーラウ「ロンド / ディヴェルティメント曲集」が来るかも知れないからである。

第1巻

1 DF.199 Lorsque dans une tour obscure 9  
2 DF.196 Air de Berton 5  
3 Op.12 Guide mes pas of Cherubini 17  
4 Op.14 Manden med Glas i Haand 6  
5 Op.15 God Dag, Rasmus Jensen med din Kofte 8  
6 Op.16 Kong Christian stod ved højen Mast 11  
7 Op.18 Willkommen, Purpurschale, du! 17  
8 Op.22 Ein dänisches Lied 12  
9 Op.25 Schwedische Themen 19  
10 Op.35 Danmark! Heilige Lyd! of Weyse 11  
11 Op.42-1 Österreichsche Volkslieder 23  
12 Op.42-2  同上    
13 Op.42-3  同上    
14 Op.42-4  同上     
15 Op.42-5  同上     
16 Op.42-6  同上    138

第2巻
17 Op.48 das VolksLied aus Weber's "Freischütz" 16  
18 Op.49-1 6 Themen aus Weber's "Freischütz" 19  
19 Op.49-2  同上  6  
20 Op.49-3  同上  15  
21 Op.49-4  同上  12  
22 Op.49-5  同上  14  
23 Op.49-6  同上  10  
24 Op.53-1 3 Themen aus Weber's "Preciosa" 11  
25 Op.53-2  同上  10  
26 Op.53-3  同上  11  
27 Op.54 Lied of Bianchi 26 150

第3巻

28 Op.62-1 3 Themen aus Weber's "Euryanthe"a-moll 21  
29 Op.62-2 C-dur 17  
30 Op.62-3 A-dur 17  
31 Op.91 Och liten Karin tjente wid unge Kungens gård 19  
32 Op.93 Fantaisie sur des airs suédois 19  
33 Op.112-1 3 Airs Variés 8  
34 Op.112-2  同上 9  
35 Op.112-3  同上  9  
36 Op.116-1 Wilhelm Tell of Rossini 6  
37 Op.116-2  同上  7 132

 そこにトーケから電話が入った。明日、「ブスク氏の家にケースを持って来てくれる」ということになった。またトーケに会える。「わすれる」事もまんざらではない。しかし、「わすれる」は旅行中はこれっきりにしたい。
 途中小休止を入れて作業を続けていると、21:00頃に奥さまから食事の提案があった。1巻の途中だった。このままの状況だと明日中に終わることができるか不安であった。しかし、そこで本日の作業を打ち切ることにした。あとは例の如く楽しい会話となった。私も少々旅の疲れが出てきたので今日は早く宿に帰ることにした。タクシーを呼んでもらい宿に付いたのは夜中の12時頃。ひっそりと寝静まった家の鍵を開けるのは申し訳なかったが、忍び足で自分の部屋に入りベッドに倒れた。


11月6日(水)
 今日はブスク氏との楽譜修正の作業でどのくらいかかるかわからない。もし仕上がらなかったら明日(7日)の午前中を使うことも考慮に入れていた。そもそも、その時間は『妖精の丘』の楽譜コピーで王立図書館に行く予定にしていたが、もし伸びたら、楽譜のコピーはブスク氏が後日取りそろえて送ってくれると言うことになったので予備の時間となった。
 朝食を済ませタクシーでブスク氏宅に向かう。9時半頃に到着して作業に取りかかろうとしているところに、トーケが私が彼の車に置き忘れたカメラバッグを持って来てくれた。コペンハーゲンからブスク氏の家までは急いでも車で30分近くははかかる。申し訳なかったが「バッグのおかげでまた会えたね」と言ってくれたのでホッとした。ブスク氏とトーケは長年の知己である。彼らも久しぶりに会ったので話が弾む。ここで王立図書館の司書のクラウスさんに連絡を取り明日の私の図書館行きのスケジュール調整をしてくれたが、結局クラウスさんの都合が付かないことが判明。明日はフリーとなった。

トーケ&ブスク氏、その1 トーケ&ブスク氏、その2
トーケ&ブスク氏、その3 三者のつながりには長い歴史がある

 


 トーケも忙しい。彼が帰ってからすぐ楽譜修正の仕事が始まった。今回の修正は左手と右手の扱い方(初版は右手で低音域を演奏する場合下の五線に書かれている場合があるが全て右手は上の五線に移すこと、逆に左手が上の五線でかかれているものは全て下の五線に書き換えること)、符尾の向き、符鈎のつながり、楽語の統一など細かいことが沢山あった。
 ブスク氏の修正は定評があるらしい。「楽譜の校正に関して自分はデンマークで一番である」と威張っている。「だけど自分の著書にはミスがいっぱいある」と言って笑っていた。人のものにはけちを付けるが自分には寛大である・・・ということだろうか?ミスに関して鋭い人のことをドイツ語で「Falken Augen」、すなわち「鷹の目」を持っていると表現する。私もドンボア氏のシリンクス社のクーラウ「フルート全集」のミスを発見するとすぐさまドンボア氏に報告するが、そんなとき彼からそのように言われる。4つの鷹の目で作業した既刊の「ピアノソナタ曲集」の中にもミスはある。今回はできるだけミスを少なくしたいものである。

楽譜修正風景(奥様が撮ってくれていた) 楽譜修正風景(カメラを幾分意識して)
ブスク氏のVertig!!!(完了!!!)のポーズ 最後の晩餐

 午前中から始めた作業はどんどん進み、途中何回かコーヒーブレイクをとったが、明日まで仕事を引き延ばさないよう努めた。その結果、夜9時頃に全てが終わった。食事なしのハードな作業だったがブスク氏も元気いっぱい、これはクーラウの研究者の後世に残す重要の仕事だという意識があったためだろう。 仕事中、暖かい食事の準備をしてくれていた奥様は終わるのを気にしてしょっちゅうのぞきに来ていた。
 クーラウ「ピアノ変奏曲全集」が出るのは多分来年になるだろう。帰国してから、今回の修正をしてもう一度最終の楽譜作りとなる。
 今後のIFKSの活動、ブスク氏の研究など話題は尽きなかった。食事をしながらクーラウが選んだウェーバーの主題の音楽をCDで聴かせてもらった。来年のオペラ『ルル』ユルツェン公演はブスク氏も聴きに行くと言っている。楽しみがまた増えた。 
 仕事が今日中に終わったので明日はフリーの時間となった。名残は尽きなかったが夜も更けた。再会を約してお別れをした。


11月7日(木)
 いよいよ帰国の日となった。コペンハーゲン空港15:40発。明日(8日)の朝10時ごろには日本に着く。出発の2時間前に空港に到着すればよい。キアステンさんの助言でこのまま空港に行ってチェックインしてトランクを預けてからから市内に出ればよいということを聞きそれに従った。親切にもキアステンさんは最寄りの列車の駅までバスに乗って一緒に行ってくれた。こんなこともBed & Breakfastでなければ味わえないことであろう。
 空港で荷物を預け電車で市内に向かった。行く先は決めた。ニューハウンだ。中央駅で下車してチボリ公園を横に見て、ストロイエ(東京の銀座通りのようなところ)を抜けると旧王立劇場がある。王立劇場にはクーラウの胸像があるのだがまだ実際に見ていない。劇場に入ってみたが他の行事が行われていて入場が難しかったので今回はあきらめた。劇場の前の広場をコンゲンス・ニュートー(王様の広場)という。その先を少し行くとニューハウンがある。そこは私にとっていろいろな思い出がある場所である。観光シーズンでなかったし、昼前なので人はあまり出ていない。閑散としていた。

市庁舎前広場にある「黄金の角笛」の像 クリスマス・オープン準備中チボリ公園
ニューハウン風景、その1 ニューハウン風景、その2
ニューハウン風景、その3 ニューハウン風景、その4
ニューハウン風景、その5 ニューハウン風景、その6
ニューハウン風景、その7 ニューハウン風景、その8
ニューハウン風景、その9(クーラウの住んだ家) ニューハウン風景、その10(レリーフ)

 晩年のクーラウの没した家は健在で、その1階にあるレストランもその後変わっていない。昔を偲びながらニューハウンの風景を写真に収め中央駅に引き返し、電車で空港に向かう。


 ここでハンブルクで手に入れたシュヴェンケのソナタ第1番の第1楽章の全てをご紹介しよう。この後、第2楽章、第3楽章が続くが、いずれの機会にご紹介したい。

MIDI
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 全楽章は「クーラウに関係する作曲家の作品」のページからご覧ください。<クリック

 かくして2週間の旅も終わった。クーラウを通して大勢の人たちに巡り会い、いろいろな事を教わった。しかし、クーラウの真価を知る人はまだ少ないと言うことも感じた。しなければならないことはまだまだ沢山ある。時間の許す限り元気でいたいと思う。
 拙文のご愛読ありがとうございまいした。
 2013年11月11日
 石原 利矩