IFKS第5回定期演奏会の記録

デンマークのクーラウ Part III
クーラウ再発見
「有名になり過ぎたソナチネ」

日時:2003年5月23日(金
開場:18:30
開演:19:00
場所:日本橋社会教育会館8階ホール

入場券 一般¥3,500 IFKS会員¥2,500
チケット・ピアで購入可能(一般券のみ)

主催:インターナショナル・フリードリヒ・クーラウ協会
予約受付:電話 03-5770-5220、FAX 03-5770-5221、E-Mailでも可

--- プログラム ---

曲名
演奏者

Op.20-1 ソナチネ(ピアノ)

今井 顕(ピアノ)

 

Op.21 3曲の歌曲(歌)本邦初演


オルフォイス
五月の初日
Op.19-10より
墓掘り人

山下 浩司(バス)
柴田 菊子(ピアノ)

ソナチネ・アラカルト(お話と演奏)

今井 顕(ピアノ・お話)

Op.10a-1 Duo(フルート)

鈴木 千代(フルート)
野原 千代(フルート)

Op.127 ソナタ(ピアノ)本邦初演

今井 顕(ピアノ)

出演者
今井 顕(ピアノ・お話)
山下 浩司(バス)
柴田 菊子(ピアノ)
鈴木 千代(フルート)
野原 千代(フルート)

 

プログラムノート
クーラウ再発見「有名になり過ぎたソナチネ」

クーラウ再発見
「有名になり過ぎたソナチネ」
■ソナチネアルバム
 フリードリヒ・クーラウ(1786~1832)の名前が音楽関係者の内で知られれている大きな一因に彼の作品「ピアノのためのソナチネ」がソナチネアルバムに登場していることが挙げられます。
 ピアノのソナチネアルバム、ソナタアルバムはドイツのペータース社が19世紀の終わり頃編纂したものです。それがアメリカに渡りアメリカ版も出ました。こうして世界中に広まりました。日本の各社から出ている同様の楽譜はいずれもペータース社版の焼き直しです。日本でこの版がいつ頃出版されたのかはまだ調査済みではないのですが、ピアノの初心者にとって古典派の作品の導入にはこのアルバムは最適な教材として昔から使われてきました。
 ソナチネアルバムの第一曲目はクーラウの作品20-1 ハ長調です。いやでも目に付きます。初心者がアルバムの全曲を学ぶことは少ないと思いますが、この曲を知っている人が多いことは多分教師がこれを生徒に与える機会が多いのだと推察できます。
■ソナチネ形式
 そもそもソナチネ形式というものがあるのかどうかは議論の余地があります。ソナチネとはソナタの縮小形です。小さいソナタ、短いソナタ、易しいソナタなどの意味があります。Sonate facileという名前の曲がソナチネに分類されることがあります。ソナチネとはソナタの形式をふまえた小規模な楽曲と言えます。
■クーラウのピアノ曲の分類
☆2手用
 ソナチネ(14曲)(Vn. ad lib.の1曲を含む)
 ソナタ(24曲)(Sonate facileを含む)
 ヴァリエーション(23曲)
 ロンド(47曲)
 行進曲&舞曲(65曲)
 その他(10曲)(オペラの序曲編曲を含む)
☆4手用
 ソナチネ(8曲)
 ソナタ(1曲)
 ヴァリエーション(19曲)
 ロンド(6曲)
 舞曲(21曲)
 その他(11曲)(オペラの序曲編曲を含む)
☆室内楽
 ピアノ・カルテット(3曲)
☆協奏曲
 ピアノコンチェルト(2曲、うち1曲は紛失)
☆カノン
 ピアノ譜
☆歌曲、フルート曲の伴奏(多数)
注:Op.1~127及びDFナンバーも含む
■全作品の内ピアノ曲の占める割合(グラフ参照)
 これは作品1~127までの初版譜のページ数です。約40%がピアノ曲ということがわかります。(オペラ作品はピアノスコアですからオーケストラ譜にしたらもっと増えることでしょう。その場合はその分ピアノ曲の占める割合は少なくなります。)

■クーラウの手紙
 晩年(1829年)に、ブレーメンの音楽学者W.C.Muellerに宛てたクーラウの手紙があります。
「・・・あなたやあなたのお嬢さんが、私の作品を気にいってくださったことはうれしいことです。あなたは手紙の中で初心者、中級者のために書かれたピアノ曲のことしか触れておりませんが、私はその他にも完成されたピアニストのための大きな様式の作品を沢山作曲しているのです。・・・」
■デンマークの音楽史
 クーラウの作曲家としての評価は一般音楽史ではピアノソナチネ作曲家としての認識に留まっています。しかし、彼はデンマークの音楽史においては重要な一時期を画す作曲家として取りあげられているのです。デンマークでは1800年から1850年の間をデンマーク文化の「黄金時代」と名付けて、この時代に文芸、自然科学の英才が輩出し文化の花を咲かせました。クーラウはその時代の音楽分野の重要な作曲家の一人です。
■作品を作曲した理由
 クーラウはその生涯において経済的に恵まれませんでした。宮廷作曲家に任命されても年俸はわずかなもので、家族(父母、姉妹、いとこ、甥)の扶養のため作品を出版社に売ることで生活費を稼ぐことに追われたのです。そのような事情のため作曲されたピアノ作品の多くはクーラウの評価を不当なものにさせてしまったのも致し方ない事かもしれません。ロンド、ディヴェルティメント、ヴァリエーション、ワルツなどの多くは当時台頭してきた市民階級のアマチュア層の需要の産物です。とは言っても、その作品群の中にも魅力的な作品が顔をのぞかせていますが。
■卓越した職人芸
 クーラウの作品を概観してみると年代的に(作品番号順に)作曲上の進展を見ることは難しいように思われます。或る作品で斬新なものがあったとしても次の作品では音楽的内容が低いものが続く場合があります。しかし、一つの作品番号に数曲含まれるものは同じレベルの内容でまとめられています。ピアノソナチネ、作品20、55、88をみればお分かり頂けるでしょう。これはとりもなおさず出版社の要求に応じて書かれたからなのです。出版社はページ数、音域、作品の難易度を注文の条件に出しています。出版社の注文が音楽的内容まで変更させることに抗議したクーラウの手紙も残っています。
■速筆
 トラーネの伝記に作品88のソナチネのことが出ています。
「出版社のローセがクーラウに以前のOp.55のソナチネ集のようなロンドやバガテルを注文した。ちょうどそのときクーラウはオペラ『フーゴーとアーデルハイド』を作曲している時期であった。クーラウは一晩で作品88を仕上げてローセに渡した」という記述です。Op.88は4曲から成ります。クーラウの速筆ぶりを示すものです。
■劇場作品
 それではクーラウが自身の欲求から書いたものは何だったのでしょうか。これは劇場作品、特にオペラと考えるのが妥当です。彼は宮廷作曲家として王立劇場に毎年1曲の劇場作品を提出することが義務づけられていました。(後に労働条件の改更で2年に1曲となる)生涯作曲した劇場作品で現存するものは9曲。オペラ『盗賊の城』(1814)、叙情的劇的シーン『タルタルスのユーリディーチェ』(1816)、オペラ『魔法の竪琴』(1816)、オペラ『エリサ』(1819-20)、オペラ『ルル』(1823-24)、演劇付帯音楽『ウイリアム・シェークスピア』(1825-26)、オペラ『フーゴーとアーデルハイド』(1827)、演劇付帯音楽『妖精の丘』(1828)、オペラ『ダマスカスの三つ子の兄弟』(1830)です。その中で傑作とされるものが~もう一つの『魔笛』~と言われるオペラ『ルル』です。
■まさかソナチネが
 冒頭の「有名になり過ぎたソナチネ」はクーラウ自身の言葉で補足すると「まさかソナチネがこんなに有名になろうとは思いもしなかった。そのため私の本当の姿が隠されてしまおうとは・・・」というクーラウのつぶやきを想定したものです。
■ソナチネアルバムの功罪
 近年クーラウの価値が見直される機運が高まったことは一つにはソナチネアルバムで誰でも知っている名前だからという面があると思います。これはクーラウにとって功だと考えられます。例えばデュセックがソナチネアルバムに載っていなければ一般の人には忘れ去られた名前となったことでしょう。ただし、クーラウを判断するのにソナチネしか書いていない作曲家だと思われていることはクーラウにとって罪に当たります。
(石原利矩・記)


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