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寒中見舞いクイズ
正解発表

正解はMISKA HAUSERです

WIKIPEDIAより

MISKA HAUSER
*音楽訓練
ハウザーの父親は有名なヴァイオリニストであり、ベートーベンの友人でもあり、息子のヴァイオリン演奏への情熱を目覚めさせました。 ハウザーはプレスブルクでヨーゼフ・マタレーのもとで最初の音楽訓練を受けました。 1835年からウィーンでヨーゼフ・ベームとヨーゼフ・マイゼダーにヴァイオリンのレッスンを続け、コンラディン・クロイツァーとシモン・ゼクターに作曲を学びました。
*コンサートツアー
1839年以降、ハウザーはドイツ、スカンジナビア、ロシアを巡る大規模なコンサートツアーを多数実施し、優れたヴァイオリンの名手としての評判を獲得しました。 1847 年の夏、彼は作曲の研究を続けるためにプレスブルクに戻りました。 この時期、ピアニストのアントン・ルービンシュタインとのブラチスラバでのコンサートは特に重要でした。 1850年に彼はイギリスに行き、そこからアメリカに渡り、一連の大規模なコンサートツアーを行いました。 1853年に彼はカリフォルニアと南アメリカを旅行し、1854年9月15日にはオーストラリアに行き、すべての主要都市で演奏しました。
1858年7月15日、彼はインド、エジプト、マルタを経由して故郷のウィーンに戻り、1858/1859年のシーズン中にオーストリア=ハンガリー帝国の最大都市でコンサートを行いました。 1860年からハウザーは海外遠征を再開し、コンスタンティノープルのトルコ・スルタンの宮廷で演奏し、イタリア王宮でも大成功を収め、ヴィクトル・エマヌエル2世から聖マウリシャスの騎士およびラザロ騎士団に任命されました。 1861年から1864年にかけてパリとベルリンでコンサートが続き、1874年にケルンで最後の公開コンサートを行いました。 彼の効果的なテクニックと妙技により、ハウザーの演奏はヨーロッパ最大の音楽イベントの一つとなりました。 ミスカ・ハウザーは、ウィーン中央墓地の古いイスラエル人部分に最後の安息の地を見つけました。
*作品
ハウザーはいくつかの小編成のヴァイオリン作品を書き、その中でヴァイオリンのための無言歌とヴァイオリンのための狂詩曲「ホングロワーズ」が最も人気がありました。 彼の作品の特徴は、ハンガリーのリズミカルなイントネーションの特徴を利用していることです。

大勢の方々からご回答をいただきました。
正解者はたったの一人でした。H・Sさん---おめでとうございました。 賞品は追って・・・
今回は締め切り日が早かったため皆様を慌てさせてしまったようです。ハウザーの子守歌は世の中の曲集の中に取り入れられているので比較的有名です。「人魚の涙」曲集第3巻の「つかの間の思い」は特に有名です。http://www.kuhlau.gr.jp/collection_mermaid_tear/album_nr_3/hauser_pensee_fugitive/mermaid_tear_album_nr_3-2.html


言い訳:石原利矩 
昨年の暮れは政治家の裏金騒動、元旦より 能登半島地震、日航機炎上など事件が続きあれよあれよと言っている間にお正月は過ぎてしまいました。体調がすぐれなかったこともあり、鬼籍に入った友人も多く、今年ほど年賀状を書くことがつらく思われたことはありませんでした。去年買っておいた白紙の年賀状を横目で見ながら、人魚の涙を探すことに熱中してしまいました。
そんなこともあり、今年のご挨拶は以下の音楽と決めました。5曲とも同じ作曲家の作品です。この作曲家の名前がクイズの問題です。ヒント:この作曲家は「人魚の涙」曲集第3巻に入っています。
おわかりになった方はメールでお知らせください。アドレス;ishiharatoshinori@gmail.com
なお、回答は1月31日までにお寄せください。2月1日にこのページで正解者の発表をいたします。正解者にはすてきなプレゼントを差し上げます。


赤字の項目はそれぞれの音源のページにリンクしています。クリックしてください。

Gavotte ガヴォット ?作曲 
Maerchen おとぎ話 ?作曲 
Abendlied 夕べの歌 ?作曲 
Sehensucht あこがれ ?作曲 
Wiegenlied 子守歌 ?作曲 

正解はMISKA HAUSERです


Uploaded:2024.2.1