IFKS第12回定期演奏会のプログラムノート
曲目&演奏者・曲目解説
フリードリヒ・クーラウ作曲
~知られざるピアノ作品~「クーラウの玉手箱」
曲目解説
フリードリヒ・クーラウ(1786~1832)はピアノのソナチネで有名です。しかし、その全貌は殆ど知られていないのが現状です。知られていても多くの誤解があります。その一つは「クーラウがフルーティストだった」というものです。クーラウの生前から続いている誤解が未だに続いていることは驚くべきことです。クーラウはフルート作品を沢山作曲しています。フルーティストのレパートリーで古典派から初期ロマン派にかけての作品群の中ではクーラウのフルート曲は重要な位置を占めています。そんなことからクーラウにはこの誤解が生まれました。当時の音楽事典にはクーラウを「デンマーク王立劇場のフルーティスト」と記述しているものが沢山あります。現在でも「ソナチネアルバム」の解説にそう書かれているのですからそれを信じているピアニストは大勢いることも肯けます。いや、これはピアニストだけでなくフルーティストも同様です。 クーラウはハンブルクでピアノ教師、作曲家として音楽家の道を歩み始めました。彼の専門はピアノです。自身の作品を演奏している演奏会の記述は沢山残っています。それに反してフルートの演奏歴は皆無です。デンマークでのデビューリサイタル(1811年)では自身のピアノ協奏曲のソリストとして登場しています。ピアノの即興演奏も沢山行っています。デンマーク時代のサロンでもクーラウの即興演奏はもてはやされました。ですからクーラウの専門の楽器はピアノということになります。 クーラウのピアノソナチネはピアノの初心者にとって格好の教材となっています。 クーラウのピアノ作品は次のように分類されます。 2手用 4手用 ピアノ作品一覧(室内楽、声楽曲を除く)をご覧下さい。 ピアノ作品一覧 一覧表からおわかりのように現在出版されているものはほんの僅かしかありません。2手用に限って言えばソナチネは20曲、ソナタは18曲ありますが現在ソナチネは全てが出版されておらず、ソナタは殆ど絶版となっています。なお、クーラウのOp.番号は127まで、それ以降の番号はDan Fog(DF)が編纂したものです。 次に「ピアノ曲」と「フルート奏者」に関して興味を惹くクーラウの手紙の未完遺稿をご紹介します。 作品2、ロンド イ短調はハンブルク時代の作品です。作品1~3は曲想は異なりますが規模は大体同じもので、クーラウは3曲を作品1でまとめて出版する予定でした。しかし、出版されたときは別々の作品番号が付けられ出版時期もずれていました。この曲はWalmoden Gimborn伯爵夫人に献呈されています。一番はハ長調の希望に向かって歩み始めるクーラウの将来を暗示するような曲想ですが、第二番はイ短調の愛らしい可愛い作品になっています。三番はアレグロの快活な曲です。まるでこの3曲は形式的にはロンドですがソナタの第一楽章、第二楽章、第三楽章の3つの楽章から構成されているような趣があります。 参考視聴ページ 作品2(定期演奏曲) 作品3 以上の3曲のロンドはクーラウ協会で出版しています。 1804年頃からハンブルクの音楽界にクーラウの名前が現れてきます。ピアノ教師をしながら世の中に認められようと努力する様はトラーネの伝記に書かれています。この頃クーラウはハンブルクの音楽監督シュヴェンケ(1768~1822)に作曲のレッスンを受けました。シュヴェンケはハンブルク市の音楽監督(テレマン、エマニュエル・バッハなどの後継者)で、作曲家、辛辣な批評家として怖れられていた人です。シュヴェンケの後ろ盾を得ることができブライトコップ&ヘルテル社(B&H)から楽譜出版の道が開かれました。この作品はクーラウにとってB&H社から出版された初めての作品です。この出版の交渉にシュヴェンケの推薦状が力添えになったのです。 参考視聴ページ 第一楽章は4/4拍子 Largo assai 変ホ短調の導入部から3/4拍子 Allegro con brio 変ホ長調のソナタ形式の主要部分続くようになっています。第一主題は主調 Es-Dur、第二主題は属調 B-Dur,リピート記号の後は展開部、再現部は第一主題、第二主題とも主調 Es-Durとなり典型的なソナタ形式です。典型的なというのはそれ以前にベートーヴェンによって確立された形式を遵守しています。 第二楽章は4/4拍子 Moderato Es-Dur 主題と変奏です。この主題は自身のものです。変奏曲に自身の主題を用いることはクーラウにとってはめずらしいことです。第一変奏は espressivo ligato 第二変奏は con fuoco 第三変奏は presto 第四変奏は grave その変奏が終わるとallegro の部分を経てカデンツアのパッセージが続き終結は主題の断片のmoderatoで終わります。 第三楽章は6/8 Adagio ベートーヴェン風なゆったりしたテンポで重々しく始まりますが、途中ショパンをのパッセージを思わせるようなロマンティックな部分があり再び最初の部分が変奏されて現れます。三部形式です。 第四楽章は6/8 Vivacissimo まさにクーラウの得意とする快活な楽章です。 このソナタからすでに熟成した作曲家ということがお分かりいただけると思います。1810年に作曲されその年に出版されました。クーラウが24才の時です。 なお、ハンブルク時代のクーラウについての詳細は以下のページに出ています。 作品61 ワルツ様式のディヴェルティメント 作品61には6曲が含まれますが、この演奏会では第2番、第3番、第6番が演奏されます。 曲はワルツ風な軽い小品集です。 先ず第2番 Vivacissimo をお聴き下さい先ず。 次は第3番 Allegro con passione です。 最後は第6番の Vivace です。 作品76 ベートーヴェンの歌曲「人生(友情)の幸せ」による変奏曲 クーラウは作品75~77の番号で3曲のピアノ連弾曲を作曲しています。いずれもベートーヴェンの歌曲のメロディーを変奏曲の主題にしています。 作品75「ウズラの鳴き声」 作曲年 ca.1826 出版年 1826/27 作品76「人生(友情)の幸せ」 作曲年 ca.1826 出版年 1827(定期演奏曲) 作品77「あこがれ」 作曲年 ca.1826 出版年 1827 いずれも出版社A.Cranz (Hamburg/Altona)ら出版されました。被献呈者は3曲ともカロリーネ皇女(1793-1881)です。彼女はクーラウにピアノを習ったことがあったようです。もしかしたらこの連作はそのような機会に用いられたのかも知れません。 作曲した前年(1825年9月3日)クーラウはベートーヴェンとウイーン近郊のバーデンで会見しました。ベートーヴェンはクーラウが常日頃、尊敬していた作曲家です。この日以来ベートーヴェンはクーラウにとって更に身近な作曲家となったのです。この会見はクーラウにとっても良い思い出となりました。デンマークからの遠来の客人としてもてなしを受け、楽しい酒宴の時を持つことができたのです。この時ベートーヴェンがクーラウに贈呈したサイン入りのポートレイトは現在デンマークの音楽史博物館に所蔵されています。 クーラウがベートーヴェンの歌曲を題材にしたものはその他に次の作品が挙げられます。 ●作品72a ベートーヴェンの歌曲 "Herz, mein Herz, was soll geben"を主題としたピアノ連弾用変奏曲(作曲年ca.1826年、出版年1826年) ●作品89、8曲の男声合唱曲集の第二番目の曲が本日のベートーヴェンの「人生(友情)の幸せ」と同一歌詞。(作曲年ca.1826年、出版年1828/29年)(歌詞が同じであると言うことでここに掲載しました) ●作品117、ベートーヴェンの歌曲による3曲のロンドレット(ピアノ2手用) No.1 "Der lebt ein Leben wonniglich" No.1は「人生(友情)の幸せ」と同じものです。このメロディーをクーラウは自分の作品に2度使っているのです。よっぽどこの歌曲が気に入ったのでしょうか。ベートーヴェンの歌曲は作品88「Das Glueck der Freundschaft」(友情の幸せ)という表題になっています。作詞者は不詳です。 Beethoven Op.88 Das Glueck der Freundschaft Der lebt ein Leben wonniglich, u.s.w 心より心へ通わせ得る者は 後略 さて、作品76 ベートーヴェンの歌曲「人生の(友情の)幸せ」による変奏曲は どうぞお聴き下さい。 作品92 コペンハーゲンの魅力 イントロダクションと華麗なるロンド 表題の「コペンハーゲンの魅力」とは一体なんでしょう。この曲は少々変わったロンドです。というのは主題は当時のはやり歌、あるいは有名になっていたメロディを用いているからです。この曲に用いられている曲は次のようなものです。 1. Rud. Bay : Dannevang med groenne Bred 2. C. E. F. Weyse : Dannemark!, hellige Lyd 3. C. E. F. Weyse : Dannemark!, hellige Lyd 2.と3.は懸賞応募で入賞した詩(J. M. Jennsen)にワイセが作曲した歌 4. H. F. Kroyer : Velkommen i din Ungdom Lund 5. F. Kuhlau : 2te. Thema von "Lulu" Ouverture 6. Kong Christian stod ved hoejen Mast イントロダクションとロンドの部分に上記の曲が挿入されています。何度も現れるロンドの主要主題(ニ短調)はクーラウ自身のものです。当時のコペンハーゲンで流行っていて魅力的な曲を集めた作品なので、そのように命名したのでしょう。1828年頃作曲され、1828年に出版されています。『妖精の丘』は作品100(初演1828年11月6日-約3ヶ月で完成)なのでその少し前に作曲されたことになります。「コペンハーゲンの魅力」で「 Kong Christian stod ved hoejen Mast」を用いたことは『妖精の丘』序曲の習作ともとれます。いずれもこのメロディはコーダの直前に登場しています。 どうぞお聴き下さい。 Kuhlau Op.92 Op.123の悲愴的アレグロの出版年は1832年(ローセ社、ファランク社)です。しかし作曲年代は不明です。何故ならクーラウの白鳥の歌(最後の作品)となったOp.122の弦楽四重奏曲だからです。「作品122」はクーラウ自身が付けています。前述したように作品番号の付いたものは127まであります。誰が123から127までの5曲に番号を付けたのでしょうか。 クーラウの死後、間もなく遺品の競売が行われました。遺品のカタログには「楽譜類の紙包み」と記されたものがあります。クーラウを看取った姉、アマリエによって行われた競売にはデンマークの楽譜商、ローセが同席しています。その「楽譜類の紙包み」はローセの手に落ちたのでしょう。因みに最後の番号127のピアノソナタは1822年の作曲です。これはクーラウは最初は作品16として出版するつもりでしたが、出版社が取り上げなかったのか自身の手元に最後まで保管されていました。恐らく123~127はローセが遺品を整理して付けた番号でしょう。 曲は1楽章形式でできています。緊張感の伴うアレグロの力強い動機で始まり、クーラウの得意な対位法的な手法もふんだんに用いられています。ピアノ4手の音響は管弦楽を想定しているようにもきこえ、色彩感溢れる曲となっています。 Kuhlau Op.123
終わり(やっと最後までたどり着きました。その他、思いついたら補充します。時々チェックして下さい)2007.4.1 石原利矩 |