トッシー先生のAnswer

トッシー先生の「答えましょ〜」

 


やあ、みなさん!こうしてお目にかかるのも久しぶりですなあ。このサイトも10年振りにリニューアルされたそうで・・・。また昔の毒舌で読者を煙に巻いて欲しという管理人のいつもの押しに負けてまたまた登場することになりましたですよ。昔、管理人とはひょんな機会に知り合いとなり、皆様の質問に回答するというひょんな役割を引き受けることになったのが始まりでね。人生、ひょんなことの積み重ねですなあ。ひょんな回答でお気に召さない事もあるでしょう。そんな場合は「クーラウについて」 のページに飛んでクーラウさんの事を勉強してくださいよ。
それじゃ、皆さん、答え甲斐のある質問を待ってますよ。


Tossy's Answer


June 2010 (トッシー先生の独白)
 今年も半分終わってしまいますなあ。光陰矢のごとし、皆さんとこのサイトでやりとりしてから随分と時間が流れましたですよ。クーラウ先生もだいぶ世の中で脚光を浴びてきたらしく今度クーラウ・フェスティバルが行われるんだそうですなあ。いやあ、ご同慶の至り。陰ながら喜んでおりますです。
 このホームページもリニューアルされてすっきりした感じがしますですよ。それにしてもインターネットの世界はますます盛んになっていくようですなあ。新聞も電話も太刀打できない時代がくるでしょうな。電車に乗っても若者は携帯電話をいじくってますよ。いや、最近ではシルバーシートに座っているじいさん、ばあさんまでも持ち出してる。さすがに車内で電話をかける人は少なくなってるけど、ゲームしたり、メールを打ったり、ニュースを見たり、本みたいのを読んでる人もいる。あれじゃ本屋も郵便局もつぶれちゃうね。
 雨はいいね。雨の日はそんな時代の進歩に関係なく落ち着ける。何てったって「傘」という前近代的なものがあるからね。わたしゃ子供のころ蛇の目傘さしてたよ。油紙を張ったやつ。その後「折りたたみ傘」の発明は「傘界」(こんな言い方あるのかな?)の大きな事件だった。でもね、考えてみりゃ引力によって落ちてく水滴を布やビニールで遮断する原理は一向に変わっていない。空から降ってくる雨を電波かレーザー光線かで自分の身体から跳ね返す方法の発明がないものかね。引力変換装置なんかも一案だね。もし出来りゃこりゃ、ノーベル賞ものだよ。
 まあ、こんなところに目をつけるトッシー先生もまだ捨てたモンじゃないね。
July 2010
質問者:うさぎ 女性 東京都
今度、オイリアンテのフルート変奏曲を演奏します。
ウェーバーのオペラから主題を取ったことは分かったのですが、クーラウがこの曲を作曲した経緯や詳しい解説等が載っている資料がなく困っています。
ご存知でしたら是非知りたいです!
宜しくお願いします。
トッシー先生:答えましょ~

うさぎさん、再開、第1の質問が難問なんで私しゃ少々慌てていますよ。最近はモノを調べるとき、便利になったというか、簡便になったというか、お手軽になったというかインターネットを活用する人が多い。大学の卒論なんかコピペで済まして、ハイ、卒業なんていう論文が多いと聞いてますよ。エッ?コピペ?「コピー・ペースト」のことですよ。インターネット上ではWikipediaなどというみんなで寄ってたかって作り上げているものもある。将来、人類の宝物にしようという理念は感心だね。でも盲信しちゃいけない。その中には内容が立派なものもあるし、結構いい加減なものもある。日本版の「クーラウ」の項目Wikipediaを見てご覧。「井戸に落ちて片目を失明」と書いてある。これに関していろいろな説があるけど「決めつけてはいけない」と私しゃ思いますよ。ことほど左様に情報を正確につかむことは難しいのですよ。かといって図書館に行って音楽辞典を調べればいいとも言えない。音楽辞典が間違っていることもあるんだからね。それじゃ、うさぎさん、ああたは「何を信じればいいの?」と言うだろうね。まず、物的証拠だね。その第1番目は自筆譜、2番目に初版譜、3番目にクーラウの手紙、あとは伝記(正確な記述の)、第3者の証言、研究書(論文)、時代背景などなどだね。

「オイリアンテ」を調べるとっかかりの自筆譜は失われている。クーラウの場合自筆譜で残っているものは数少ない。1831年の火災は後のクーラウ研究のためには痛恨事だね。初版本はデンマークの王立図書館にある(残念ながらまだPDFでアップされていない)。クーラウの手紙はブスク氏の著書「クーラウの手紙」にある。(しかしオイリアンテに関する手紙は含まれていない)。伝記は「トラーネ」、「グラウプナー」、「ブスク」、「エーリクセン」(未出版、近刊予定)の4種類。いずれも「オイリアンテ」に関して特に述べてはいない。クーラウの「オイリアンテ」に関する第3者の証言はない。クーラウの「オイリアンテ」に関する研究論文もない。ナイナイづくしだ。さあ、うさぎさん、どうする?

この作品はDan Fogのカタログ「Kompositionen von Friedr.Kuhlau Thematisch-bibliographischer Katalog」のOp.63の項目では作曲年は1824年頃、出版年は1825年となっている。Fog氏はIFKSの名誉会員(003)だったけれど2000年8月31日に逝去された。楽譜に関しては権威だった。カタログ中、いくつかの誤記はあるけど出版年は確かだ。1824年と言えばクーラウは『ルル』(Op.65)の作曲で忙しかった。その間、宮廷作曲家としての年俸の昇給の請願を何回もしている。「オペラ作曲には時間がかかるが現在の300リグスダーラーでは家族を養うことができない。そのために副業の楽譜出版が行えない。」というものだ。しかし、この請願は受け入れてもらえなかった。経済的にかなり逼迫していた時期だ。クーラウの「オイリアンテ」は『ルル』の作曲と並行して作曲されたものだ。同じ時期に書かれた次の作品、Op.64 Es-Durはクーラウのフルート作品でソナタとして書かれた最初のものだ。いずれも質の高い作品だ。特にクーラウの「オイリアンテ」はシューベルトの「しぼめる花」変奏曲に匹敵するものとしてフルーティストに評価されているものだ。

何故、クーラウがウェーバーのオペラ『オイリアンテ』を取り上げたかは一つの研究課題だ。クーラウは『ルル』を作曲していたとき当時有名になっていたウェーバーのオペラ『魔弾の射手』を常に意識していたということが言われている。こんなところにも作曲の動機のヒントはあるかも知れない。

うさぎさん、ああたはクーラウの「オイリアンテ」の「詳しい解説」が無いことを嘆いている。「詳しい解説」は世の中にまだ無いんだよ。ここでああた自身が一念発起して「詳しい解説」を書いてみたらどうだね?立派な論文だったらIFKS会報に取り上げてもらえるかも知れないよ。

え?答えになっていない?そうだよ。答えにならないところがこの回答の趣旨なんだよ。ああたみたいな若い人(多分?)の研究が待たれるんだよ。 後世の人がクーラウの「オイリアンテ」変奏曲を調べるときにはうさぎさんの論文を参考にするなんてことになったら、こりゃ大したもんだ。

July 2010
質問者:うさぎ 女性 東京都
トッシー先生、早速の回答ありがとうございます!
伝記や日記などもあるのに、オイリアンテについての記述が全く残っていないなんて驚きました・・・。
現在のフルートのレパートリーとして重要な作品だと思っているのですが、ここまで何もないとは、何故なのか、そこにも興味を持ってしまいました。
自筆譜もないのですね。でも、初版は是非見てみたいです。
「ルル」はウェーバーの「魔弾の射手」を意識して作られたものだったのですね!クーラウとウェーバーのつながりが分かりました。
詳しく返答頂きありがとうございました。
とても勉強になりました!
トッシー先生:うさぎさんへ

うさぎさん、わたしゃ明解な答えができなかったことで少々気がとがめていたんだよ。答えましょう〜なんて言って答えられなかった私にも悩みはあるんだよ。こんな時こそ神様に生まれていれば良かったと思いますよ。神様になってりゃ人間のやることがお見通しなんだからね。「うん?オイリアンテのことかね?そうそう、クーラウは何年何月何日何時何分、どこそこの劇場でオペラ『オイリアンテ』を聴いた時に騎士アドラールが歌うアリアに感動してね。自分もオイリアンテみたいな奥さんがいればなあなんて思ったんだよ。そのメロディがずっと頭の中で鳴っていたのでこの旋律で変奏曲を作ろうと思い立ったんだよ」なんてね。-----でも神様なんかになったら忙しいだろうね。何十億の人間のことを1度に考えなきゃならないんだからね。分からないことがあるから人生面白いんだと思わなきゃ、生きていけないかもね。
かといって分からないことをそのままにしておきたくないと言うのが人間だ。人間に生まれた以上、お互いにがんばろうじゃありませんか。

September 2010
質問者:くらくら 男性 東京都
こんにちは。
クーラウ協会があったなんてびっくりです。
クーラウの伝記を読みたいのですが、日本語のものは売ってますか?
トッシー先生:くらくらさんへ

くらくらさん!バンドルネームが気になりますね。クーラウ協会があったからびっくりしてくらくらしたのか、クーラウの名前でくらくらしたのかとね。

まあ、そんなことはあまり詮索しないことにしましょう。

ご質問のクーラウの伝記ですが日本語で出版されているものは残念ながら無いようですね。そもそも、クーラウ伝記は外国版で出版されたものも少ないのですよ。最初に現れたものはトラーネ (Carl Thrane) 著「デンマークの作曲家たち」(Danske Komponister 1875) の中のクーラウの項目があります。この中にはErnest Frederik Weyse, Daniel Frederik Rudolph Kuhlau, Johan Peter Emilius Hartmsann, Niels Wilhelm Gadeの4人の伝記が含まれているのです。原文はデンマーク語です。その後ドイツからクーラウの部分だけ抜粋して出版されたものがあります。ドイツ語翻訳、ゴシック文字です。これは1979年 Frits Knuf Buren 社から復刻版が出版されました。復刻版ですから当然ゴシック文字です。これはクーラウ協会の会報で何回かに分けて掲載しました。その他は研究書に付属する一部分として書かれたものがあります。グラウプナー (Karl Graupner) の博士取得論文「フリードリヒ・クーラウ」1930も貴重な資料となっています(これもドイツ語のみ)。本協会会長ゴルム・ブスクの博士取得論文「クーラウの劇場作品の分析」の中に伝記の部分があります(デンマーク語)。これは現在クーラウ協会の会報の中に日本語訳で掲載中です。

目下、デンマークのJørgen Erichsen氏のクーラウ伝記がドイツ語版でドイツの出版社から出版準備中と聞いています。わたしゃ、この人の伝記が早く出版されることを待ってるのですがね。もし、出版されたらクーラウ協会に呼びかけて出版してもらいましょうかね。勿論日本語でね。

くらくらさんも会員になってみたらどうですかね?いままでのが日本語で読めるかも知れませんよ。