トッシー先生のAnswer 2004

トッシー先生の「答えましょ〜」

 


2004年版からいくつか抜粋してご紹介します。
いつの間にやらトッシー先生もクーラウにかぶれたようです。ご参考までに(管理人)


Tossy's Answer 2004



January 2004 トッシー先生:年頭の挨拶
 やって来ましたね。新しい年が~
 新しい年の富士山ですよ。私しゃ富士山を毎年写真に収めることを年課としてるんですよ。理由?有る内に撮っとかないといつ富士山が無くなるか分からないからね。富士山は生きているんだよ。毎年お正月に富士山を眺めてああ今年も生きているんだなあと実感するんですよ。有る内というのは自分のことですがね。
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 それはそうと火星に探査機が着陸したなんてニュースが流れましたよ。そんなことがよくできるね。しかも火星の情景を写真で送って来るなんて、人類もなかなかやるジャンと思いますですよ。地球滅亡の日も近いっていうから科学者は人類の引っ越し先をあせって捜しているんですかね。
 それにつけても地球上の人間はなにやってんだろうね。いまだに鉄砲を持って人殺しをしている。どうしてそんなに争わなきゃならないんだろうね。自然界ではある種の生き物が増殖し過ぎると集団で自殺行為をするという話を思い出すね。争うことは人間の遺伝子に組み込まれた本能ですな。きっと・・
 でもね、争いのない人生ってのも、もしかしたらつまらないものかもしれん。全ての人がニコニコと平和に過ごすことができりゃこりゃ天国だ。普通は誰しも地獄へ行くより天国の方がいいと思うに決まってる。だけどね、天国へ行ってきた人から聞いたんだけど行ってみたら人っ子一人居ないところだそうだ。なにせ、平和すぎて生活にすぐ飽きちゃうんだって・・・
 争い事がなけりゃ人類の歴史だってつまらないだろうね。英雄なんて現れなかっただろうし、国家の滅亡だって起きなかったかも知れない。人類は殺し合いをしないから今以上に地球上に氾濫してるかもしれない。きっと食糧難で苦しんでることだろうて。
 文学作品だって、音楽だって違ったものが生まれているに違いない。悪玉と善玉の争いがなけりゃ大抵のオペラは存在しない。そもそも大先生の『ルル』は光と闇の戦いだ。王子ルルだって魔法使いディルフェングの征伐には行く必要もない。魔法の笛で敵を眠らす必要もない。ただ恋心を増進させて人類の増殖に寄与するだけかもしれん。
 もしかしたらこの世の争いは人類が己の滅亡を救う方法を知らず知らず本能的にやっていることかも知れませんな。
 皆さん、今年も適度に争いながら楽しくやっていきましょうよ。

January 2004
質問者:ルルコ 女性 東京都
 トッシー先生、私のこと覚えていらっしゃいますか?以前ジンニスタンのことで質問させていただきましたルルコです。その節は有り難うございました。あれから私も「ルル」の原典を捜しているのですが、なかなか見つかりません。特に「魔笛」との相違を知りたいのですがお教え願えませんでしょうか?トッシー先生のように何でも答えてくれる方って私大好きです。
トッシー先生:答えましょ~
 ルルコさん、あ~たのように質問の答えにお礼を言ってくれる人は今までいなかった。うれしいね。私しゃおだてに乗るのが得意でね。今日もおだてに乗っちゃうよ。しかしね、これは長い話になるので一度っきりに書けないかも知れない。途中で終わったら又書くからね。
 クーラウ大先生の用いた『ルル』は「ジンニスタン」の中の『ルル又は魔法の笛』という物語をデンマーク人のギュンテルベアがオペラ用のテキストにしたものだ。ジンニスタンの『ルル又は魔法の笛』とギュンテルベアの『ルル』との関係を明らかにしないと話が進まない。ギュンテルベアは1823年にオペラのリブレットを劇場に持ち込んだ。劇場側はこの作曲を初めワイセに打診したがワイセは断った。そこでクーラウ大先生にお伺いをたてた。我らの大先生はこの物語が大いに気に入って作曲を引き受けた。ところが部分的に手直しが必要になった。作者と作曲家の激論の末、変更したものが第2版として1824年に出版された。大先生のオペラ『ルル』はこの第2版をもとに作曲されたんだよ。
 先ず、原典のジンニスタンの『ルル又は魔法の笛』の導入の部分を紹介しよう。
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 コラッサン王国の首都、メールーからさほど離れていない森に古いお城が建っていました。その素晴らしさは例えようもないものでした。言い伝えによると、その城は王国を築いた大昔の王様シアムシッドが魔法によって建てたものだと言われています。しかし、王様の死後誰も住まなくなりました。何故なら後継ぎはその中に徘徊する幽霊たちを命令する方法を知らなかったからです。夜中に居心地良く眠っているとベットから投げ出されたり引っ張り回されたりしたのです。
 この城にはあたりの住人に大変恐れられていた妖精がずっと前から住むようになりました。好奇心で覗き込もうとすると彼女は恐ろしい血に飢えたようなうなり声を挙げて、人々に災難を降りかけるのです。ですから旅人はその森を避けて通りました。彼女はどんな姿にも変わることができましたが、一番好きな姿はものすごく明るい太陽の輝き以上に燃えるような輝きで現れることでした。これが彼女にとって一番美しく、しかも一番危険な姿でした。もしも彼女を一目でも見るとしばらくの間我を忘れたり、じっと見つめたりすれば盲目になってしまうのです。人々は彼女を「光の精」と呼んで、誰も見たことがないにも関わらず、この世のものではない美しさと言っていました。メールーの宮廷ではそのように信じられていましたが全ての人がそうでもなかったのです。あるとき、とても勇気のある王様が長く国を治めている間にたった一度のことですがこの森に狩りに出かけたことがあります。
 ルルと呼ばれる王様の息子は王様の少し後についていきました。ルルは狩りが好きで特にこの森の狩りが一番好きでした。これは光の精にめぐり逢うことを期待したわけでなく、この不思議な女性が住んでいる辺りは野生の獣が沢山繁殖していたからです。彼女が現れない道を選び彼は森の中の美しい丘に建っている城の遠く離れたところで立ち止まりました。

 この後は要約しよう。
 そこでルルは一匹のガゼルに今や襲いかかろうとしているトラを見つけたんだよ。トラはガゼルに飛びついた。ガゼルの素早いこと。あちらへピョン、こちらへピョン、トラはなかなか捕まえることができない。ルルはこれを追いかけていったところ急に二匹が目の前から消えてしまった。ふと気が付くとそこは光の精の城の目の前だったんだよ。知らず知らずに領域を犯してしまったんだね。
 すると城の門が開き中から光の精が出てきた。ルルはそのまぶしさに目がくらむばかり。光の精はルルのことを以前から知っていたのだよ。なぜならルルのお母さんと光の精は古い友達だったんだよ。
 光の精は魔法使いにさらわれた彼女の娘を助け出してくれる若者をずっと探していたのだよ。ルルこそその役にピッタリと考えた光の精は魔法の笛と魔法の指輪をルルに与え、雲でできた飛行船に乗って魔法使いの住む城の近くの山の頂までルル連れて行くんだよ。ワイセの言った「鋼鉄製の火打ち石」というのはこの場面で出てくるんだけどね。魔法の火打ち石は霊を呼び出すことができるのだけどクーラウの『ルル』ではバラの蕾に置き換わったのだよ。こうしてルルは魔法使いの城に乗り込むことになるんだ。
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 一方クーラウのオペラ『ルル』の導入は羊飼いたちが近頃、さびれた自然が息を吹き返して来たことを喜んでいる場面から始まるんだよ。そこに一人の羊飼いが「血に飢えたトラがこちらにやってくる」と告げ一同恐怖におののく。そこにお妃を求めて諸国を漫遊していたルルが通りがかりこのトラを退治する。ルルは羊飼いの娘ヴェラからシディが悪い魔法使いディルフェングにさらわれたことを聞き、シディの救出を誓う。羊飼いたちはそれを止めるがルルはその決心を変えない。そこに光の精ペリフェリーメが現れ、ルルに魔法の笛と魔法の指輪を与えシディの救出を頼む。シディの誕生に際して精霊たちからバラの蕾がプレゼントされたこと、その蕾はシディが愛を知ったときに花開き、花開いたバラを所有する者は精霊界を支配する力が与えられることになっていることを知ったルルは、思い描いていた自分の妃となる女性がシディのイメージと重なりディルフェングの住む洞窟に向かう。
 『魔笛』の導入は王子タミーノが大蛇に追われ登場。あわやのところで夜の女王の3人の侍女に救われるんだけどずっと気絶したままなんだよ。怪物に追われ出てくるとすぐ観客の前で気絶してしまうところなどちょっと頼りないね。ここで大蛇が出てくることは「ジンニスタン」との関連があって面白いね。気絶したタミーノを囲んで侍女たちがハンサムなタミーノにのぼせてしまい、側にいたいがために夜の女王に報告に行く役を互いに押しつけ合う。意見がまとまらないので3人で退場。そこに鳥刺しパパゲーノが登場。目を覚ましたタミーノは大蛇を倒して自分を助けてくれたのがパパゲーノだと思い感謝する。そこに侍女たちが戻ってきてパパゲーノのウソを暴いてしまう。夜の女王の娘、パミーナが悪者ザラストロにさらわれたことを侍女たちから聞いたタミーノはパパゲーノを従えて救出に向かう。その時タミーノは魔法の笛を、パパゲーノは魔法の鈴を侍女たちからもらう。パミーナの絵姿を見たタミーノは彼女に恋してしまう。
 こんな風に比較していくとこの2つのオペラの導入は大まかなところで共通していることがわかる。
 それは、悪者にさらわれた乙女を王子が魔法の道具を授かり救出に向かうということだ。
 これから先はこの2つのオペラが異なる方向に進むことになるのだよ。ルルコさん、今日はこのへんにして次の展開を待っていて下さいな。

January 2004
質問者:ルルコ 女性 東京都
 早速、お答え下さいましてありがとうございました。さすがトッシー先生ですわ。その先を楽しみにしています。
トッシー先生:答えましょ~

 ルルコさん、お待たせしました。その先といってもここで少々寄り道をしたほうが判りやすいかも知れない。登場人物についてちょっと触れてみよう。
 『ルル』と『魔笛』の登場人物を対比すると、
ルル王子はタミーノ王子、
シディはパミーナ、
ディルフェングはザラストロ、
バルカはモノスタトス、
ペリフェリーメは夜の女王と同列になる。
 ここで『ルル』に登場するシディの幼友達ヴェラはギュンテルベアの創作、魔笛に登場するパパゲーノとパパゲーナはシカネーダーの創作と言うことがわかる。
『ルル』の三人の魔女はディルフェングの陣営、『魔笛』の三人の侍女は夜の女王の陣営に属している。
『ルル』のトラは『魔笛』では大蛇だ。
 それじゃ『ルル』に登場する役柄の風貌・性格などを挙げてみよう。
 先ず、ルル王子だ。
 勇敢・聡明・美男の三拍子そろった若者だ。どんな危機にも臨機応変の機知で乗り越えついにはシディを救出する。笛がうまいのは魔法の笛のおかげだけれど曲選びは本人の考えだ。ディルフェングとのやりとりでは老人の笛吹になりきって演技する。『魔笛』のタミーノ王子も三人の侍女が一目惚れするくらい美形だが、笛吹老人の姿から本当のルルに変身したのを見るやいなやシディに恋心が生まれてしまったくらいだ。
 シディは幼い頃母親のもとから誘拐されディルフェングの城に長いあいだ幽閉されてしまっている。今の年齢はどこにも書いてないが多分18才ぐらいだろう。女性として一番輝く時代だ。・・・なんて言うと今、それ以上の年齢の女性に怒られてしまうがね。ルルコさんも輝いているかい?だいたい昔の文献のヒロインは早熟なんだよ。彼女は長い間ディルフェングの求愛をかたくなに拒絶し続けている。母親からも忘れられ(と本人は思っている)バルカの監視のもと機織りの仕事を強要され絶望の日々を送っている。その気品ある美しさは母親ゆずりだ。母親が妖精ならばその子供のシディはやはり妖精なのかね~?これはどこにも書いてない。クーラウ大先生もシディの大フアンになってしまったようだよ。「結婚するならシディのような人」という言葉を漏らしたらしい。結局、独身で通したということはそんな人に巡り会うことがなかったのかね~。
 ディルフェングは闇の世界の悪い魔法使いとして描かれている。彼は巨体で、手と足はささくれだち、厚い唇、むくんだ頬、布袋腹、その他の特徴は貪欲そのもの、小さな猫目のまばたき、まくれあがった鼻、赤い髪、八文字髭だ。こんなんで若い女の子にもてようと一生懸命になっているところを老人の笛吹き(ルル)に女心が分かっていないと諭(さと)され慌てて装飾品を身につけ身繕いするところは単純でいじらしい。魔法と権力で全てを支配しようと野望を抱く悪の総元締めだがどこか間が抜けているところがある。
 ペリフェリーメは妖精だ。光の精の女王で彼女をじっと見つめるとその光で目をやられてしまうほど輝いている。「太陽よりも明るい」と表現されているからそれもうなずける。『魔笛』の夜の女王には素晴らしいアリアがあるが『ルル』のペリフェリーメにはそれがない。何故か?それは『ルル』の中では語り役として登場しているからだ。
 バルカはディルフェングの息子だ。背の高さは3フィートとあるから1メートル足らずのこびと役だ。忠実にディルフェングの手下として仕事をしている。しかし、ディルフェングから重用されないので常に不満を抱いている。猜疑心旺盛で歯の抜けた番犬といったら当たっているかもしれない。シディを監視したり告げ口をしたり結構、底意地が悪い。バルカはオペラ『ルル』の中で脇役ではあるがバルカの歌うアリアは面白い。「女が結婚すれば初めはしおらしくしているがだんだんのさばってくる」などと物事が分かったような歌を歌うからね。本当に子供なんだろうか?囚われのシディの監視役は『魔笛』の中でパミーナを監視しているモノスタトスと対応している。バルカはこびとなので初演の時の歌い手はすそまであるコスチュームで三輪車のような車輪のある乗り物に腰をかけて歌ったそうだ。動き回るのに足で車輪をこいのだろうね。さあ、お立ち会い、本邦初演のバルカ役の久岡昇氏がどう演じるかはお楽しみ。
 ヴェラは羊飼いの娘でシディの幼友達だ。シディが誘拐されてから彼女のことをずっと心配している。友達思いの清純な乙女として描かれているがいざというときは勇敢な振る舞いをする。最後の幕でペリフェリーメの救いを求めるため指輪を投げる役目が与えられている。この役柄に相当する人物は『魔笛』にはいない。
 『魔笛』の成功の秘密の1つにはパパゲーノとパパゲーナの起用にあると私しゃにらんでるね。その分『ルル』にはこびとのバルカがいる。
 ジンニスタンではディルフェングの妻(女奴隷の一人)バルジーネが登場している。バルジーネはかつてペリフェリーメの召使いでディルフェングにそそのかされ火打ち石を盗んだ張本人だ。ペリフェリーメの仕返しを怖がっている。バルジーネとディルフェングの間に生まれた子供がバルカだ。妻が同じ城にいるのにシディと結婚しようとしているディルフェングは重婚だ。こんなことが許されるのかとルルコさんはお思いだろうけど『ルル』は東洋といっても中近東の物語だ。中近東といえばペルシャあたりだろうね。コーランの教えには4人まで妻帯してよいと言っているからしょうがないことだろうね。でも、ディルフェングはバルジーネに「自分とシディとの結婚はペリフェリーメに仕返しをさせない方法だ」と言って弁解していることや「シディと結婚してもお前を一番愛している、焼き餅を焼いてはいけない」などと言ってバルジーネに気をつかっている場面があるのが面白い。しかし『ルル』の物語の中にはディルフェングの妻は登場しない。
 もう一つジンニスタンの中にあって『ルル』に登場しないのがシディの父親、ペリフェリーメの夫のことだ。彼はカシミールのサバレムという王様だ。彼も若い時はハンサムで聡明だった。結婚をする年齢になってもどんな女性にも恋心を覚えない。ハレムには大勢の女性がいたのだが一向に関心を示さない。みんな暇を出しちゃったんだよ。国のまつりごとに精を出し毎日のように賢明な審判を下していた。その噂を聞いた妖精の女王ペリフェリーメはそんな王様に興味を抱いて仕事を求めている若い乙女に変装して城にやって来た。その乙女の賢い立ち居振る舞いに興味を覚えた王様はペリフェリーメに恋心を覚え次第に愛が深まっていったのだよ。その結晶がシディというわけさ。しかし、火打ち石の盗難にあって打ちひしがれて森の城にシディを連れて引きこもってしまった。母子二人の生活をしたんだよ。そこでシディがディルフェングに誘拐されるまで彼女の教育をしたんだね。
 ジンニスタンにはギュンテルベアやシカネーダーが取り入れなかったことが書いてあって面白いよ。
 さて、『ルル』と『魔笛』の配役の対比は次のようになるよ。

『ルル』 ←→ 『魔笛』
ルル ←→ タミーノ
シディ ←→ パミーナ
ディルフェング ←→ ザラストロ
バルカ ←→ モノスタートス
ペリフェリーメ ←→ 夜の女王
? ←→ パパゲーノ
? ←→ パパゲーナ
ヴェラ ←→ ?
三人の魔女 ←→ 三人の侍女
? ←→ 弁者
トラ ←→ 大蛇
魔法の指輪 ←→ 魔法の鈴

 次にルルの笛について話してみよう。
 クーラウのオペラ『ルル』では笛の魔力がふんだんに登場するのだよ。そもそもこの物語はジンニスタンの中では「ルル又は魔法の笛」というタイトルがあるくらいで魔法の笛が重要な役割を担っているのだよ。しかし、モーツァルトの『魔笛』ではそのタイトルにも関わらず魔法の笛の役割はあまり重要ではないんだね。『ルル』では人間の精神に及ぼす笛の音の魔力の描写は説得力がある。これほど、笛に重要な役割を与えたオペラは他に見当たらないくらいだ。
 まず、ジンニスタンの中での魔法の笛の描写を紹介しよう。これは前の続きの場面だけどルルの吹く笛の音がどんなものかがわかるよ。
 ルルは指輪を内側に廻し背中の曲がった白髭の老人の姿になりました。彼は山を下り城の前まで近づきました。それは巨大な塔とも言えるもので階段もなければ入り口も見つけることができませんでした。建物が建っている岩はツルツルとして切り立っていて羽でもないかぎりそこに昇ることはできないように見えました。あたりを調べて彼はレモンの木から100歩ぐらいの所に腰をおろし、笛を口にあて吹き始めました。その響きで自分自身が知らず知らずに魔法にかけられてしまいそうになりました。なぜなら一吹き毎に出る音は今まで聴いたこともないものでした。そっと息を吹き込むとまるで夕べの風が高い山の頂にさらさら流れるように、また泣きぬれているニンフに谷間の全てのナイチンゲールが優しい子守歌を歌ってなぐさめるように響きました。しかし、強く吹き込むとまるで山頂の雷が猛り狂って谷間に落ちてくるように山々から響いてきました。
 ルルは静かに吹く方が気に入りました。ある時はキジバトが雌バトに愛を告げるように、またある時は死んでしまった連れ合いに哀しみの歌をうたうナイチンゲールのように。谷の鳥たちは周りの木々に集まり彼の演奏に聴き惚れました。鹿やガゼルは近くの森からやって来てルルに見とれ、まるで歌の意味が分かるかのように耳をそば立てました。岩上の城だけが何事もなかったように深い眠りについているように見えました。ルルは目をこらしましたが誰も現れず全ての窓は閉じたままでした。「きっと、頑固な耳をしているにちがいない」とルルは考えました。彼はあたかも夢中になって吹き間違えたかのように笛に思い切り息を吹き付けました。その轟くような反響は動物たちや鳥たちをびっくりさせるほどで、城の窓はまるで地震で揺れるようにガタガタと音をたてました。
 魔法使いが窓を開け大声でこう言いました。「こんな朝早く眠りからたたき起こす奴はどんな笛吹なんだ。わしの窓の下以外に吹く場所がないのかね。待て、老いぼれめ、どこへ行けばよいか教えてやる」
 「出てきてくれ」ルルは心の中で思いました。そして乙女をダンスに誘うような軽快なメロディを吹き始めました。魔法使いは窓の所に留まり、ポカンと口を開け、眉をつり上げウサギが狩人の角笛を聞くように耳をとがらせました。笛の音は魔法使いの悪意を溶かすように作用し始め、知らず知らずに愉快にさせ甘く穏やかな気持ちにさせました。程なく、魔法使いは好奇心を抑えることができなくなり「こんな美しいトリラーをする奴はどんなペテン師野郎だろう」と言って窓を閉めマントを羽織り、杖を手にして城の後のドアから出てルルにそっと忍び寄ったのです。


 この笛の場面は『ルル』の中では夜に設定されている。何故なら幕開けが夕方だったからだ。地霊が月の光のもとディルフェングの城の前で踊っているところに遠くからルルの笛が聞こえてくるというシーンでのフルート・ソロはすばらしい。下の枠のQuicktimeでちょっと聴いておくれ。これはデンマークのフルート奏者、トーケ・ルン・クリスチャンセン氏の演奏だ。彼は2005年6月4日の公演で来日してルルの笛のフルートを吹くことになっているんだよ。その他にもルルが笛を吹く場面は沢山あるが今日はその中の一例を挙げてみよう。



ルルの笛

 この笛の音楽に誘われディルフェングが城から出てくるのだよ。
 それじゃ今日はこのへんで、また続きを書くよ。

January 2004
質問者:ルルコ 女性 東京都
 ジンニスタン、『ルル』、『魔笛』の関係がうすうす分かってきました。ルルの笛は素晴らしい演奏ですね。次は何が出てくるのでしょう?
トッシー先生:答えましょ~

 ルルコさんうれしいね。よく読んでくれているようだね。それじゃ次に進もう。『ルル』と『魔笛』はこのあと違う方向に進むんだよ。『魔笛』はご承知のようにシカネーダーが奇々怪々な物語にしちまった。タミーノ王子は夜の女王を信じてパミーナを救おうとして悪のザラストロの所に向かうのだけど、そこでは夜の女王は反対に悪者にされてしまう。この言葉を簡単に信じてしまうタミーノも定見がないね。今度はザラストロの言うなりにパミーナと結ばれるために「無言の業」とか「水火の試練」とかわけの分からないをものを受けることになる。助け出すことより自分たちが結婚をすることに路線が変わってしまう。パミーナも一緒になって「水火の試練」に立ち向かうとは何がなんだか理解に苦しむね~。物語はフリーメーソンの思想を取り入れたと言うがどう考えたって荒唐無稽だ。しかし、モーツァルト大大先生の音楽は素晴らしい。『魔笛』には当時のオペラのいろいろな様式が含まれ多様な音楽の集大成となっている。
 さて、『ルル』はどう進行するのだろうか。
 老人に変装したルルの吹く笛にディルフェングはかたくななシディの心を笛の音で和らげようとルルを城に導くことになる。女心を自分ではくすぐることができないので老人の笛にやってもらおうというのだよ。「愛の妙薬」に笛の音を使おうと考えたディルフェングは音楽的才能があるのかもね。城の一室ではバルカや魔女たちに監視されながら糸を紡ぐ囚われの身のシディがいる。ルルはそこで笛を吹くんだけどそれを聴いたシディは我を忘れて昔のことを思い出し涙する(ルルの笛その2)。


 

 

 バルカは笛吹きを怪しみディルフェングに忠言するが一向に聞き入れてもらえない。ディルフェングとバルカが別室に行って二人だけになったときルルは変装を解きペリフェリーメに頼まれてここにやって来たことや自分の身分を明かす。りりしい若者を目の前にしてシディの心は揺れ動く。二人に愛が芽生えたのだ。ルルはシディにディルフェングの愛を受け入れる素振りをして有頂天になったところで隙をみて逃げ出せばよいと提案する。シディはこの言葉で不安になりルルを信じることができなくなる。ルルは剣に手をかけディルフェングとの決闘を厭わない態度を見せると、シディも運命をルルに預ける決心がつく。二人が恋の成就に恍惚となっているところにディルフェングとバルカがもどってくる。二人の間に分け入ったディルフェングは怒って魔法の威力を示し、霊たちに結婚式の祝宴の準備を命じる。ディルフェングはルルを連れて退場。
 そこに幼なじみヴェラがやってくる。ヴェラは結婚式の招待客として羊飼いたちに混じってこの城に連れてこられたのだ。この設定もやや荒唐無稽だが自分の結婚を広くPRをしようとディルフェングも躍起となっているのだろう。思いもかけない再会を喜ぶ二人。二人は退場。
 そこに魔法使いを煙に巻いてルルが戻ってくる。しかし、シディはいない。探しに行こうとするとバルカや霊たちによって行く手を阻(はば)まれるが、ここで笛を吹き霊たちを骨抜きにして無事に抜け出す(ルルの笛その3)。


 

 これで『ルル』の第2幕は終わるんだよ。笛の音楽ばかり取り出したけど大先生のオーケストレーションも素晴らしい。特に第2幕の夜の情景はウェーバーの『魔弾の射手』の狼谷のシーンを彷彿させるようなロマン派的音楽になっている。「魔女の紡ぎ歌」も美しいメロディだ。『魔笛』はいろいろな様式のアリアが有機的に組み合わされている。『ルル』も同様いろいろな様式の曲がある。パパゲーノのアリアが民謡調と言われるが「魔女の紡ぎ歌」は北欧で流行った6/8拍子のロマンスだ。
 どうだね、『魔笛』のように『ルル』は入りくんだ話は出てこない。単純と言えばそれまでだ。でも、「文化は振り子の様に複雑と単純を繰り返す」と言われている。『ルル』の単純明解さはきっと現代に受けるに違いない。
 2000年3月に演奏されたオペラシティの『ルル』演奏会形式のキャッチフレーズは~「もう一つの魔笛」~だった。来る2005年6月のオペラ『ルル』は~「『魔笛』より魔的」~というキャッチフレーズが相応しいと思うんだけどね。
 『魔笛』は2幕物だが『ルル』は3幕物だ。まだ続くからね。待っていておくれ。

January 2004
質問者:ルルコ 女性 東京都
 ますますオペラ『ルル』が身近になった感じです。ルルの笛(その2)とルルの笛(その3)の音も聴きた~い。
トッシー先生:答えましょ~
 ルルコさん、あ~たのインターネットはADSLですな。そんなお人はページを読み込むのに時間がからない。しかし、「ルルの笛」を読み込むのに時間のかかるお人もいるようだ。この音はMIDIでなくCDの音質に近いmp3で作っているのですよ。容量が大きくなってしまうので私しゃすべてを紹介することを遠慮しているのだよ。それにパソコンによってはこのファイルを認識しない人もいる。多分プラグインが不足しているのだろうね。QuickTimeヴァージョン4以上だと聞こえるみたいだよ。聴けない人はhttp://www.apple.co.jp/quicktime/download/からダウンロードしてパソコンにインストールしてみるといいよ。

 さて『ルル』の第3幕はディルフェングに結婚を迫られてシディは何とかその手から逃げようとするんだよ。ここでシディのアリアが2曲(No.14, No.15) 続くのだよ。No.15は難曲だ。この曲は当時のソプラノの名歌手のためのブラヴーラ・アリアなんだよ。クーラウ大先生は旧作の「タルタルスのユーリディーチェ」の中からのアリアをここにはめ込んだ。だから、これは純粋に『ルル』のオリジナルとは言いかねる。だから2000年の演奏会形式の時はこの曲はカットされたんだね。でも、今度のオペラ(2005年6月4日)ではこの曲は歌われるそうだよ。澤畑恵美さんの素晴らしい声で聴けるんだよ。『魔笛』には夜の女王の技巧的なアリアがあるけどそれに匹敵するものだ。
 一方ディルフェングは祝宴の準備を急がせて広間では招待客も揃い祝宴が始まっている。ルルはそこで笛を取り出しその音で皆を眠らせてしまう。花嫁のシディさえ眠ちゃったんだよ。ルルはシディを揺り起こし高いびきをかいているディルフェングに忍びより胸のうちにしまってあったバラの蕾を奪い返すんだよ。ハラハラする場面だ。蕾といっても半ば開きかかったものだ。何故ならシディはルルに愛をおぼえてしまったからね。この蕾はシディが人を愛することで花開くことになっている。ディルフェングは二人をいわば泳がせておいて花開いたところで精霊界を支配する力を得ようとしていたんだね。間が抜けているように見えても結構、狡猾なところがあるんだね。バラを奪い返したからもう怖いものはない。ルルとシディは喜び合いここでも愛の確認をし合うんだね。
 そうこうしている内にディルフェングは目を覚ますんだよ。そして、懐にバラが無いことに気が付き怒り狂い、全てを破滅に導こうとはげしい嵐を呼ぶんだよ。いわば自暴自棄の振る舞いだ。この場面も劇的だね。
 ヴェラはここで指輪を投げペリフェリーメの救いを求めるんだ。ペリフェリーメが登場し悪者一味を光りでやっつけてしまう。場面は一転してここはペリフェリーメの城の祭壇の前。ペリフェリーメに導かれたルルとシディは皆から祝福され幕となる。

 こう見てみるとオペラ『ルル』には高邁な思想があるわけでもなく善と悪の戦いの単純なおとぎ話だ。『魔笛』の筋書きが荒唐無稽だとしても、『ルル』が単純直截だとしてもその音楽は素晴らしい。速筆と言われるクーラウ大先生が1年半もかけて作曲したものだ。これが世界のオペラ劇場で取り上げられるようになったら今度の『ルル』は記念碑的上演となるね。来るオペラ『ルル』公演は167年ぶりの世界初の再演だという話だ。『ルル』を聴けば『魔笛』との対比ができてきっと面白いに違いない。
 ルルコさんもみんなを誘って行ってごらん。クーラウ狂いのここの管理人に会えるかもしれないよ。

June 2004
質問者:さあちゃんのママ 女性 福岡県
 トッシーセンセイ、お久しぶりです。 お元気でしたか。 この前、ここの管理人様に御会いしましたが、ますますお元気そうでした。 なにやら『目的に向かってまい進するぞっ』オーラも出ていました。
 ところで、相談したいのは、『元気』についてです。 最近、私、妙に直ぐ疲れまして、お馬のさあちゃんに乗って走りまわっても、さあちゃんが疲れる前に私が疲れ、バッハのソナタを吹いても、一楽章で疲れきって、後の楽章は省略!!してしまいたくなります。 以前は、こんな事なかったのに。 別に病気とかではないようです。 なにか、疲れにきく、いい『おまじない』とか『サプリ』とかありませんか。
 あと、金運上昇のヤツもあったら、教えてください。
トッシー先生:答えましょ~
 いや~、さあちゃんのママさん。久しぶりですなあ。
 人間あきっぽいというか、世の中が平和なのか、このコーナーに寄せる質問もめっきりで私しゃ引退を覚悟していたところでしたよ。ママさんのようにまだこのコーナーを訪ねてくれるお人がいると言うことは私の存在価値がまだ認められているという証拠ですな。ちょっぴりうれしいね。
 ここの管理人は最近、オペラ『ルル』のことが忙しそうでこのコーナーのチェックも怠っているようですな。そう言えば管理人が、6月2日の静岡新聞の夕刊にでていましたなあ。年齢が出ちゃもう隠しようがないね。いや、別に悪いことをしたわけではない。例のオペラ『ルル』のことでね。
 そうそう、ママさんの質問に答えなきゃね。
『元気』が無いって?
 あ~た、考えてもみてごらん。贅沢なお人だよ、ママさんは。~お馬にまたがりお馬の稽古~。そりゃ、疲れるのはあたりまえだ。
 人の「幸福」についてあ~たは考えたことがあるかね?アフリカの飢餓に苦しむ子供たちを見てごらん。お腹を空かしている子供はきっと不幸せを感じているはずだ。そこに一杯のスープが出てきたらこの子はきっと幸せに感じるに違いない。満腹な人にとってはキャビアが出てきてもフォアグラが出てきてもそんなに幸せには感じない。人の幸せは比較の問題だってことさ。
 あ~たはバッハを一楽章吹き通せる。瀕死の重病人には一小節だって吹けないはずだ。それを考えたらあ~たは十分に元気ってことさ。比較の問題さ。若いときと比較したらそりゃ誰だって体力は落ちるものさ。
 こんなことを言うとここの管理人は反論するかも知れない。なにせ、あの歳で幻のオペラを掘り起こそうとしてるんだからね。
 『おまじない』や『サブリメント』が必要なら何だっていいんだよ。その気になりゃなんだって効くものさ。疲れた時はくしゃみ3回の「ルル」を飲んでご覧。よく効くよ、あれは。管理人も多分常用してるんじゃないかと私しゃにらんでるね。
 金運?ママさん、あ~たは欲張りだね~ほんとうに。お馬さんに乗ってるあ~たは、さあちゃんのオーナーだよね。ってことは十分にお金持ちってことさ。平民の私にゃ、そういうハイソサイエティの生活は良く分かんないけど、これ以上金運を望むなんて天誅が下るよ。
 「トーシィーの法則」をご紹介しよう。なにそれ?と言うなかれ、マーフィーのもじりだよ。
 「幸福の法則」
 自分の幸せを見つけることはむずかしい。
 そのくせ他人の幸せはすぐ見つける。
 補足:不幸せな人は常に「上には上がある、下には下がない」と考える。
 幸せな人も常に「上には上がある、下には下がない」と考える。
 結局みんながそう思っているんだよ。それが人間というものさ。宝くじの商売が繁盛するのもやむを得ないね。

June 2004
質問者:さあちゃんのママ 女性 福岡県
 トッシーセンセイ、早速の解答ありがとうございます。
確かに、『自分の幸せはなかなか見えない』ものですね。センセイの御回答で、自分が幸せであるということを、ついつい忘れてしまっていたことに気づきました。ほんの少し前までは、この地球に生きていること、についてもものすごく感謝の気持ちがあったのに。 あの気持ち、忘れてました。反省、反省。
 それにしても、「トーシィーの法則」って面白くて、なおかつ奥が深いですね。もっと他の法則も紹介してください。
 御願いします。
トッシー先生:答えましょ~
 さあちゃんのママさん。あ~たは素直だね~!しかも礼儀正しいときている。その上「トーシィーの法則」の深淵さがわかるほど聡明だ。ここに質問の回答してもそれについての反論や感想を寄せてくれる人は少ないんだよ。うれしいね
 他の法則?
 いろいろあるけどね。
○近所付き合いの法則
隣人が間違ったメロディを口ずさんでいたらそれはあなたの責任だ。
対処:全ての窓を閉める。雨戸も閉める。カーテンを引く。目張りをする。
補足:練習中、隣の音が気になる場合は「静かにしてください」とお願いするとよい。
○歌心の法則
恋をしないと歌心が分からない。しかし、歌心のある人が恋をしたかどうかは分からない。
○難易度の法則
簡単に見える事柄ほど難しい。
補足:難しく見えたらどうやったって不可能だ。
○人の和の法則
一升の美酒に一匙の泥水を入れたら泥水だ。
一升の泥水に一匙の美酒を入れてもやっぱり泥水だ。
○神頼みの法則
神様は頼んだ時には現れてくれない。
頼みたくないときに現れお節介をやく。
○思いやりの法則
解答者(例えばトッシー先生)より自分が有能であることを質問者(例えばあなた)は解答者に悟られてはならない。
 今日はこのへんにしておこう。じゃぁ、またね。