クーラウの諧謔?
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作品126はクーラウの遺作として、没後(1833年)ローセ、ファランクから共同出版されました。
この作品は「ディヴェルティメント」となっていますが、構成は5つのモーツァルトのメロディが順に現れそれぞれが変奏されるものです。ちょうど作品25が複数のスエーデンの民謡を用いて変奏している構成と似ています。IFKSの次期プロジェクト「クーラウ / ピアノ変奏曲全集」の中に取り入れるべきかを検討した結果、作品25にならってこの曲も含めることに致しました。 クーラウはモーツァルトを崇拝しその作品を良く研究しています。知らずに用いているということは、恐らく無いだろうとはブスク氏の意見です。1番目の「クーラウが知らずに用いた」とは考えにくいのです。 かつて、フリッツ・クライスラーが知ったかぶりの愛好家、 鼻っぱしの強い批評家を欺くために「べートーヴェンの主題によるロンディーノ」を出版したのは有名な話です。あの素敵な旋律がべートーヴェンのどの作品にあるのか、一生懸命に探した 愛好家、批評家は見つけ出すことができず、結局クライスラーにだまされたことが判明したのです。べートーヴェンとつければすぐにも有り難がる輩を揶揄することでクライスラーはざぞ快哉を叫んだことでしょう。 これと同様な考えがクーラウの心に生まれなかったとは言いきれません。常日頃、クーラウは出版社の横暴に泣かされていました。ミスプリは沢山あるし、やぶにらみの批評はするし、作曲料は値切るし、おまけに作品の長さまで口を挟むなど・・・ひとつ冗談に出版社の連中をからかってやろうとクーラウが考えたかもしれないのです。さらに、この作品が生前出版されなかった理由をクーラウの「きまじめさ」に起因するものと考えることもできるのです。これを出版して世の中を欺くことをクーラウは躊躇し、道義に反するとして彼が出版を差し控えたとも解釈できるのです。 |
Uploaded 5. 12. 2013