Beimfohr 注解のページ  Beimfohr-Hinweiss

1 Walter Georgii: “Klaviermusik”. Atlantis社。Zürich/ Freiburg, 1950年(第2版). 267ページ。
2 Carl Thrane: „Friedrich Kuhlau“.デンマーク語版、1875年、からの再録。“Danske Komponister“からの版権に基づくドイツ語訳、1886年、Breitkopf & Härtel社、Leipzig, 54ページ。
3 Reinhold Sietz: „Klaviermusik, Friedrich Daniel Kuhlau“. MGG, 7巻, Sp. 1878. Bärenreiter社. Kassel/ Basel, 1958年.
4 Hildegard Müller: „Die Klaviersonate bei Kuhlau“. 1959年。ハンブルク音楽大学所蔵のタイプ印刷による国家試験論文。
5 Kurt Piper: „Ein Fund in der Matrikel des Christianeums“. ‘Christianeum – Mitteilungsblatt des Vereins der Freunde des Christianeums‘ 所収、19~21ページ。Hamburg, 1965年11月。
6 “Schwanke, deutsche Musikfamilie“, Peter Schmidtによる判断。MGG, 12巻、1965年、Sp. 402.
7 Wolfgang Schmieder: “Briefe eines Autors an einen Verleger”. ‘Algemeine Musikzeitung‘, 63巻、1936年11月25日のNo.52所収。801~804ページ。引用は801ページ。
8 詳細は次の通り
a)Karl Graupnerによる博士論文。“Friedrich Kuhlau“. 1930年、Hermann Krumm、後継者Remscheidによる刊行。18~19ページ。
b)Rolf Kipphanによる論文。“Heimatkalender 1959 für Stadt und Kreis Uelzen“, 75~86ページ。Friedrich Kuhlau – ein Musiker aus Uelzen“. Becker社、Uelzen, 77ページ。
c)AmZ, 第12巻、1809年11月27日、No.13, Sp. 198/9. 本論の’AmZ-Dokmentation‘にNo.36で再録されている。
9 実際にこれが本当の逃走理由だったかどうか、最近、Rolpf Kipphanが論文の(より詳しくは、注8b)79ページで、立派な理由を挙げて、それに疑いを投げかけている。この問題は、後にまた論ずることになるだろう。
10 これに関して、以下を参照。Carl Thrane(より詳しくは、脚注2),83,84ページ。Karl Graupner(脚注8a)28,29,33,54,55。AmZ,24巻、1822年7月21日、No.24。’AmZ-Dokmentation‘にNo.63で再録。AmZ: Sp.394-6.
11 AmZ,34巻、1832年3月28日、No.13。Sp.319-20. ’AmZ-Dokmentation‘にNo.65で再録。
12 Karl Graupner (より詳しくは、注8a), 24ページ。
13 Sven Lunn: „Kunzen, Friedrich Ludwig Aemilius“. MGG, 7巻、1958年、Sp. 1908.
14 Sven Lunn: „Weyse, Christoph Ernst Friedrich“. MGG, 14巻、1968年、Sp. 545.
15 Karl Graupner (より詳しくは、注8a), 28ページ。
16 さらなる詳細な情報が以下にある
”Musikforeningens Festskrift, …Første Del: Koncerter og  musikalske Selskaber i ældre Tid, af V. C. Ravn“. Kjøbenhavn. Udgivet af Musikforeningen. 1886年。
a) 188ページ、b) 189ページ。
17 William Behrend – Kopenhagen: „Weyse und Kuhlau. Studie zur Geschichte der dänischen Musik“. ’Die Musik‘ 第3巻、第4四半期版所収。(=Band XIII). Schuster und Loeffler編、Berlin/ Leipzig, 1903/4年、272~286ページ。引 /(会報29ページ)用は281ページ。。
編注: 原注の17は不思議なことに本文の中には記されていない。恐らく原著者のミスであろう。
18 Breitkopf & Härtel in Leipzigによる。タイトルは“Friedrich Kuhlau“.
19 “Kuhlau, Friedrich“参照。以下に所収。‘Encyclopädie der gesammten musikalischen Wissenschaften oder Universal-Lexicon der Tonkunst. Bearbeitet von ... Dr. Gustav Schilling‘. 第4巻。Stuttgart, Franz Heinrich Köhler社, 1837年、252~254ページ。
20 Philipp Spitta: „Niels W. Gade“, 以下に所収。‘Zur Musik. Sechzehn Aufsätze‘. Gebrueder Paetel社, Berlin 1892年、355~383ページ。
21 Kurt Siemers, Hamburg: „Sonatinen Kuhlau. Die Lebensgeschichte des deutschen Schöpfers der dänischen National-Oper“. 以下に所収。‘Zeitschrift für Musik...Gustav Bosse編‘. Gustav Bosse社, Regensburg. 第100巻、1933年、345~348ページ。
22 Kai Agge Bruun: „Kuhlau, Daniel Frederik (Friedrich) Rudolph“. 以下に所収。‘Dansk Biografisk Leksikon‘, 第13巻、Kopenhagen, J. H. Schultz-Forlag, 1938年、442~452ページ。
23 Karl Graupner (より詳しくは、注8a), 34ページ。
24 Aloys Greither参照。“Die sieben großen Opern Mozarts“, Lambert Schneider社、Heidelberg, 1956年、203~213ページ。
25 )Karl Graupner (より詳しくは、注8a), 40,42ページ。
26 クーラウの友人で、コペンハーゲンの木材商だったJacob Trier宛ての手紙。Graupnerによる複写。(より詳しくは、注8a)、37~38ページ。
27 Jan Mægaard und Dan Fog-Olsen: „Samfundet til Udgivelse af dansk Musik. Catalogue 1956”. Knud Larsen Musikforlag Dan Fog-Olsen, Copenhagen K. 28ページ。
28 より詳しくは注19参照。254ページ。
29 Behrend(より詳しくは、注17)、286ページ。
30 初演に関するAmZの報告は確かに1829年12月9日、Sp.806~807に載っており、’Elverhöi’は正しくSchauspielmusikと記述されている。’AmZ-Dokumentation’, No.44参照。しかし一年後の1830年12月29日、AmZはSp.844~845で’Elverhöi’はオペラのタイトル一覧に挙げられている。’AmZ-Dokumentation’, No.56参照
31 それでReinhold Sietz(より詳しくは、注3)は1958年に“das Singspiel ‚Elfenhügel“を“die dänische Nationaloper schlechthin“と表記している(Sp. 1877~1878)。
32 クーラウが1811年1月末に行ったコペンハーゲンでのハ長調ピアノ協奏曲初演の1年後、それに続くヘ短調ピアノ協奏曲は火事で焼失した。
33 Gustav Becking: “Der musikalische Rhythmus als Erkenntnisquelle”. 1928年初版、1958年2版。Ichtys社、Stuttgart.
34 ‘Hauptsatz‘という概念はここでは主要主題後の経過部を含む。
35 副楽節の展開的な第二部で、逆にベートーヴェンは、ピアニッシモとフォルティッシモを直接に並置している(76小節)、そしてクーラウは漸進的な高揚を好んだ(78~80小節)。しかしそこで問題なのは、一つの、同じ楽想のさらなる進行であり、戻るような楽想の交代ではない。
36 1958/59年に’Samfundet til Udgivelse af dansk Musik‘で刊行された協奏曲の、Sven LunnとGerh. Schepelern編集による総譜とオーケストラ・パートの新版には、すでに全オーケストラ提示部の間にソロ楽器のための、一種のピアノスコアが含まれている。北ドイツ放送が手配したSchall-Aufzeichnungが示すように、ソリストは、作曲を傷つけることなく、それを破棄してよい。おそらくそれは、演奏のためではなく、ソリストが読み、記憶する助けとして考えられたものだ。――残念ながら、そういうMagnetton-Aufnahmeにおいて、オーケストラ提示部のほとんどが抹消されている。
37 終結部は延長によって、主楽節と副楽節を合わせた長さに等しくなっている。
38 副楽節はソロ提示部の5分の3、オーケストラ提示部における3分の1を占めている。
39 ベートーヴェンでは346小節目、クーラウでは323小節目。
40 ソロ・カデンツァの長さは、固定的な拍数で計算できないから、顧慮されていない。
41 ベートーヴェンは1809年にこのソナタを書き、それは1810年にBreitkopf & Härtel社から刊行された。同年10月6日、クーラウは同社に自分の協奏曲を提出した。Graupner(詳しくは、注8a)、20ページ参照。
42  Graupner (詳しくは、注8a)、19ページ参照。
43 たとえばaとbをJacques-Gabriel Prod’hommeと比較していただきたい。‘Die Klaviersonaten Beethovens. Geschichte und Kritik‘. ドイツ語はDr. Wilhelm Kuhlmannによる。Breitkopf & Härtel, Wiesbaden 1948年、190/191ページ。Prod’hommeはそこで、Carl Reinecke: ‘Die Beethovenschen Claviersonaten‘ 1893年、に言及している。
44 このテーマのさらなる先駆者をHugo Riemannは、彼がベートーヴェンの若書きのソナタと考えているヘ長調ソナタの最終楽章で証明すべしと考えていた。以下参照。Riemann: ‚L. van Beethovens sämtliche Klaviersonaten. 1. Teil. Sonate Ⅰ- XII‘. Max Hessea社、Berlin 1918年。
 この曲はベートーヴェン全集で、第161シリーズの16、No. 38として印刷された。それらはベートーヴェンの死後になってようやくHamburgのCranz社で刊行された。ベートーヴェンがそれらの作曲者であるかどうか、その点に関しては確たる疑いがある。Kinsky-Halm-Verzeichnis, Anhang 5参照。
45 Becking (より詳しくは、注33), 46/47ページ。
46 注41, 42, 47参照
47 Graupnerとは逆に、根拠は示されていないが、Kai Agge Brunnも、1806年にHamburgで演奏されたピアノ協奏曲はハ長調ピアノ協奏曲・作品7と同じである可能性があると表明している。
 1806年3月の’die privilegierte wöchentliche gemeinnützige Nachrichten von und für Hamburg‘と’die  Staats- und Gelehrte Zeitung des Hamburgischen unpartheyischen Correspondenten‘の問題のある刊行は、この問題に関して何の推論も提供し得ない。文化的な催しに関する予告は公表されているが、それについての報告は何もないのだから。
48 Graupner (注8a),55ページ参照。
49 AmZ 12巻、1810年12月のXIV。本論の”AmZ-Dokumentation”での通し番号(以降AmZ-Dok.Nr.と略す)A37に再録
50 AmZ 14巻、1812年4月、7月、8月のIV,VI,X。AmZ-Dok.Nr.A38~40.
51 AmZ 15巻、1813年2月3日のNr.5, 79-80段。AmZ-Dok.Nr.1.
52 AmZ 24巻、1822年12月のIX。AmZ-Dok.Nr.A47とA48.
53 AmZ 25巻、1823年6月のIV。AmZ-Dok.Nr.A2q~A2s.
54 同じ作品番号でBreitkopf & Härtelから任意ad libのヴァイオリン付の”Sonate facile”が刊行されていた。出版社が1812年8月のAmZ 14巻、Xで予告していたものである。AmZ-Dok.Nr.A98.
 このソナタは1813年7月7日にAmZ 15巻、Nr.27, 449~450段で論評された。AmZ-Dok.Nr.2.
55 AmZ 25巻、1823年11月26日のNr.48, 795段。AmZ-Dok.Nr.20.
56 AmZ 16巻、1814年5月、III、AmZ-Dok.Nr.A41.
57 AmZ 17巻、1815年3月15日のNr.11, 179~183段。AmZ-Dok.Nr.6.
58 Amz 28巻、1821年6月6日のNr.23, 410~412段。AmZ-Dok.Nr.12.
59 Amz 25巻、1823年12月、XII、AmZ-Dok.Nr.A51.
60 Amz 23巻、1821年5月、IV、6月V、AmZ-Dok.Nr.A43,A44.
61 Amz 24巻、1822年4月24日のNr.17, 179~280段。AmZ-Dok.Nr.15.
62 Amz 24巻、1822年1月、5月I,IV。AmZ-Dok.Nr.A45,A46
63 Amz 25巻、1823年9月3日のNr.36, 596段。AmZ-Dok.Nr.18.
64 Amz 25巻、1823年6月、11月、IV,X。AmZ-Dok.Nr.A2i,A50.
65 Amz 25巻、1823年、11月、X、AmZ-Dok.Nr.A49.
66 Amz 27巻、1825年3月、II、AmZ-Dok.Nr.A52,A84.
67 Amz 27巻、1825年5月、IV、AmZ-Dok.Nr.A61,A112.
68 Amz 22巻、1820年11月、VIII。AmZ-Dok.Nr.A42.
69 Amz 23巻、1821年9月26日、Nr.39, 672段。AmZ-Dok.Nr.13.
70 より詳細に関して、その章、及び、付録の楽譜、「アントン・カイパーの筆写により伝えられる2手のためのピアノ曲、あるいはピアノ譜に見るフリードリヒ・クーラウの作曲」参照。
71 Amz 32巻、1830年11月、XVI。AmZ-Dok.Nr.A4.
72 グラウプナー(Ang. 4ページ、脚注8a)56頁参照。
73 詳細は、**4ページの脚注10参照。
74 ページ1、2,5,9****参照。
75 **55ページ、注70参照。
76 作品4は26ページ、作品5は21ページの譜面を持つ。
77 作品26の1、作品46の2、作品52の1、作品59の1~3、作品60の1と2。
78 作品46の1、作品52の2、作品60の3。
79 作品34、作品46の3、作品52の3。
80 ヒルデガルト・ミュラー(詳細はAng.2ページ、注4)24ページ参照。
81 それが何を意味しているか、この場合、romantischという形容詞をどう理解すべきか、特に明確に、ヨハンネス・エーベルトが記述している。”Joseph Haydn. Der Mann und das Werk”, Grünewald社、マインツ、1939年。
82 幻想ソナタ・作品46の2・ニ短調の、ゆっくりしたニ長調の中間テンポは、ここでは無視する。それは緩徐中間楽章の独自性を得ておらず、ソナタの速い主要部分とストレッタの間に挿入された主題のヴァリアンテだからである。
83 作品26の2と3、作品34。及び作品46の3。
84 こういう断定がモーツァルトの価値を貶めるものでないことは、当然であろう。
85 作品4,5,46の2。
86 作品4、第2楽章、Moderato、4/4拍子、変ホ長調。
 作品30、第3楽章、Menuetto-Allegro assai、3/4拍子、ト短調、トリオはト長調。
 両楽章とも、アウフタクトで始まる。
87 作品6の3、作品60の1~3。
88 Becking(詳細はAng.16ページ、脚注33)44ページ。
89 楽章の冒頭がアウフタクトであるか全拍かという問題は、つねに主声部で問われるが、伴奏的な低音が先行する場合も問われる。
90 先行する2つの段落と同様、この概論では数多く登場する種類の楽章のみ顧慮する。つまり、ソナタ主要楽章、ゆっくりした中間楽章、終楽章である。しかしここには、4つのヴァリエーションによる終楽章(注87、**63ページ)も組み込まれている。設定された主題の選択でもって作曲者は、そのテンポが終楽章にふさわしいと知らせているのだから。
91 幻想ソナタ・作品46の2の第3テンポ。
 ソナタ・作品52の3の第2楽章。
92 作品34と46の3。
93 唯一の例外は作品 34 の第1楽章である。 ワルツの性格が、その伴奏音型を用いることなく、作品 60 の3 の終楽章の、4/4 に対するヴァリエーションである2つの 6/8拍子の主題にも、いかに影響を与えているか、この段落の最後で明らかにされるであろう。
94 演奏会用ワルツへのクーラウの貢献として、” 6 Divertissements an forme de Walse”・作品 61 が挙げられよう。
95 同じことは、作品 26 の 2 の終楽章、ワルツの譜例 182 に現われている。
96 主 題 は Allegro moderato、 第 4 の ヴ ァ リ エ ー シ ョ ン はAllegro molto。
97 12 ページの表と 13 ページの説明参照。さらに、注 93 も参照。
98 本来は作品 3 と考えられる。8 ページ参照。
99  会報 20 号の 27、28 ページと、その譜例 42 〜 45 参照。
100 15 ページ参照。譜例 305 の 36 〜 39 小節。
101 このことは、作品52の3の終楽章(譜例289、14ページ参照)、および作品60の1の第1楽章の終楽章(譜例316、15ページ参照)のワルツの主要主題で、すでに明らかになっている。
102 主要楽節中間部は主要主題、その繰り返し、またはヴァリアンテに包み込まれた主要楽節の中間部である
103 あるダンスの名称を、作品 30 の Menuetto も持っているが、それは、信頼できる場所、つまり4楽章のうちの最後から2番目にある。
104 作品26の2からの譜例182と14ページ、および、作品60 の 1 からの譜例 317 と 15 ページ参照
105 このソナタからヴァリエーションの終楽章の主題(譜例330)をも導き出すのは、無駄なことである。その舞踏の伴奏は、この主題の創案者、ロッシーニに遡るのだから。
106 アクセントによるシンコペーションは、弱拍に、先行する、あるいは後続の強拍以上に強くアクセントが付けられるときに生ずる。拡張のシンコペーションは弱拍上に置かれた音が、次の強拍部分を越えて広がることで生ずる。いずれの手段もしばしばシンコペーションを生む際に共通して挿入される。それが、アクセントによる・拡張の・シンコペーションである。
107 それは 18 ページで「聖なる響き」というテーマとの関連で論じられた。しかし、そこには位置づけられていない。譜例313、65 〜 72 小節参照。
108 短調の中間主題(譜例 337 の 13 小節)のアインザッツの前、長調の副主題(譜例 339b)、提示部と再現部における終止の定形、それらにおけるシンコペーションは拡張はあっても、小節中央の第2の強拍には及んでいない。それゆえそれらは、ここで、あるいは前に扱ったタイプの拡張のシンコペーションには入らない。
109 唯一の例外は作品26の2である。音の繰り返しと休符でもって、シンコペーションを避けている。
110 主声部はここでは、上から2番目の声部である。
111 クーラウのピアノ協奏曲・作品7と同じ。会報 20 号の 5 ページの詳論と譜例 1 a ,7 を比較せよ。
112 作品 6 の 3 で変奏による終楽章を導入する Grave は同時に、長い中間楽章の位置を占めているので、楽章として数に含める。逆に、Fantasie ソナタ・作品 46 の 2 の4つのテンポは、2つの楽章と等価である
113
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115 「そして、大多数の者は・・・ナポレオンの失墜に〈神意〉の示唆を見、何よりも平和を希求した」(注4のa)。「ナポレオン時代の騒乱の後に平穏を求めたビーダーマイヤー的市民(注5のa)」には「満足すべき理由があった。古い絶対主義的な伝統によるシステムは政治的な信条ではなく、ただ平穏のみを求めたからだ(注4のb)」。「ナポレオン戦争の後、平穏を求める市民の欲求は、市民層の関心を公的な出来事、政治的な問題から離れて、私的な生活の領域に向ける政治的な復興に歩み寄ったのだ(注7のa)。
116 Friedrich Sengle :”Voraussetzungen und Erscheinungsformen der deutschen Restaurationsliteratur”、DVfLug 30巻、1956年版所収。268~294ページ。J.B.Metzlersche Verlagsbuchhandlung, Stuttgart, Max Niemeyer-Verlag  a:270~271ページ。b:271ページ。
117 Paul Kluckhohn:”Biedermeier als literarische Epochenbezeichnung” . DVfLuG 13巻、1935年版所収。Max Niemeyer-Verlag, Halle/Saale. a:16ページ、b:14ページ、c:15ページ、d:33ページ
118 Morst Heussner ”Das Biedermeier in der Musik”, Die Musikforschung 12巻、1959年版所収。422~431ページ。Bärenreiter-Verlag, Kassel/Basel. a:425ページ、b:429ページ、c:431ページ、d:426ページ
119 Rudolf Haller:Goethe und die Zeit des Biedermeiers”. DVfLuG 13巻、1936年所収。442~461ページ。Max Niemeyer-Verlag, Halle/Saale. 444ページより引用。
120 Heinz Funk:”Musikalisches Biedermeier”. DVfLuG 14巻、1936年版所収。398~412ページ。Max Niemeyer-Verlag, Halle/Saale. a:407ページ、b:411ページ、c:402 ページ。
121 Heinz Funk:”Beiträge zur Altonaer Musikgeschichte. Von den Anfängen des öffentlichen Konzertlebens bis zum musikalischen Biedermeier bei Cornelius Gurlitt”. 1937年、’Altonaischen Zeitung für Geschichte und Heimatkunde’ の6巻として刊行。Karl Wachholtz-Verlag, Neumünster in Holstein. a:124ページ、b:73ページ。
122 Behrend (詳細はAng. **ページ、脚注17). Über Christoph Ernst Friedrich Weyse (******ページも参照)
123 作品5(基本音)(譜例81)、作品6の1の第1と最終楽章、作品52の1と3。作品52の1と3。――作品46の2は条件付きでここに含める。ここでは、結節部の前、あるいはその中で行われる逆向きの転調が、それに続くのが展開部ではなく、すでに再現部であることで説明されるからである。
124 作品26の1、26の2、34、52の2(譜例272)
125 作品26の3、30、46の3。
126 作品4の終止グループのみ、その最後の数小節に至るまで主要主題に関連づけられている。
127 作品6の3と作品60の1の展開部はふたたび、提示部の最後の動機を取り入れている。作品5の終楽章の展開部は、対比主題に結びついており、作品60の2の展開部(譜例328)は短調の副次主題(譜例326、アウフタクトを含む11小節目から)を変化させている。――両主題とも移行部なしに主要楽節に続いている。
128 作品16’127***において展開部は、副次調の基音と一致して始まり――作品5の第1楽章(譜例81)もそうである――転調する楽想の雰囲気を取り戻す。それは、瞑想するようなエピソードとしての提示部の終止の華やかさに先行するものだった。
129 作品60の3では、新しい、華やかに主題が展開部を切り開く(譜例341)。それは提示部のハ長調にの完全終止に続くもので、Mediant-Ruckで変ホ長調へと続く。主調はハ長調である。
130 作品4(譜例52)、6の3、8の主要楽節。作品5のフィナーレ。
131 作品6の2で彼は、展開部の開始に当たり、副次調であるイ長調の同名の短調を選んでいる。
132 作品8の終楽章において展開部は提示部のハ長調の完全終止をヘ長調の属七の和音へと短七度分、補完している。これは主調のイ短調に対して、下属音の平行長調の関係にある。作品59の3においてのみ、解消は素早く、継続的に成就する。なぜならここで展開部と再現部間が一つの部分に融合しているからである。
133 『幻想』ソナタ作品46の2はここに含まれない。それは独自の終楽章ではなく、付随のストレッタを持っているに過ぎないからである。
134 やはりソナタ形式に数えられる作品5の終楽章と作品16’127の終楽章を含む。
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140 同じような終止の形は、たとえば、モーツァルト自身のいくつかの一連のヴァリエーションにも見られる。
141 作品4、第3楽章(譜例64の第22小節)。作品6の1、第2楽章(譜例101の第65小節)。作品6の3、終楽章への導入部(譜例124と125)。作品8、第2楽章(特に、譜例149の第116小節)。
142 第1、2、3楽章(譜例53、59、60。および譜例65bの第35小節)
143  しかし、”Divertissements en forme de Walse”作品61の1の冒頭参照。偶然だが、やはり変ホ長調になっている(譜例49c)。
144 平行短調であるハ短調に対する中間7度の和音。
145 両者間の境界領域については、**と**ページ、合わせて脚注126と130参照。
146 この終止がどのような新しい道を切り開いたかについてのいつくかの詳細について、すでに**ページ
で、作品4の導入部との関連で、そして譜例48との比較で指摘した。
147 同様のことは、最初の響きの際、このソナタの終楽章にある対照的な楽想にも当てはまる(譜例88b)。
148 終止グループと展開部の境界領域については、**、**ページ参照。さらに**ページの脚注123、12 8も参照。
149 Arnold Schmitz: “Das romantische Beethovenbild. Darstellung und Kritik”. Ferd. Dümmlers Verlag, Berlin und Bonn, 1927.
150 Becking(詳細は**ページ、脚注33). “Man läßt dem Pferde Zügel. Deshalb, und nicht, weil man es zwingt, wirft es den Reiter nicht ab.”「人は馬の手綱を手放す。それゆえ、そして人が馬に強制するからでもなく、馬は騎手を振り落とさない。」
151 終止グループと展開部間の境界領域については、**ページと**ページ参照、脚注123も含む。
152 Becking(詳細はAng. **ページ、脚注33)、**、**ページ。
153 提示部と展開部の境界領域については、**、**ページ参照、さらに脚注124。
154 終止グループと展開部間の境界領域については、**、**ページ参照、脚注125を含む。
155 他の箇所ではハイドンも伴奏で全拍をしばしば省略していることは否定できないであろう。
156 終止グループと展開部間の境界領域については、***ページ参照。
157  Hildegard Müllerの場合の同方向の論述(詳細はAng.2ページ、脚注4)、**ページ。
158 6小節目でクーラウは、eとa間の2つ目の4分音符の間におそらく、平行 8度を滑り込ませている。しかし彼はおそらく、均等な、平均的な、均整の取れた伴奏の精緻な形成への観点でも、それを些細な悪と考えていた。重大な非難はいずれにせよ、彼に対して、そこからは生まれ得ない。
159  **ページ参照。第1~2部分への移行については**ページも参照。脚注123も含む。
160 Müller(詳細はAng.**ページ、脚注4)、**ページ。
161 イ短調のソナタ・作品6の1 のソナタ形式による終楽章の展開部に関する後の詳論参照。
162
163 Müller(詳細はAng. 2ページ、脚注4)、26ページ。
164 終止グループと展開部間の境界領域については、107、108,109ページ参照。脚注123を含む。
165 提示部と展開部の境界領域については、106、108、109ページ参照。脚注124を含む。
166 譜例282aは主題冒頭をその最後の形から示す。
 譜例282bは主題に直接に続くヴァリアンテの形で進行した形、半音階的なパッセージを使った8分音符の動き、または3連音符に縮小された変音による掛留音符を示す。
167  先行する頂点音との同じような稽留の不協和音はすでに、作品46の1(譜例230b、および**ページ参照)と作品52の1(譜例263b、および**ページ参照)で観察した。
168 作品59と60の、それぞれ3つのソナタは、作品55の6つのソナチネとともに教授用に向けられた連作を形成している。それは作品60の表紙の指摘が証明している、”Suite de l’Oeue 55 et 59”。それゆえ、両ソナタ作品はクーラウの商業上の全集ではソナチネに含められている。
169 **ページ、およびそこの脚注167で示されたさらなる指摘、反論も参照、
170 提示部と展開部の境界領域については、**ページ参照。
171 クーラウが副次主題とその繰り返しの間に挿入した軽やかなト長調の主題を想定することも、控えていただきたい。
172 終止グループと展開部間の境界領域については、**ページ参照。
173 Friedrich Lippmann: “Rossini”. MGG, 11巻、1963年、Sp. 965.
174 大:作品5の主要主題、作品26の3の副次主題
    作品52の3の展開部の主題
小:作品8の主要主題、作品60の3の短調の中間主題
    作品16’127の終止グループの楽想
    作品30と60の3の展開部の主題
175 作品4と5の主要主題、作品4、6の3、8の副次主題
176 作品30の主要主題、作品46の2の副次主題
177 作品60の3の主要主題、作品59の1と60の1の副次主題
178 作品16'127、46の2、46の3
179 作品16'127と46の3
180 作品4ではつまり、主要主題の2つの楽節のうちの
181 直接に:作品5と作品6の1
少し後に:作品6の2と作品8
182 作品46の2、46の3、52の1、52の2
183 中間分岐挿入の後、その副次主題を繰り返すのは、作品6の3、46の3、59の2のみである。
184 4分の4拍子における3和音の一部として付点つきの2音によるアウフタクトを持っているのは、作品26の1、26の3、46の1、52の2であり、4分の3拍子における2度の歩みとともに5度を指向しているのが作品8と59の2である
185 作品4、30、34、46の2、46の3、52の3、59の1、59の3、60の1、60の3
186 作品26の1には1つの主題しかないので、24のソナタの中間主題、終止グループの主題、展開部の主題を除けば、23の副次主題しか存在しない。
187 もちろん、さらに長いことクーラウは、すでに最初期の作曲で、聴き手に調性は伏せておいた。作品1の2として刊行されたイ短調のロンド・作品2は(**ページ参照)最初の3小節の間、少なくとも主調とまったく同じにしばしば、そして強く主調の平行調であるハ長調を指向している
188 属調                      作品26の3、46の3、52の1、52の3、59の1、60の1、60の3
下属調                   作品26の1、26の2
下属調領域         作品34、46の1、59の3
その他主調の平行調   作品52の2、60の2
       減7の和音 作品46の2
189 作品52の1と60の1
冒頭、つまり主題の核の部分においてなら作品26の3と59の1も
190 行進曲:作品52の2。
ファンファーレの合図:作品60の2
191 上昇、下降、囲い込み、先取りの問題にして、こういう立論では疑わしき場合は、移行的動きの最終段階が決め手になる。――限定的であるが、下降の動きは作品26の2、52の1、52の2、52の3、59の2、59の3、60の1、60の3にあり、上昇の動きは作品30と46の3にある。
192 作品46の1では移行部の下降する3和音のパッセージは直接に副次主題に入り込んでいくのではなく、8分音符の2度ずつの上方への動きで進行する主題へのAnhubへ導かれる。その最後の3つの音は主題の内面からのアウフタクトに等しい。すでにもうアウフタクトとしてAnhubの動きから際立って目立つことはない。そういう状況では副次主題がどこから始まっているか、確定的な個所は示し得ない。
193 作品6の3と60の1の副次主題では、全拍的な冒頭の響きの次に、メロディーの入りが、次の小節へのアウフタクトとしてはじめて続く。メロディー記号は横にはみ出している。冒頭の響きに関する記号はスラッシュの右にある。
194 作品4、8、46の1、46の3、52の2
195 作品4、26の2、46の1、59の1
196 作品6の3、26の3、52の3、59の3
197 作品4、5
198
199 作品6の2はこの点で、作品6の1にほんの少し遅れを取っている。
200 作品46の2、52の1、59の2
201  作品60の1ではそれは同時に副次主題の位置を示している
202 作品26の1、52の2、59の1、60の1
より慎重に、且つ後楽節に限れば、作品60の3
203 それ以前、それは特に作品30の変ニ長調の中間主題と展開部の主題に現れている。作品26の2の副次主題においては、動きの多い声部進行のせいであまり目立たない
204 作品26の2、26の3、46の2、59の2、60の2
205 例外は、作品5、6の3、8、16’127、26の2、26の3、59の1、60の1。しかし、最後に挙げた楽曲においてのみ、副次主題の最初の全拍音は明らかに短い。
206 Müller(詳細はAng.2ページ、脚注4)**ページ。
207 即興曲:変イ長調・作品142の2、トリオの第30小節
変ト長調・作品90の2、第19,46,53,65,75,79小節
208 Georgii(詳細はAng.1ページ、脚注1)**ページ。
209 しかし、間隔が平均的な指の幅を超えているところでは、その距離は、ある声部の電光石火後の打音と巧みなペダル操作で乗り越えられる。
210

提示部において、移行部のこれら2つの段落はより短く、特に第2段落は短い。

211

後楽節の動機は主要主題の新しい形の際、副次楽節冒頭、すでに2小節前で現れている。つまりその第3、第4小節においてである。

212

 MGGのRomanze、特にフランス風Romanceについての段落参照。さらに、MGGのBallade、Pastorale、Sicilianaの項も

213

 Müller(詳細はAng.2ページ、脚注4)、**ページ

214

属7の和音と、基音が通常の全音的な解決の場合より短3度上にある短調の6の和音との間の交代が期待されていたであろう。同名異音的に混同して思い浮かべざるをえない属7の和音の下方の2つの音は、下方へ長3度の隔たりにおける導音として解決する。その上の音は上方への導音とされる。

215

譜例として、完全な楽曲法になっているという理由で、再現部の版が選ばれた。

216

 位置を決めるのは冒頭音と目的音である。第84小節、108小節参照。

217

  これはクーラウが特に重用したシンコペーションを内包し、属7の和音の前に主音の四六の和音をめぐって回るカデンツの様式である。(譜例251の19~20小節、さらに**ページと譜例306bの見本も参照)

218

  速い楽章の中で、ここでは、イ短調のソナタ・作品6の1のフィナーレ(譜例106b)を参照していただきたい。――2声のインヴェンションによる厳格な2声様式をクーラウはピアノのための転回のカノンにおいて自らに課した。それは1811年12月18日のAmZ(13年度、No.51)の2段、871/2で刊行された。――確固とした声部数を持った模倣的な楽曲法における短いピアノ曲のための名称としてのインヴェンションという概念は、J.S.BachのBWV.772~801の2声のインヴェンション、3声のシンフォニア、各15に対するものとして措定された。それらに対して「インヴェンション」という総称が定着したのだ。



2023.9